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流野精四郎&東澤昭が綴る読書と散歩、演劇、映画、アートに関する日々の雑記帳

水辺を散歩

2022-03-01 | ノート
 私の家から、かつての日光御成街道岩淵宿のあった場所までは徒歩15分ほどの距離で、さらに荒川と隅田川が分岐する旧岩淵水門まで行って帰ってくると約一時間、6千歩ほどとなって散歩にはうってつけである。瀬戸内の海辺に生まれ育った私にとってこうした水のある場所で過ごす時間はとても心地よく、かけがえのないものだ。



 ある日、隅田川の支流である新河岸川の上をたくさんのカモメが飛び交い、土佐日記にあるように、「今し、かもめ群れゐて遊ぶところあり」という風情だった。橋の欄干に群れをなして止まっているのを見て、慌ててカメラを向けたのだったが、みな一斉に飛び立ってしまい、写っていたのは置いてきぼりをくって何とも頼りなさそうな一羽だけなのだった。
 少しユーモラスな顔つきに見えなくもないのだけれど、チェーホフの「かもめ」に出てくるトレープレフに撃ち落されて剝製にされてしまったカモメのようでもあり、そうなると様相は一変する。女優とはなったものの夢破れたニーナの悲痛な「わたしはカモメ……」という叫びが聞こえてきそうで、この画像に残ったカモメに何だか同情したくもなってくるのだ。



 そのカモメを写真に撮った場所から上流に数百メートル遡ったここは岩淵の渡船場跡である。源義経が奥州から兄頼朝のもとに参じる途次、ここを通ったとある。ちょうど今、大河ドラマ「鎌倉殿の13人」で描かれている時代だ。
 800年以上も昔のこととなれば伝説と化してロマンを纏うのだろうが、結局は己らのために相手方を討ち果たそうとする妄執であり、我執なのだ。現代の他国を侵略しようとする独裁者の夢と何も変わらない。そんなことを考えた。



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