seishiroめもらんど

流野精四郎&東澤昭が綴る読書と散歩、演劇、映画、アートに関する日々の雑記帳

詩、のようなもの No.6

2020-08-07 | ノート
あの夏の日。子どもたちの声が聞こえていただろう。
誰かの名前を呼ぶ声が聞こえ、それに応える誰かの声が聞こえ、
セミの鳴き声があたりの空気をふるわせ、風がそよいで草や花のあいだをわたっていただろう。
その瞬間。
誰もいなくなってしまったんだ。
そこにあった音はかき消され、静寂と沈黙が、すべてを包み込んだ。

だけど、声は残る。
それは、今もあらゆるものの傍らに佇んでささやきかける。
それは、この世界に満ちて、満ちて、何かを突き動かそうとするだろう。
その声を、かすかな音を、耳で、身体全体で受けとめるんだ。ぼくたちは。ずっと。


詩、のようなもの No.1

2020-08-06 | ノート
まだ明るさの残る西の空を背景に黒ずんで向日葵が立つ。
そのさびしさもかなしみも世界のあらゆるものと無縁だ。
けれどそれはそっとわたしの傍らに佇む。
何も言わずただそこにあるだけなのに、おまえはくじけそうなこの心を鼓舞してくれるのか。

水辺に打ち捨てられた「救命施設」の看板。
雨かぜに晒され、褪せかけた文字のその下を無数の蟹が蠢き、這い歩く。
そこで誰が救われたのか、誰がいなくなったのかをわたしは知らない。
蟹は知っているのかな。

さまざまな路線が交差し、何両もの電車が行き交う。
日がな一日その眺めを倦かず見つめていたっけ。
この瞬間は二度と訪れない。人もまた昨日出会ったばかりなのに明日には別れる日がやってくる。
また会えるといいな。

みんな知ってるだろうけど、
ヒトの細胞も骨も数ヶ月から数年で全部入れ替わるんだって?
なのに、わたしの中の悪いこころが消えてなくならないのは何故だろう。
そこに巣くった病巣もまた。

黄昏の公園のベンチに坐るひとの影。あれはわたしなのか。
ありえなかった人生をふり返り、ありえたかも知れない人生を夢に見ながら、その人影は物思いにふける。
匕首をポケットにそっと忍ばせてわたしは背後に立つのだ。
何事かに決着をつけようとして。