seishiroめもらんど

流野精四郎&東澤昭が綴る読書と散歩、演劇、映画、アートに関する日々の雑記帳

半沢直樹の逆襲

2013-07-20 | 読書
 ほとほとミーハーなのは仕方のないことと大目に見ていただきたいのだが、TBSドラマ「半沢直樹」の好調な出だしに影響されて、池井戸潤の原作本『オレたちバブル入行組』、『オレたち花のバブル組』(以上:文春文庫)、『ロスジェネの逆襲』(ダイヤモンド社)の3冊を立て続けに読んでしまった。
 いやあ、実に面白い。それぞれほぼ1日に一冊のペースで読んだのだが、読み出したらもう止められない。第1作は今からもう10年ほど前に書かれ、第2作目も5年前に単行本化された作品なのだが、ドラマの影響か、最近の文庫本売上ランキングの上位にカウントされている。
 同じ作家の直木賞受賞作「下町ロケット」と共通するのは、とことん逃げ場のないように思える窮地に追い詰められた主人公たちが誇りを持って自らの生き方を貫くとともに、持ち前の粘りで危機を脱し、自分たちを見下し、虐げていた者たちを見返す瞬間の何とも言えない開放感だろうか。
 時に理不尽なまでに責任を部下に転嫁する姑息な上司や組織という名の不条理にぎりぎりまで耐えに耐え、土俵際に追い詰められたと見せながら敢然と異を唱え、徹底的にやり返す。
 その時の決め台詞が半沢直樹の場合は「やられたらやり返す。倍返しだ!」ということなのだが、まあ、実際の社会ではそんなわけにはいかないことを分かったうえでの夢物語として、サラリーマンに共感を呼ぶのだろう。

 1、2作が文字通りバブル期に社会人となった半沢世代の主人公たちがメインの話とすれば、3作目の『ロスジェネの逆襲』では、半沢たちからは一世代下の、バブルがはじけた後の就職氷河期に社会人になった後輩たちが活躍する。
 そのため、半沢直樹も何となく物語の後景に退いた印象があるのだが、最後にはその若い世代とタッグを組んでしっかりと落とし前をつけてくれる。
 ただ、先輩となり、上司と部下との関係がクローズアップされる場面ではやや説教くささが残る。

 しかしながら、その説教くさい部分にこそこの小説の肝ともいうべきものがあるのも確かなのである。
 先日読んだ「64」と同様に、組織とそこに働く者の関係、誰のために働くのか、何のために働くのかといった根本的な問いかけがそこには凝縮されているのだ。
 とは言え、この小説はそんな小難しいことを考えずに思い切り楽しみながら読むのがよいのだろう。サラリーマンでなくとも、組織の中で息苦しさを感じながら働くあらゆる人々にとって、夏の夜の一服の清涼剤となることは間違いない。

64/茜色の空

2013-07-12 | 読書
 かなり以前に読んでおきながらメモしていなかった本について記録しておこう。
 まず、横山秀夫の傑作ミステリー「64」である。
 食わず嫌いということが理由になるのかどうか、私はこれまで横山秀夫の作品を読まずに来た。興味はあってもあえて避けてきたような気もする。
 それが例の直木賞落選にまつわる当時の審査員の心無い評価に多少なりとも影響されてのことであれば、私は自身の不明を恥じなければならないし、今回「64」を読むことでそうした余計な雑音は完全に払拭することができた、と思う。今さら、なんだけどね…。

 「64」(ロクヨン)は、昭和64年にD県警の管内で初めて起きた本格的な誘拐事件、「翔子ちゃん誘拐殺人事件」を表わす符丁である。
 ……1月5日、お年玉をもらってくると言い残して昼過ぎに自宅を出た雨宮翔子が近くの親類宅に向かう途中、忽然と姿を消した。身代金2千万円を奪われた挙句、雨宮翔子は無残な死体で発見された。犯人不詳のまま、時は過ぎていった。
 「64」は当時の警察関係者が事件を記憶に奥深く刻み込んだ刻印なのだ。
 その事件を巡って、刑事部と警務部が全面戦争に突入。元・刑事の広報官・三上義信は両組織の狭間で己の真を問われる……。

 ふと思ったのだが、日本の警察小説や警察ドラマはどうしていつも組織内でいがみ合ったり、つぶし合ったり、人間関係がギスギスと描かれているのだろう。組織のチームワークがうまく機能して、メンバーが仲良く事件解決にあたればよほど効率的なのに、と思うのだが、それではドラマチックにならないし、面白くない、と作り手たちが思い込んででもいるかのようだ。
 「64」の場合も、同じD県警の中にある刑事部と警務部の争いはリアルさを超えてマンガチックとさえ思えるほどなのだが、これを前提に置かないと成立しない話であることも確かなので、目をつぶるしかない。何よりも、本作は優れた警察小説、ミステリーであると同時に、第一級の組織小説であり、卓越したビジネス書でもある、というのが私の感想だ。
 ミステリーとしては、それまで無関係に配置されたように思われた挿話や伏線がクライマックスに至って一気に収斂され、パズルのピースがカチッと収まったような快感を与えてくれる終盤が何とも言えず素晴らしい。その衝撃が本作を再読、三読に堪える強度を持つものとしている。
 一方、組織小説、ビジネス書としての魅力は、この小説が、組織に生きる人間の息苦しさや矜持を描きながら、事件の過程で主人公が自身の考え方を変え、今自分が所属する組織の中で最善を生きようとする、その変化と困難さを同時に描いていることだろう。
 主人公は自らの生き方を変えることで、部下たちとの信頼を構築し、組織の中での居場所を見つけるのだ。
 もちろんそのことが全てをハッピーエンドに導くわけではない。事件そのものも最終決着をみることなく小説は終わり、主人公自身の家庭が抱え込んだ「事件」も何ら解決はしないのだが、つまりそれは、人生は果てしなくこれからも続くのだということなのだろう。
 個人的には、主人公・三上の刑事部時代の上司である捜査一課長・松岡の姿があまりにカッコよくてシビレてしまった。
 広報官として生きることを選んだ三上もまたこう思わず嘆息するのだ。
 「できることなら、この男の下でもう一度働いてみたい……」
 その上司と部下の関係もまた本書の大きな魅力の一つである。

 もう一冊記録しておきたいのが辻井喬著「茜色の空」である。
 本書は、1972年の日中国交回復の際の外務大臣であり、そののち第68、69代総理大臣を務めた政治家・大平正芳の生い立ちから死去までを描いた伝記的小説である。
 生前は「鈍牛(どんぎゅう)」「アーウー」と揶揄されながら、没後30年を経て、戦後政界随一の知性派として評価が高まり続けている大平正芳元首相。同じ郷里の出身ということもあって、何故だか昔から私はこの人のことが気にかかっていた。
 キリスト教に帰依した青年期から、官僚として戦後日本の復興に尽くした壮年期、そして“三角大福”の1人として権力闘争の渦中へと巻き込まれ、総選挙のさなかに壮絶な“戦死”を遂げた悲劇の宰相の人生を、実業家・堤清二として大平と親交があった著者が愛惜とともに描く……。

 こんな言葉が語られる。
 「今の僕の一番の目標は、どうやったら政界全体の水準を上げて、そのことで世の中に民主主義を浸透させることができるか、ということなんだ。自分の責任で判断し行動を決めることができる大衆がいてこそ、民主主義はいい制度になる。……
 ……そんなことは実現不可能だ、夢のような理想論だという絶望感に落ち込んでしまう場合がある。しかし、主はニヒリストになることをわれわれにお許しにならない。」

 理想に燃え、知性にあこがれ続けた政治家が、その一方で金権政治の権化ともいうべき田中角栄を盟友として政界の波に呑まれていく不可思議さを描いて、本書もまた、組織に生きることの困難さを教えてくれる出色のビジネス書だと言えるだろう。

 さらにもう一冊、防衛事務次官だった守屋武昌氏の著作「『普天間』交渉秘録」についてメモしておこう。
 本書も、交渉というものの底深い恐ろしさや困難さというものを教えてくれる実践的な指南書=ビジネス書として読むことが出来る。
 「茜色の空」とは対照的に、政治の世界に跋扈する魑魅魍魎もふんだんに登場するのだけれど……。
 交渉事や物事の説得に疲れ倦んだような時に読むと、その程度のことでへこたれるなと逆に励まされるような思いになるかもしれない、もしかしたら。
 そんな一冊である。