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流野精四郎&東澤昭が綴る読書と散歩、演劇、映画、アートに関する日々の雑記帳

記憶と捏造

2023-03-24 | ノート
昨年秋口から今年に入って2月中旬までの4か月間ほど、必要があって昔仕事で関わったあるプロジェクトのスタートから数年間の経緯を私なりの視点で書き残すという作業にかかりきりになっていた。
具体的に言うと、豊島区の西巣鴨にあった中学校跡施設を文化芸術の創造拠点として転用した《にしすがも創造舎》をNPO法人の人たちと協働で立ち上げた経緯を関係者の一人という立場で書くという作業である。
《にしすがも創造舎》そのものは2016年12月に惜しまれながらも12年間の活動に幕を下ろしてしまったのだが、その歴史的意義や影響も含め、どのように課題やアクシデントを乗り越えながら事業を進めていったかを記録として残すことには大きな意味があると思ったのだった。

問題はその立ち上げに取りかかったのがもう18年も昔のことで、細部の記憶が曖昧になっている部分が思いのほか多いということだった。
強烈な印象とともにはっきりと覚えている出来事もあれば、ぼんやりとしてはっきりしないこともあり、それこそまだら模様の記憶なのである。
そうした時に頼りになったのが公式の会議に提出した資料であり、さらにはそれを補完する手帳のメモや組織内で情報共有するために私が書き残しておいた議事録の類なのである。
むしろ公式のものよりも、メモ書きのようなものの方が記憶を喚起され、当時の胸の高まりや不安のようなものまでを含めて臨場感を持って呼び起こされるように感じ、大いに役立ったように思う。

しかし、それらはあくまで個人的なメモ書きでしかなく、それの正確性や真実性を証明する手立てはないのだ。
昨今話題の放送法の解釈変更に係わる総務省の行政文書同様に、それを捏造された記憶であると言い張る人が現れた場合、それを反証することはなかなか難しいと言わざるを得ないのである。

今回私が書き残した文章はあくまで一担当者の視点から書く、という前提付きだから良いようなものの、別の人々がそれぞれの立場や視点からまったく異なった物語を書くこともまた可能なのである。それを否定することは誰にも出来ないのだ。

人の数だけ思い出はあり、人の数だけ真実がある。
極論してしまえば記憶は捏造されるものなのである。

であるならば、すでに幕を下ろしてしまったはずのそのプロジェクトの事業の数々が、まだまだ活発に継続しているさまを想像することなど実に容易なことではないだろうか。
10年後あるいは20年後に私の捏造された妄想がいつの間にか真実に変容して歴史に刻まれていることもまたあり得ることなのだ、と私は一人ほくそ笑むのである。



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