seishiroめもらんど

流野精四郎&東澤昭が綴る読書と散歩、演劇、映画、アートに関する日々の雑記帳

詩人の言葉

2009-07-28 | 言葉
 陶芸家の友人から詩集が届いた。毎年1回、仲間3人で編んだ詩集を送ってくれるのである。第8号とあるから、もう8年も続いているわけだ。頭が下がる。
 発行間際には締切りに間に合わせるために慌てて帳尻を合わせるなんてこともたまにはあるのかも知れないけれど、生活の中に詩を書くという営みがしっかりと根付いていることを感じさせる作品ばかりである。
 私は極めて散文的な人間だから、詩について論じることなど出来ないのだが、それでも20歳そこそこの頃には真似事のように自分なりの詩をノートに書きつけたことがある。
 あれらの言葉はいま何処で眠っているのだろう。

 詩集に所収の作品も良いけれど、今回、友人が書き付けた巻末の後書きにぐっときた。
 1970年の高校の文化祭の話である。三島由紀夫が割腹自殺を遂げたあの年のことだ。
 17歳の友人は弓道部とのかけ持ちで、ロック喫茶ならぬロック部屋を有志数人とつくったのだ。
 教室に暗幕を張り、大音量で音楽を流す。当然教師たちの目に止まり、難癖をつけられたり、喫煙を疑われ、エンマ帳で頭をパーンとやられたり・・・。
 「あの頃のことは、CSN&Yの『デジャ・ヴ』のジャケットのようなセピア色にはまだなっていない」と彼は書くのである。

 17歳は特別な年齢である。アルチュール・ランボーも「一番高い塔の歌」のなかで書いている。
 「真面目一途は無理な話だ。17なんだよ・・・」

 詩は一瞬の感情や光景を形にしてとどめようと詩人が言葉と格闘した結晶のようなものではないだろうか。
 言葉を語る瞬間の詩人と、印刷された詩集を手にする彼は、同じ彼ではあるが彼ではないだろう。
 あの時17歳だった私は、同じ私ではあるけれど、今は私に夢見られる私でしかない。あの時の私は一体どこに行ってしまったのだろう。

 詩人の鈴木志郎康が26日付の日経新聞に書いている。
 自身の詩集成に収録された未刊の詩について書いた部分である。
 「未刊の詩群は、読み返して見ると、二十代の詩人が愛の不毛を当時の心情に合わせて誠実に語っている詩だった。
 それらの未刊の詩に現在のわたしは手を入れることができない。書いた詩人は、わたしだけれどわたしではなく、既に不在となったわたしなのだ。」

 むかし愛を語り合った恋人たちも、いまはいなくなってしまった。言葉は残るけれど、中空に虚しくリフレインするばかりでこの手に摑むことはできない。
 その言葉を語った私は、私ではあるが私ではなく、既に不在となった私なのだ。

 私の言葉は永遠に届かないのだろうか。

エチュード

2009-07-21 | 言葉
 体育館に嬌声が響き渡る。小学生チームとママさんチームに分かれた選手たちがボールを追いかけ、床に身を投げ出しながらレシーブしようとする。元オリンピック選手の中田久美さんや吉原知子さんを招いたバレーボール教室の一コマだ。
 私はスポーツ観戦よりも薄暗い劇場で陰気な芝居を観ているのが好きな性質(たち)だからこれまであまり縁がなかったのだが、身近に見る二人のアスリートの体形は想像を超えた次元でシャープに鍛えられたものだった。
 すでに解説者やコーチに転進した人たちだから、現役ばりばりの全盛期の頃はいかばかりであったかと、その頃のナマの姿を見る機会のなかったことを今更のように悔やんでいた。

 ママさんバレーとバカにしてはいけない。自分がコートに立てば自ずと分かるけれど、相当なレベルにあるのは確かだ。そうした彼女たちを軽くあしらう元オリンピアンの技術と体力は想像の埒外にあると言っても過言ではない。
 芸術的プレーという表現があるけれど、それはまさにそうした高いレベルの技量を持った選手たちが真剣に競い合う一瞬に奇跡のように現れるアートのようなものなのだろう。

 小学生たちの一見単調な繰り返しの反復練習を見ながら、こうした長い時間の積み重なりの結果として常人を超えた身体的特徴が顕現するのかと考えていた。

 さて、辻井伸行氏にお会いしたことは先日も書いたが、その時、一日の練習時間はどれくらいですかと訊ねてみた。
 単純に一流のピアニストになるためにはどれくらい長時間の練習を重ねているのか聞きたかっただけなのだ。
 ところが、伸行氏もお母様のいつ子さんも少しばかりきまり悪そうにもじもじしていて、ようやく「最近は学校もあるのであまり練習をしていない。コンクールの前は8時間くらい。今は一日3時間くらいかなあ」と答えてくださった。
 素人の私にはなるほどさもありなん、さすがと思うほどの練習時間なのだったが、実はこの時間数はピアニストとしては決して長いほうではないのだそうである。
 あとで知ったのだが、伸行氏はあまり長時間練習するタイプではなく、むしろ短時間集中型なのであるらしい。もしかしたら、元来、長い時間練習するのはあまり好きではないのかも知れない。

 辻井いつ子さんの著書「のぶカンタービレ!」の中に私の好きなエピソードがある。
 伸行氏が14歳の頃、横山幸雄氏をはじめとする一流ピアニストによる集中レッスンを受けるためにイタリア・サルディニ島に行った時のことだ。
 地中海のリゾート地と思い込んでいた夢とは異なり、そこは海から遠い殺風景な工場地帯。部屋のシャワーは小さくお湯も出ないしベッドも小さい。おまけにセミナー会場はエアコンもなく、朝早く行かないと練習用ピアノも確保できないような有り様。
 すっかりいじけた伸行氏が横山先生に相談したところ、
 「・・・僕の部屋の隣にアップライトのピアノがあるからそこで練習すればって涼しい顔でいわれたんです。(中略)でも調律はひどいしエアコンはないし、こんなところで練習なんかできないなと思っていたら、また横山先生に「ヨーロッパではこんなの普通だよ」ってかるーくいわれちゃって。
 (中略)やる気が出ないななんて思っていたら、突然隣の部屋から横山先生のものすごい演奏が聴こえてきたんです。ショパンのエチュードを1番からずーっと何時間も弾いていました。最初は暑いのにこんなところでよく練習できるなと思っていたんですが、先生は4時間も弾きっぱなしなのです。それを聴いていたら、まずいな、僕もやらなくちゃと思って、そこからは僕も練習に打ち込めるようになりました」

 劣悪な環境だと嘆いているばかりでは何も解決しない。
 自分ではどうにもできない環境をあるがままに受け入れ、自分のやるべきことに集中すること。
 その大切さを教えてくれる素敵なエピソードである。

のぶカンタービレ!

2009-07-18 | 音楽
 まだ少年のような雰囲気を湛えた丸顔の青年は、部屋に集まった人々のおめでとうの拍手にやわらかな声で感謝の言葉を述べながら、独特のリズムで身体を揺すり始める。喜びの表現でもあるのだろう。お母さんのいつ子さんはそれを著書の中で「伸りんダンス」と名づけている。

 ヴァン・クライバーン国際ピアノコンクールで日本人初の優勝という快挙を成し遂げた辻井伸行さんとお母様にお会いする機会があった。
 これは私にとっては役得というしかない僥倖なのだが、詳しいことは省略する。その功績を顕彰するための集まりに、お二人にお出でいただいたのだ。

 それにしても視覚障害というハンディを生まれながらに持ちながら一流といわれるピアニストになるための膨大な時間の積み重ねやその間に費やされた家族とそれを支える人々の労苦には呆然とするしかない。そのことをあるいはご本人たちは苦労とも思ってはいないのかも知れないけれど。
 伸行氏にとって、ピアノに触れ、そこから音楽を生み出すこと、自己表現することは、我々が息をすること、会話すること以上に自然なことなのだ。
 コンクールでも本番に強いといわれる伸行氏だが、それは何よりも彼自身がステージで演奏することを心から純粋に楽しみ喜んでいるからにほかならない。
 そしてそれを可能にしているのがご両親の力なのである。

 国際コンクールに参加するということがどういうことか、私にはまったく想像を絶するけれど、宿泊先ひとつとっても自分たちで手配しなければならないという。
 ヴァン・クライバーン国際ピアノコンクールの場合は財団がしっかりサポートしてくれて、ピアノのあるホームステイ先を手配してくれるのだそうだが、4年前に参加したショパン・コンクールでは、1ヶ月に及ぶ滞在期間中、ピアノ練習の可能なホテルの部屋を自費で確保したうえでピアノを搬入するなど、練習環境を自分たちで整えなければならなかった。そこに日本から指導者の先生を招くのである。その先生も、レッスンや大学での講義など自身のスケジュールを擲って駆け付けるのだ。
 しかしながら、そうした状況はコンクール参加者であれば誰にとっても大同小異である。まさに崖っぷちに立った鬼気迫る心理状態のもと優勝をめざしてしのぎを削るのだ。

 ピアノの音を1音でも聴けばその演奏者の心理状態がわかると伸行氏は言う。
 近年の国際コンクールの上位入賞者には中国、韓国をはじめとするアジア圏の出身者が圧倒的に多くなりつつある。彼らは国家の威信や家族の生活を背負い、死に物狂いで優勝をめざすのだ。その執念はただならぬものらしい。
 楽屋裏の様相も相当なものらしく、ただでさえ緊張しナーバスになっているわが子に対し、出番の1分前になってもあれこれ指示し、演奏後にも追い詰め、ダメ出しをうるさくいう親が多いという。
 「その点、僕の母はいつも励ましてくれるし、終わったあと失敗したところがあっても必ずよかったとほめてくれる。本当に感謝しています」と伸行氏。
 まさにこの親あってのこの子、なのだろう。お二人を見ていて感じるのが、超ポジティブ思考の強さである。
 それは、時には死を思わないではなかったほどの苦悩の時を突き抜けたところにある前向き思考なのだ。

 伸行氏が得意のとき見せるという「伸りんダンス」は、それを目にする者を幸せな気分に包み込む。彼の演奏によって繰り出されるピアノの音は人に生きる勇気を与えるだろう。
 いつ子さんの著書「のぶカンタービレ!」には、指揮者の佐渡裕氏の次の言葉が引用されている。
 「あの時瞬時に感じたのは、伸行くんが心底音を楽しんでいる感覚でした。初対面の時にいきなり『弾いてよ』と頼んだときもそうでした。彼の身体全体からキラキラした音が飛び出してきた。まるで伸行くんにだけスポットライトが当てられているようにすら感じたものです。演奏を聴きながら涙が止まらなかった。彼についている音楽の神様が姿を現したような瞬間でした」

 同時代に生きる者として、伸行氏がこれからもそんな奇跡の瞬間をつむぎ出し続けてくれることを心から願う。

レスラーという生き方

2009-07-14 | 映画
 守るべき生き方や自己像などというものとはとことん無縁だった「ディア・ドクター」の愛すべき主人公とは対照的に、自分の生き様に不器用にこだわりぬいたのが映画「レスラー」でミッキー・ロークが演じたランディ・ザ・ラムである。

 全盛期にはマジソン・スクエア・ガーデンを興奮する観客で埋め尽くし、雑誌の表紙を飾るほどのスター・プロレスラーだったランディが、20年を経た今はドサ回りの興業に出場し、わずかな手取りでその日暮らしのような生活を送っている。
 トレーラーハウスの家賃を支払うために近所のスーパーでアルバイトをしてしのぐような日々・・・。しかし、彼は誇りをもってレスラーであり続けようとするのだ。

 監督ダーレン・アロノフスキーが制作費を大幅にカットされてまでそのキャスティングにこだわったという主演のミッキー・ロークは、まさに彼自身のキャリアが滲み出たような好演で観る者の魂を震わせる。
 自らの生活を省みることのなかったツケなのか、心臓発作に倒れ、唯一心の拠り所にしたかった女性とは心を通わせることができず、娘からは決定的に拒絶されてしまうランディ。
 彼にはレスラー仲間こそが家族であり、帰るべき場所もリングの上でしかなかったのだ。たとえそれが死を意味したとしても。

 20数年前のミッキー・ロークを知っているものにとって、この映画で久々に観た彼の「変わり果てた」姿には胸を衝かれる思いがするだろう。それはまさに主人公ランディの姿と二重写しとなって観る者をドラマの中に引き込んでいく。
 それは私たち自身が投影された姿でもあるのだ。
 マリサ・トメイがいとおしいまでに好演した、ランディが心を寄せるストリッパー、キャシディもまた、まっとうな人生をと願いながら自分たちの居場所を探し続ける。
 彼らはともに闘う人間なのである。この映画は、何者かであろうとして闘う人々へのエールであり、檄でもあるのだ。
 闘いの先にある栄光とその意味を痛みの感覚とともに教えてくれる、とても勇気づけられる映画だ。

ディア・ドクター

2009-07-13 | 映画
 誰かが誰かになりすますことは犯罪なのだろうか。

 誰かになりすますことで相手を信用させ、そのことによって引き起こされる犯罪が決して珍しくないという事実はとても興味深い。そこにはおそらく人間心理をくすぐる何か秘密のようなものがあるのだろう。
 オレオレ詐欺もその一種であるが、高齢者を対象に近親者への愛を逆手にとったえげつない手口や組織的な犯罪という点で興を削がれる。

 以前、話題になったニュースで、グループサウンズの元ボーカリストと称した犯人がカラオケ大会の審査委員長をやっていたという事件があるが、これには興味を惹かれた。この人は他の場所でもまったくタイプの違うロックグループのボーカルになりすましていたという。
 この誰かになりすますこと自体を目的化したような性癖は何に起因するのだろう。
 これによって金銭をせしめた点は許しがたいにしても、彼を目にしていた聴衆はそれなりに楽しんだのだろうし、それほど目くじらを立てなくとも・・・などと考えるのは不謹慎だろうか。

 それにしても、昔からバラエティのテレビ番組では有名人にそっくりな人のショーがあり、物真似番組が高視聴率を得たりしているのを見ると、人は本質的にそうした「まがいもの」に心惹かれるものなのかも知れない、などと思ってしまう。

 西川美和監督の映画「ディア・ドクター」を観ながら、そんなことを考えていた。
 山あいの小さな村で、まるで神様のように慕われていた医師が、ある日突然失踪する。やがて事件は思わぬ方向へ進み、誰もが思ってもみなかったような事実が明らかになる・・・。
 「ディア・ドクター」についてはすでに多くの新聞評などでも紹介されているからネタはすでに明かされていると思うけれど、主人公の医師はいわゆる無資格医、すなわち医師になりすました人物なのだ。

 西川監督があるフリーペーパーのインタビュー記事で次のように話している。
 「(笑福亭鶴瓶が演じた主人公の医師)伊野という人間には、志というものについては一切匂わせず、ただ目の前にあることに対しての対応能力だけで書いていきました。ところがそういう人物が、相馬啓介(瑛太が演じた)のような人の目を通して見ると、志に見えてしまう。だけど実際は伊野は、根っこのところは全然空洞みたいな人間だと。そういうのがやりたかったんです」

 主人公には誰かになりすますという意図ははじめからなかっただろう。ただ、村人たちのこうあってほしいという願望に寄り添うようにして医師という役割を演じているうちにぬきさしならない状態となり、彼は神のような存在にまでなっていく。空洞のような彼は、村人の期待や願いを吸い込みながら、膨れ上がった風船のように大きくなっていくのだ。その容量がパンク寸前にまでなった時、彼は失踪を余儀なくされたのである。
 むしろ気弱で自己主張のない主人公が自分ではない別人になるという設定は、ウディ・アレンの映画「カメレオンマン」を想い起こさせる。

 刑事二人を狂言回しとして、村人や関係者の声が聞き込みの過程で明らかにされるが、誰も本心は明かさない。闇は深まるばかりで、刑事も主人公を捕まえることはできないまま物語は終わる。

 映画のなかで挿入される美しい田畑を風が走り、稲穂が揺れる光景について、登場人物たちの心理のゆれを表現したものとの批評があった。
 私には、宇宙的な視点から自然が人間にもたらした慰藉としての「そよぎ」でないかと思える。自然はあらゆる人の営為や欲望を否定することなく受け入れる。それは必要なことだったのだと。

 それにしても天性のコミュニケーターである笑福亭鶴瓶が造形した主人公像は本当に素晴らしい。登場人物たちの複雑な心理の綾をくっきりと描き出した西川監督の手腕も見事だ。勢いを増しつつある日本映画の実力を示したものとして評価したい。
 ちなみに西川監督が書いた原作本は今週にも結果が発表される直木賞候補作品でもある。楽しみな才能だ。

 ラストシーン、八千草薫演じる病床の老女が眼にしたものについては意見が分かれるだろう。
 私は、彼女の願望がもたらした美しい幻想と見た。現実でないからこそ救いがある。

大地の芸術祭

2009-07-10 | アート
 7日付の毎日新聞夕刊に、新潟県十日町市と津南町で3年ごとに開催される国際芸術展「大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ2009」の紹介とともに総合アートディレクターを務める北川フラム氏の談話が載っている。
 4度目となる今回の「大地の芸術祭」には、38の国・地域からアーティストが参加、約350作品が紹介される。

 山や川、棚田など「その場特有の魅力をアートで再提示する」試みであり、農業の衰退が進み、壊滅的な状態となっている地域、場所において「美術が、アーティストが何ができるか。提示を試みた」と北川氏は言う。
 「あるものを徹底的に生かすのは、大地の芸術祭の特徴の一つ。美術は赤ん坊みたいなものです。手間がかかって生産性はないが、皆が大事にして、大人同士をつなぐ核にもなる」
 「厳しい課題を抱えた地域ほど、アートの可能性が発揮される、と思っています。生産性のないものを寿ぐことで、金銭的な価値観とは違う意味が生まれ、新たな誇りを持てるからです」

 この記事から考えられるアートの特質は次の3点ではないかと思う。
 1つは、特定の地域にアートを持ち込むことによって、その土地が本来的に持つ特有の美を再発見するとともに、そこに生きる人々の暮らしに思いを寄せること。
 2点目は、アートが入り込むことで、そこにある地域の課題や現実を表現として人々の前に提示すること。
 廃校13校を使った展示は今回の目玉だが、それはとりもなおさず過疎化が止まらない現実を如実に示すことでもある。
 3点目は、アートに生産性はないが、時間をかけてアーティストと地域の人が相互理解を深めながら大事に創り上げ、育てる過程で、金銭や物質的豊かさには還元できない新たな価値が生まれるということ。

 地域の人々の生の声が記されていないので一概に結論付けることはできないとは言え、ここにはアート本来のあり方のようなものが確かにある。
 文化政策という時、私たちは疑いもなく功利主義的な考え方をしがちである。そこでは、町おこしのため、地域の活性化のため、産業の振興のため等々、「~のため」にする議論が大手を振るう。

 そうではなく、生産性のない、何の役にも立たないものとしてのアート本来の魅力にこそ私たちは目を向けるべきなのだろう。
 そこには、これまで見たことのない、わくわくするような、生きることを鼓舞するような何かがあるはずだ。

ボランティアという思考

2009-07-09 | 文化政策
 5日、「にしすがも創造舎」を会場として行われた豊島区の文化ボランティアセミナーの一環として行われたシンポジウム「文化ボランティア活動の可能性」に機会があって参加した。
 「文化ボランティア」という言葉は昨年亡くなった前文化庁長官の河合隼雄氏が普及させようとして造った呼称なのだけれど、何が「文化」で何が「ボランティア」かというのは人それぞれに解釈や理解が異なり、それをひと括りにして語ろうとすると意外とややこしい話になる。この日出席していたパネラーもそれぞれの立場で異なった活動をされている方々である。
 このセミナーにしても文化ボランティアの育成を目的としているようなのだが、この日のシンポジウムはともかく、それを座学として「学ぶ」という設定は難しい、というか少しポイントがずれているのではないかと思ったりもする。

 さて、パネリストの方々は、「原爆の図丸木美術館」学芸員の岡村幸宣氏、池袋の廃校となった小学校を地域の活動の場「みらい館大明」として転用、その運営を担うNPO法人いけぶくろ大明理事長の杉本カネ子氏、(株)ヌールエデザイン総合研究所代表で「目白バ・ロック音楽祭」実行委員長だった筒井一郎氏、読み聞かせ活動を展開する「ドラマリーディングの会」代表の福元保子氏など多士済々である。
 
 会場からは、ボランティアの人々は、本来行政が担うべきことを体よく代替させられているだけなのではないかとの質問もあったが、おそらくそうではないだろう。
 もちろん「文化ボランティア」そのものの解釈に人それぞれ違いがあるように、実際の活動の様相も形態も異なりはしても、パネラーの発言から伺えるのは、誰もがしっかりとした目的意識を持ち、そこに社会的意義と自己実現を結びつける「物語」を持っているということだ。
 そうしたなか、「目白バ・ロック音楽祭」を企画運営していた筒井氏のからは何度も事業計画という言葉が聞かれた。営利目的でないとはいえ、1億円規模での事業を運営する場合、そこには冷徹なビジネスセンスが求められるのである。
 それはもう行政の思惑などはるかに超えた公的存在としての確固とした意義を有するものである。

 最近読んだビジネス書、神田昌典著「全脳思考」のなかに次のような一節があり、シンポジウムでの話を思い浮かべながら深く感じるものがあった。以下引用。
 「今までメインストリームではなかった存在を中心に据えることにより、思考の枠が広がり、今まで考えつかなかったことが不思議なくらい簡単な、しかも効果的な解決策を生み出すことができるようになるのではないか。
 私はそうした考えから、いくつかの社会福祉法人を訪れたことがある。(中略)
 そこで衝撃を受けたことのひとつは、社会福祉法人の経営者は、通常ビジネスで名経営者と言われている人の、何倍も優秀であることだった。障がい者のための作業所を設立するために、もらった賞与はすべて寄付してきた元教師。何年も街頭で募金を呼びかけ、バザーを開催してきた元OL。
 困難をものともせず、なすべきことを実行し、必要なことを実現していた。
 発想力、そして行動力に溢れた大変魅力的な人たち・・・(中略)
 共同作業所で働く障がい者の平均給与は月給1万円程度。そうした中で月5万円、7万円と支払えるように大変な工夫をしている。
 (中略)正直、不況だとあえいでいる通常のビジネスが、ぬるま湯につかっているとしか思えないほどのショックを受けた。」

 文化ボランティアあるいは福祉ボランティア、もしくはNPOなど、どういう組織形態だろうが、どう呼ばれようがかまわないのだけれど、これまでとはまったく違った視点から社会的問題の解決に取り組む人々の存在がこれからの社会には絶対的に必要なのである。
 彼らと話をしながら、私はそのことを確信する。



飛翔する音楽

2009-07-06 | 音楽
 4日、東京芸術劇場で西本智実指揮の東京交響楽団を聴いた。
 東京文化会館が都内の自治体や団体と共催して、若手アーティストを発掘・支援するという役割も担った演奏会で、今回は若干17歳のヴァイオリニスト成田達輝が出演、チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲を演奏した。
 恐れを知らない17歳というべきか、真っ直ぐ力いっぱいにその技量を示した演奏ぶりは微笑ましくも頼もしい。西本智実もまた彼を前面に押し出すようなサポートに徹した指揮で実に好ましい。
 それにしてもどれだけの時間の積み重ねを経てこうした演奏が成り立っているのかと思うと、思わず襟を正したくもなるけれど、正そうにも怠惰が骨の髄まで染み込んだ私には感嘆の声を出すことしかできない。

 さて一転、休憩後のチャイコフスキー:交響曲第5番は西本智実の独壇場であった。
 人気のあるスター指揮者ゆえ、開幕前のロビーでは、CD購入者にはサイン会の特典ありとのアナウンスでそのCDが飛ぶように売れていた。
 会場内のすべての眼と神経が彼女の一挙手一投足に集中するなか、その指揮棒やダンサーのように舞い、振りかざす腕の先が演奏者一人ひとりとつながり、ダイナミックな音をつむぎ出していく。
 
 私はクラシック音楽ばかりか音楽そのものにまったくの門外漢だから感想めいたことしか言えないのだけれど、音楽は常に身近にあって助けてくれるかけがえのない存在だ。
 酔いどれ作家のチャールズ・ブコウスキーが日記に書いている。
 「ああ、そうだった、クラシック音楽というものが存在するのだ。結局はそれに甘んじなければならなくなる。」
 「ラジオからはマーラーが流れている。彼は大胆な賭けに出ながらも、いともやすやすと音を滑らせる。マーラーなしではいられない時がある。彼は延々とパワーを盛り上げていってうっとりとさせてくれる。ありがとう、マーラー、わたしはあなたに借りがある。そしてわたしには決して返せそうもない。」

 その日、私は1階席の最後尾にいた。そのせいか、指揮者を中心に演奏者たちはぎゅっと固まって見える。指揮者自身が自分の周りにぎっしりと楽器を配置した奏者のようだ。
 女性としては大柄であるにせよ、大身長躯の男性指揮者と比べたら断然きゃしゃで手足も短いはずの西本智実がひとたびタクトを振るうと、まるで舞台上のすべての楽器に彼女自身の手が伸びてそれを演奏しているかのような一体感が生まれるのだ。
 指揮者は紛れもないパフォーマーなのである。

 舞台上のパフォーマンスは躍動する情動と冷徹な精神の絶妙なバランスによって成り立っている。それを支えるのはなんといっても長い気の遠くなるような鍛錬によって培われた肉体なのだ。
 優れた現代舞踊のダンサーのように華麗に飛翔し続ける西本智実を見ながら、私は、あらゆる芸術が汗を伴う労働によって賄われるということを今さらのように実感していた。

ヒノキブタイ

2009-07-04 | アート
 今月1日、東京芸術劇場アトリウム前の広場でアートプロジェクト「ホーム→アンド←アウェー」方式[But-a-I]を展開している日比野克彦氏の講演を聞く機会があった。
 [But-a-I]は、2000本以上の尾鷲ヒノキの間伐材を使って組み上げられた舞台で、文字通りのヒノキブタイであり、9月までの間、そこではさまざまなイベントやワークショップなどが繰り広げられる予定である。
 
 講演は、日比野氏が美術を志した高校生の頃の話にはじまり、興味深い話が続いたが、2003年の第2回「大地の芸術祭越後妻有アートトリエンナーレ」において、新潟県十日町市莇平(あざみひら)で地元の住民との交流を促進する目的で、集落の廃校になった木造二階建ての小学校を拠点とし、住民たちと一緒になって朝顔を育てた話が面白かった。
 当初、廃校の空き教室に集まった30人ほどの地域の人々は、東京からやってきたアーティストを遠巻きに見つめるばかりで言葉少なかったのだが、ぽつりぽつりと話をするうちにふと朝顔を育てる話になり、日比野氏の近くにいたおばあさんがやおら身を乗り出して「農作業なら負けねえ」と顔を輝かせたのだとか。
 これをきっかけとして徐々にコミュニケーションを深めていった日比野氏と住民たちは、共同して校舎の屋根まで180本のロープを張り、建物を朝顔で覆い尽くした。
 その夏、山深い人口200人の村には3000人もの人々が訪れたという。

 2004年からもその前の年に採れた種を使って、朝顔の育成を莇平で続けることとなった。
 植物の育成という創作活動に関わることが地域との関係を深めることになり、それが繰り返され、連動していくことによって、人と人、地域と人との関係性が深まっていく。
 2005年には水戸芸術館において新潟で育てた朝顔を育成することとなり、朝顔の苗と新潟莇平の人々を水戸の人たちが迎え入れた。
水戸芸術館には300本のロープが張られ、新潟生まれ水戸育ちの朝顔が誕生、2万人の人が訪れた。
 このように朝顔の種をさまざまな地域に運び、それをキッカケとして人々の交流を促進するというこのプロジェクトは今では全国に広がり、2009年5月時点で22の地域において展開されている。

 朝顔の種が巻き起こす人々の動きによって日常の様々な事象が混ざり合い、時間の経過とともに生活している人々も変容していく。
 自分たちは種を送り出す立場でもあり、同時に種を受け入れる立場でもある。自分の地域から自分が出掛けること、自分の地域に他人を出迎えることが、地域社会を活力あるものにする。
 これらは芸術の根本の意味を問いただすことにも繋がり、創造する起動力としてのこのような試みを日比野氏は『「ホーム→アンド←アウェー」方式』と名づけたのである。

 ここには、アートの表現において、他者との間に対話という回路を開き、相手にも触発されながらものを創り、そのことによって他者とも繋がっていくというダイナミズムがある。先端的なアートを啓蒙的に見せつけるのではなく、地域住民や観客、共同する人々と同じ目線に立ってそっと寄り添うような柔らかな姿勢があるのだ。実に面白い。

 この日、芸術劇場前のヒノキブタイでは、芸術監督に就任したばかりの野田秀樹氏が多摩美術大学の学生たちとワークショップをやっていて、日比野氏の講演は早めに終え、皆でそれを見学することとなった。
 舞台上の学生たちを観客席で見る私たちを外側から見る通りすがりの人たちがいる。これもまた面白い。

 ワークショップは延々と続く。同じ動作の探求が続き、観客席も次第にまばらになるのだが、私はそれをじっと見続けながら心の平穏を感じていた。
 気がついたのだが、この感じは、原っぱで行われる草野球を遠くからぼんやり見ている時の気持ちに似ている。
 こうして「演劇」も日常の光景に溶け込んでいくのである。

国立の? マンガ喫茶?

2009-07-02 | 文化政策
 国立メディア芸術総合センターをめぐる議論がかまびすしい。
 その是非については、税金の無駄遣いとして政権与党を批判する勢力や政権内にありながら「国立のマンガ喫茶」と揶揄した元大臣のみならず、アニメ界など関係者の間でも意見が分かれている。

 なぜこうした事態になったのだろう。安倍政権の頃から検討されていたというなら、今このタイミングで、しかも補正予算という形で出された理由は何なのか。
 117億円という予算規模を桁外れのムダと見る向きもあれば、テーマパークのアトラクション1個程度に過ぎないこの予算で何ができるのかと疑問視する意見もある。

 最近は頻繁にこの話題が新聞に載るものだから、様々な意見があるものだと思うけれど、どれも一理あって、読むたびにそうだなあと頷くばかりで我ながら誠に情けない。
 里中満智子氏の言うように、すでにその多くが失われたばかりか、劣化が著しい原画を保存・修復することの意義や、海外で海賊版が出回るなか、この施設によって著作権者は日本にいるとアピールすることの必要性を訴える意見には説得力がある。
 その一方、現場は疲弊しており、作品を制作できなくなりつつある状況下で、発信・アーカイブに予算を投入しても意味はないという意見の切迫感も胸に迫る。

 日本動画協会によれば、動画の仕事の9割超は海外に流出しているというし、国内の制作会社では、1人あたり年間300万円の売り上げしか確保できない状態だという。
 今の日本では新人育成のための土壌がやせ細り、すでに若手が育っていくというシステムが壊れつつあるのだ。
 こうした事態は他のものづくり産業とも共通した構造にほかならない。
 かつては漫画を読むとバカになると言われ、悪書扱いにされ焚書まがいの運動まであった時代と引き比べるとまさに隔世の感があるのだが、国家レベルでそれを守ろうと考え始めた時、すでにそれは衰退の道を辿り始めているのかも知れない。
 本気でメディア芸術を発展させようとするのであれば、しっかりと議論し、課題を明らかにしながらその克服に向けて総力をあげて取り組むべきだ。
 結局、この施設を作って国が何をしようとしているのかが伝わってこないということに問題があるのではないだろうか。

 近年、各地域でマンガやアニメを核とした「街おこし」が盛んになりつつある。
 それらは単に海外でも評価の高いアニメやマンガを観光の目玉にすえて人集めをしようということかも知れないのだけれど、せっかくの機会である、人材を育て、産業として成り立つような創造環境をいかに整備するかということについて真剣に考えたいものだ。

アーティストの言葉

2009-07-02 | アートマネジメント
 美術をはじめ、文学、演劇、ダンス、映画、アニメ等々、いずれの分野でもよいのだけれど、それを創る作家=アーティストがいて、それを鑑賞する観客、読者など受け手となる人々がいる。
 また、その中間には、編集者や学芸員、制作者など、作品づくりをサポートする立場の人々がいる。さらには、スポンサーや出資者など、アーティストを物心両面で支援することに意義を見出す人たちもいるだろう。
 創造された、あるいは創造されるであろう「作品=表現」を核としながら、様々な立場の人がそれぞれの欲求や考え方のもとに生活し、それが成り立っているという事実は思えばとてつもなく面白いことである。

 アーティストの独自の表現=創造性=作家性はどこまで擁護されるべきなのかということについて考えたい。それは、守られるべきものではなく、作家自身が戦って得るべきものではないのか。
 以下、考察のための個人的なメモ書きである。論理的には飛躍があるかも・・・。

 時の為政者=権力者が文化を意のままにしようする欲望は洋の東西を問わない。彼らはみな、自らを称揚し、賞賛する曲を奏でさせ、詩を書かせようとする。
 誰もが権力者ではないにせよ、誰でも自分好みの絵を描かせたがるものだ。

 「月曜日は最悪だとみんなは言うけれど」(村上春樹編・訳)のなかにD・T・マックスが1998年8月のニューヨーク・タイムズ日曜版付録「サタデー・マガジン」に寄稿した「誰がレイモンド・カーヴァーの小説を書いたのか?」という文章が収められている。
 カーヴァーの初期作品のいくつかには、編集者ゴードン・リッシュがかなり大幅に手を入れていたという事実が、新しい資料から発覚したことに端を発するこの記事は、アメリカ文壇および読書界に大きな波紋を与えたようだ。
 「これは実のところ、編集というカテゴリーには留まりきらず、見方によってはむしろ「共同執筆」と呼んでもいいほどの大がかりなものであった。その事実は果たしてレイモンド・カーヴァーの価値を貶めることになるのだろうか?」・・・と村上春樹は解説に書いている。

 ゴードン・リッシュの作家的欲望が編集者としての領分から足を踏み出してしまったのだ。
 これはあまりに極端な例であり、到底受容し難い事実であるとしても、多かれ少なかれ、作家と編集者との間には、ある種の共同作業的な部分があるというのは事実だろう。
 しかし、その共同作業であることが直ちに作家の創造性に疑問符を投げかけるものでないことは当然のことであると私は思う。
 それは、作家の中にあって未だ見えないものをいかにより良い「表現」として読者=観客の前に引き出すかという、そのための「作業」にほかならないからである。

 俳優と演出家の関係もまた同様の意味を持つ。

 それがどの分野であれ、アーティストが作品を創り出す過程において関わるあらゆる人々によって触発され、批評されながら、より独自性の高い表現を創り、観客に作品を届けるためのより望ましい形へと昇華させるという作業は、必要不可欠なのだ。

 美術館の学芸員の仕事は、美術作品固有の価値や作品が制作された背景などを社会的文脈のなかにきちんと位置づけ、解説しながら、鑑賞者のもとにより望ましい形で届けることをミッションとするものだろう。そのために展覧会場の配置や構成に苦心し、図録やパンフレットのなかに書く言葉を選ぶのだ。いかなる広報媒体を選び、そこでどのように作品の魅力を提示し、観客の関心を喚起するかという戦略もまた重要な仕事である。

 同じ意味において、舞台芸術の制作者もまた、その作品が創られた意義や上演することの社会的な意味を観客の前に示すことで劇場に足を運んでもらわなければならない。
 もし創り手の言葉が未成熟で、そのままでは無用な誤解を与え、観客のもとにきちんと伝わらないと思われた場合、それを正していくのは制作者としての責務である。

 あらゆる表現=作品は、社会的関係性の中で生成され創造される。
 その制作過程に関わるあらゆる人は、どのような形であれその作品に影響を及ぼし得るし、そうである以上、その作品がもたらす社会的な波紋や批判に対しても真摯に向き合い、責任を持たなければならないのだ。
 アート作品が、時に社会的常識に異議を唱え、まったく新しい視点を提示すること、さらには権力者に徹底的な痛罵を浴びせさえすることは自明のことだ。アートとはそうしたものだからである。
 しかし、健全な市民の営みを揶揄したり、無用に傷つけ、否定したりすることには留保条件をつけなければならないのではないか。

 アーティストの言葉だからということでそれを無自覚なまま放置し、批判をシャットアウトしようとすること、対話の道を閉ざしてしまうことは制作者としての職務放棄であるとさえ感じる。

 政治的中立の確保や「アームズ・レングスの原則」遵守は当然のこととして、創造の過程であらゆる声に耳を傾け、回路を開いていくことこそがこれからのアーティストには求められるのではないか。
 独りよがりの表現者は、結局それなりのものしか得ることはできないだろうと思うのだ。