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流野精四郎&東澤昭が綴る読書と散歩、演劇、映画、アートに関する日々の雑記帳

「演劇の街」をつくった男

2018-12-11 | 演劇
 『「演劇の街」をつくった男~本多一夫と下北沢』(徳永京子著)を面白く読んだ。そういえばそうだったなあ、と思い出すことが沢山あったのだ。
 1981年3月にオープンした「ザ・スズナリ」は、当初、本多一夫氏が俳優養成を目的として1980年に開いたスタジオの稽古場兼発表の場だった。それを是非とも劇場にすべきだと直談判したのが転位・21の作・演出家:山崎哲氏だったという。
 「ザ・スズナリ」が開館してすぐ転位21は「うお傳説~立教大助教授教え子殺人事件」を上演したのだが、あれはもう37年も昔のことなのだ。流山児祥さん主宰の「演劇団」で私と同期だった女優が出演していたので観に行ったのだったが、ちょうどその頃近所に住んでいた先輩の俳優・龍昇さんに感想を聞かれて「いまいちですかね」と言ったら「ばか、あれはとてつもない傑作だぞ」と一喝されたのを懐かしく思い出す。翌年、同作で山崎哲氏は岸田戯曲賞を受賞したのだから、当時から私には見る目がなかったということなのだ。

 本多一夫氏の≪私的≫活動である民間劇場運営が、多くの若手劇団を育て、それぞれの時代を代表する演劇の一大潮流を生み出すという≪公的≫な成果を成し遂げている、それは実に素晴らしいことなのだ。それは税金を投じて運営される「公共劇場」に決して引けを取らない、むしろそれらを凌駕してあまりあるという事実は実に賞賛に値する。

 本多劇場グループの劇場を使った劇団の多くが口にするのがそのホスピタリティの高さである。こうした信頼と評判はそう簡単に築けるものではない。芝居の創り手の気持ちに寄り添い、良い舞台を一緒になって作り上げるための環境づくりに徹する心構えがスタッフの意気込みとして浸透していることが何よりも大きい。それこそが本多氏の演劇を愛する姿勢のあらわれであるだろう。