seishiroめもらんど

流野精四郎&東澤昭が綴る読書と散歩、演劇、映画、アートに関する日々の雑記帳

仕事について

2011-12-31 | 雑感
 ごく当たり前のことだけれど、この世界には実にさまざまな職業があり、仕事がある。
 多くの人はその仕事を通して日々の糧を得、それによって生活している。
 思えば実に不思議なことだ。一般的に考えれば、生計を維持するための仕事とは、何か具体的なモノを作り出し、それを何らかの形で販売したり買ってもらったりすることで対価を得ることであるはずだ。
 ところがそんな定義づけにおさまらない仕事というものが世の中にはたくさんあって実に面白い。

 小さなボールを誰よりも正確に速く投げ、それを木の棒切れで遠くへ、誰もいないところへ打ち返す力を持っていることで多くの報酬を得る人がいる。
 米俵で囲まれた土のうえに相手をねじ伏せたり、突き出したりすることで栄誉と給与を得る人がいる。
 たくさんの観客の前で人を投げ飛ばしたり、拳で殴って気絶させたりすることで喝采を浴びる人がいる。
 小さな盤のうえで展開する駒や黒白の石を使ったゲームに強いことで名人と呼ばれ尊敬される人がいる。
 広い運動場、あるいは競技場を駆け巡り、ボールを相手よりも数多く相手の陣地に入れることで何百万人の人を興奮させる人がいる。
 誰もが考えつかない夢のようなことを紙に書きつけ、語りかけることで多くの人を幸せな気持ちにさせる人がいる。
 人前で音楽にあわせ奇妙な身体の動きをして飛び跳ねたり、くるくる回ったりすることで感動させる人がいる。
 ・・・・・・これらはしかし、人間の可能性のギリギリまで力を出し尽くし、自身にどこまでも正直に向き合っていることにおいて紛れもなく素晴らしい仕事なのである。

 一方、こんなことを仕事にしている人たちもいる・・・・・・。
 権力者と呼ばれる人の顔色をみて、その機嫌をそこねないよう気を配り、取り繕うことで対価を得る人。
 町の有力者や金持ちの人の前で愛想を振りまき、出資や寄付を募ろうとする人。
 組織のトップや上司の思いつきをどれだけ荒唐無稽なものだろうと実現するために汗水流し、部下を言いくるめたり怒鳴りつけたりする人。
 多くの人間が苦労して積み上げてきた計画を自分の意に沿わないからと反対して押し潰し、思い通りにさせようとする人。
 ・・・・・・それらこれらは、まさに鏡に映った私自身の姿でもある。

 働き方研究家の西村佳哲氏の著書「自分の仕事をつくる」の冒頭にこんな言葉がある。
 「人間は、『あなたは大切な存在で、生きている価値がある』というメッセージを、つねに探し求めている生き物だと思う。そして、それが足りなくなると、どんどん元気がなくなり、時には精神のバランスを崩してしまう。
 『こんなものでいい』と思いながらつくられたものは、それを手にする人の存在を否定する。」

 誰もが満足な職業につけるわけではない。けれど、それを価値あるものにするのも、こんなものでいいと諦めてしまうのも自分自身の選択なのである。
 誰のせいでもない。自分で選んだ道だもの・・・・・・、というのは有名な森本薫作「女の一生」の主人公・布引けいの台詞だが、せめて自分の仕事に対しては真っ正直に立ち向かっていきたい、と思うのだ。

言葉を発する

2011-12-31 | 言葉
 群馬県の伊勢崎市で陶芸をやりながら詩を書いている友人から何冊かの詩集・詩誌を送ってもらった。彼を含む3人の仲間で発行している詩集や彼が参加している同人誌である。
 それらを今ぼんやりと眺めるように読んでいる。
 いま、言葉を発するのが難しいときだ。それでもやむにやまれず表現しようとするのが人間なのだろう。語り得ぬものの前で沈黙するのではなく、あえて言葉を発しようとする行為、それは貴いものだと思うけれど、それをいかに受けとめるか、それは私自身の問題である。

 言葉を発することはおろか、それを読み、受容する方向に自身を押し出す力が希薄になっているようだ。これは衰退なのか、怠慢なのか。
 あふれる言葉を前にそれらの意味をつかみ取るにはそれなりの力が必要だ。
 こういう時、何となく惹かれるのが短歌や俳句、漢詩といった類の表現形式である。
 どうにも気持ちの弱ったときには、最近買った山川登美子の歌集や杜甫の詩などが不思議に心を慰めてくれる。
 これはそれらの定型的な表現様式が、とらえどころなく曖昧な言葉というものに一定の形=拠り所を与えているからなのか。

 1929年、萩原朔太郎は幼い2人の娘を伴い、老いた両親のいるふるさと前橋に戻った。
 13歳年下の妻が去り、家庭が崩壊しての帰郷だったという。
 詩集「氷島」の一編「帰郷」には、「昭和四年の冬、妻と離別し二児を抱えて」との添え書きがある。もっともこれには多分にフィクションが入っているそうだ。
 この「氷島」は朔太郎が切り開いた口語自由詩ではなく、文語調で書かれている。
 これについて朔太郎自身「明白に『退却』(リトリート)であった」と認めているそうだが、定型の詩にはそうした弱ったこころを慰めてくれる何らかの作用があることの証左かも知れない。

 さて、友人の詩をあらためて読み返していて、そのすばらしさに瞠目する瞬間がある。
3・11後の世界を彼なりの言葉で捉えようとする力があるのだ。
 「これから起こるかもしれないことと/起こってしまったことの間で/目を覚まし続ける」それらの言葉は、「結晶」となって私のもとに届けられた。

 そうした言葉の力に鼓舞される。私も目覚めなければならない。