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流野精四郎&東澤昭が綴る読書と散歩、演劇、映画、アートに関する日々の雑記帳

バタフライ効果

2012-01-03 | 言葉
 1876年、グラハム・ベル、エリシャ・グレイ、トーマス・エジソンといった人々によって電話が発明されたが、それは当時の最新技術であった新型電信機の開発競争の中で生み出されたものであった。今の電話とは似ても似つかないもので、当時の人々は誰も実用化に値するものとは思ってもいなかった。

 1874年、モネ、ピサロ、ドガ、ルノアール、セザンヌ、シスレーらによって「画家、彫刻家、版画家の匿名協会」と題する展覧会が開催された。印象主義の誕生であるが、当時彼らの作品は人々に受け容れられず、嘲笑の的だった。
 マネの作品「印象、日の出」を観た新聞記者は「なるほど、印象的にヘタクソだ」と揶揄し、それが印象派の名前の由来となったという。

 1903年12月、ライト兄弟は自ら製作したライトフライヤー号により、人類初の動力飛行に成功した。4回の飛行実験を行ったが、4回目の飛行は59秒間、260メートルだったという。
 この成功に当時の人々はまったく冷淡で、あるアメリカの科学者は「機械が飛ぶことは科学的に不可能だ」とのコメントを新聞に発表した。飛行機が実用化されるなどとは誰も夢にも思わなかったのだ。

 1953年、パリのバビロン座でひとつの作品が上演された。サミュエル・ベケットの「ゴドーを待ちながら」である。後には演劇の概念を変えた不条理演劇の傑作とされ、今も世界中で上演される作品だが、当時、聴衆の反応の9割は無視か敵視だったという。

 モダン・ダンスの大家マース・カニングハムが若かりし日に、前衛音楽家ジョン・ケージとオハイオの美術館で公演を行ったが、それを観た人々は感情的な悪口を言うばかりで、若い2人はがっかりしてニューヨークに帰った。
 ところが10年後、ある人がジョン・ケージとカニングハムに向かい「私の人生はあの晩、変わったのです」と告白した。発明品や形の残る美術作品とは異なり、夢にように儚い芸術である舞踊が観客の心に残り続け、その人の人生まで変えてしまったというのだ。

 ある小さな行為や取るに足らないと思われた試みが、のちには世界を変えるような力を持つことがある。

 ドラッカーは、著書『新しい現実』(上田惇生訳/ダイヤモンド社)に次のように書いている。
 「数学的に厳格に証明され、さらに実験的にも証明された法則によれば、アマゾンの熱帯雨林で羽ばたきする蝶は、数週間後あるいは数ヵ月後、シカゴの天候を変えることができるし、事実、変えることがある」
 有名な「バタフライ効果」と呼ばれるものであるが、この言葉には何とも言えず勇気づけられる。

 さらにドラッカーは、未来を知る=予測する1つの方法は、自分で未来をつくることである、と言っている。
 単純に言えば、子どもを1人つくれば、人口が1人増えるといった話であるが、それと同じように、たとえ小さな会社でも何か事業を起こせば、世の中を変えてしまう可能性を持つ。歴史はそうやってつくられるのだとドラッカーは言う。
 歴史とは、ビジョン=夢を持つ1人ひとりの起業家がつくっていくものなのである。

 最初に記述したいくつかの挿話は、そうやって未来を創っていった人々の話である。
 蝶の羽ばたきのようにはかなく頼りないものかも知れないが、今日、私たちが取り組む「仕事」が明日の世界を創るのだと信じて、一歩、そして次の一歩を踏み出そう。