seishiroめもらんど

流野精四郎&東澤昭が綴る読書と散歩、演劇、映画、アートに関する日々の雑記帳

トリツカレルということ

2010-06-30 | 言葉
 四世鶴屋南北は56歳でその名を襲名し、70歳で「東海道四谷怪談」を書いたそうだ。
 「お岩幽霊」の劇作家・坂口瑞穂氏はその芝居のパンフレットの中で南北のことをトリツカレタ男と形容している。
 南北は読み書きが得意ではなかったという説があるようだが、そんな老狂言作者が、深夜ひそかに筆を舐めつつお岩殺しの話を一字一字書き進めているという図はその怪談以上に怖ろしい。
 そのエネルギーというか執念の源はなんだったのだろう。

 27日の日曜日、立教大学で行われた市民向けのパネルディスカッションを聞く機会があった。
 「つながるいのち……いま生物多様性を考える」をテーマとして、東京女子体育大学の圓谷秀雄教授がコーディネーターを務め、横浜国立大学名誉教授の宮脇昭氏、立教大学理学部教授の上田恵介氏が話をした。
 宮脇昭氏は「今年わずか82歳」と自称される植物生態学者だが、世界中に4千万本の木を植えた男として知られる方だ。
 一昨日ロシアから帰国したばかりで明日にはもうモンゴルに旅立つという。劇場の暗がりに棲みついて、一つの町からからほとんど外に出たことのない私など、さしずめ純粋培養のひよわなモヤシでしかない。
 宮脇節とも言えるそのお話はまさにエネルギーに満ちている。ここにもトリツカレタ男がいた。

 その生物多様性だが、いまや日本では4つの危機にさらされているという。
 そのうちの3つが人間の営為によるものなのである。
 第1が、開発や乱獲など、人間活動による種の減少・絶滅、生息・生育地の減少。
 第2が、人間活動の縮小(里地里山などの手入れ不足等)による自然の荒廃。
 第3が、人間により国外から導入された外来種による地域固有の生物相や生態系の撹乱。

 これらもまた、何かにトリツカレタ人間たちの所業なのだろうか。


 

つれづれのこと

2010-06-27 | 日記
 先日、ある会の事務局をやっている人たち数人の集まりに参加した。特定の名前を出すと差し障りがあるかもしれないので、ある町の「歴史と文化を語る会」とでもしておこう。
 その会が設立から10年が経とうとしていて、その記念の本を作ろうということで盛り上がっているのだ。ホントウを言うと、盛り上がっているのは事務局をやっているMさんだけなのかも知れず、その危なっかしさに手伝おうと手を上げた奇特な方たちが集まって編集会議を催しているのである。
 私もなんとなく声をかけられ、その会に参加する事になったのだ。

 2時間ほど素面のまま真面目な会議をやり、煮詰まったところで飲みに出た。
 南池袋にある劇場シアターグリーンが数年前にリニューアルオープンし、さらに最近になってその1階部分がなかなかおしゃれなカフェになっている。そこで我々数人が陣取りワインを片手に話しに花が咲いた。

 その中で話題になったのが、先日BSテレビで放映された番組のことで、画家ゴッホの他殺説を扱ったものだ。
 私は観ていないのでなんともいえないけれど、メンバーの何人かは観ていて、かなり信憑性があると感じたようだ。
 もう一つ話題になったのが、リコーダー演奏家で音楽文化史研究家の古山和男という人が書いた「秘密諜報員ベートーヴェン」という本のことだ。
 ベートーヴェンが「不滅の恋人」に宛てて3通の手紙を残したのは有名な話。だが、恋文にしては不自然な点が多く、実は暗号密書だったのではないかというのが、その本の提示した仮説なのだという。

 この手の話は専門外の人間にとっても無責任にいろいろなことが言える反面、論拠となる資料や物証を見てもいなければ知識もないので何とも捉えどころがない。
 所詮は酒の肴と思いつつ、我が家にあった芸術新潮の1990年8月号「ゴッホ最後の70日」を取り出して読んだりしている。ゴッホ没後100年記念の特集号である。そういえば今年は没後120年ということになるのか・・・・・・。

 さて、昨日はザ・スズナリで流山児★事務所の「お岩幽霊 ぶえのすあいれす」(作:坂口瑞穂、演出:流山児祥)を観た。
 1時間40分に凝縮された骨太のドラマである。これは素材となった「四谷怪談」を書いた鶴屋南北の功績なのか。これについては、坂口瑞穂氏がパンフレットに書いているが、台本が出来上がるまでの演出家・流山児祥からの何稿にも及ぶダメ出しの執念深さがすべてを物語っているように思われる。何かを成し遂げるにはやはり何かにトリツカレル必要があるのだ。
 それにしても流山児さん、少し目立ちすぎではないかなあ。叱られることを承知でいえば、ドラマの本筋でないところでやんちゃぶりがイヤでも目だってしまうので全体の芝居がゆるんでしまうのだ。
 それともそれは計算づくなのか、座長芝居にありがちなアソビなのか。でも本編の舞台は本当に素晴らしかったですよ。
 

無名ということ

2010-06-20 | 言葉
 俳優にとって、あるいは多くの芸術を志す人間にとって成功とはなんだろう。
 隠棲したいまとなってはもはやどうでもよいことのように思えるけれど、若い頃の自分は「無名」であることに拘っていた。振り返れば青臭い考えなのだが、そのことで自分のなかの純粋性に酔っていたのだ。
 成功することがマスコミに取り上げられ、映画やテレビドラマに出ることを意味するのならそんな成功はくそ食らえと本気で思っていた。オレのタマシイは売り渡さないぞというわけだ。
 しかし、観客に観てもらってはじめて成り立つ演劇(この定義には異論があるかもしれないが)にとって、無名であることはそのまま興行上の不採算を意味する。
 結局、客は自分でチケットを売りさばいて呼んだ知り合いか、コアな何百人かの固定客にとどまって広がりをもたない。
 その大半は演劇自体には何の興味もない観客ばかりだから、そうした人々を相手に媚びた瞬間、舞台は荒れ果ててしまい、そんなものを誰も評価しない。
 当然、芝居では生活ができないからバイトで食いつなぐか、誰かの世話になるしかない。そうやって、芸術上の成功という問題以前の生活に疲れてしまい、舞台を去っていった何人もの優秀な舞台俳優たちがいる。

 「語るピカソ」(ブラッサイ著、飯島耕一・大岡信訳)のなかでピカソはこう言っている。
 「芸術家には成功が必要だ。パンのためだけではなく、とくに自分の作品を実現するためにだ。金のある芸術家ですら成功しなければならない。芸術について何かがわかっている人はほんとうに少ない。すべての人に絵画への感受性があたえられているわけではない。大部分の人は、芸術作品を成功の度合いによって判断する。(中略)ぼくを守る壁となってくれたのは、私の若い時代の成功だ・・・・・・青の時代、バラ色の時代、それはぼくをかばってくれた衝立みたいなものだった・・・・・・。」

 成功とは何か、ということを明確に定義づけることは難しい。所詮それは一人ひとりの価値観の問題なのだ。
 だが、その瞬間に立ち会ってもらわなければ成り立たないパフォーミング・アーツにとって、一人でも多くの観客を集めることは成功・不成功の価値判断に直結する。

 腹話術の芸人である「いっこく堂」が何かのインタビューで、昔まだ無名だった頃、ボランティアで芸を披露したときのことを語っていた。
 ある高齢者の福祉施設かどこかでのことだ。自分ではよい出来だと手応えを感じた舞台だったのだが、ある中高年の女性から、彼がまったく「売れていない」芸人ということでその芸まで揶揄されてしまった。一方、その女性は同じ舞台に出ていたテレビに出始めのタレントの歌を絶賛したそうで、彼は「売れていなければ評価もされない」ということを思い知ったという。

 最近、小劇場といわれる舞台にもアイドル系のタレントや俳優がこぞって出演するようになった。まさに私のような化石時代の役者の目からは隔世の感がある。
 これは言わずもがなのことだが、多くの観客を集めたい興行上の要請と、そうした舞台に出ることで箔をつけたいタレント側の利害が一致したということで、それだけ演劇が認知された証左と言えなくもないのだろうが、そこには留意すべき陥穽がある。
 芸術的良心を売り渡した瞬間、舞台はお子様ランチと化してしまうからだ。

 森まゆみ氏が地域雑誌「谷中・根津・千駄木」の草創期のことを書いた「『谷根千』の冒険」のなかにこんな文章がある。
 創刊したばかりの地域雑誌の広告取りや委託販売の依頼に行っては、まだまだ冷たいあしらいを受けていた頃のこと。あるきっかけでその雑誌が新聞に取り上げられ、テレビでも報道されたのだ。
 「しかし、たしかにマスコミは偉大であった。何度、私が目の前で心をこめて広告や委託をお願いしてもウンといわなかったお店が、新聞に出たとたん、『あんた新聞にでてたでしょう』と相好をくずす。『奥さんテレビ映ってたね』とあっさり信用してくれる。この権威付与装置としてのマスコミの効果はすごい。すごいというか恐い。」

 結局のところ、観客の評価を信用してはならないということだ。
 であるならば、自分のやるべきことを愚直にやりぬくしかないのではないか。

 今日の毎日新聞にジャズピアニストの故ハンク・ジョーンズのこんな言葉が載っている。
 「練習を1日休むと弾いている自分が、3日休むと妻が(技術の衰えに)気づき、1週間休むと仕事がなくなる」
 「世にピアノプレーヤーはごまんといるが、ピアニストはほんの一握りだ」
 「演奏は、一人でできるものじゃない。大きな耳で共演者の音を聴いて対話するものなんだ」

 心に刻み込みたい言葉だ。

閃きは突然?

2010-06-19 | 読書
 「直観的な閃きは突然、予想もしない形で生まれるという神話がいつまでも生き延びているが、それは社会的な交流やコラボレーションを通じた出合いが洞察を生み出していることを意識しない者が大部分だからである。」
 「洞察も日常の思考と異なるものではない。洞察も一歩ずつ進み、自分の思考がどんな働きをしているか意識的には気づかないときでも、私たちは日常的に脳の処理作用を活用している。自分独りで突然の霊感を感じたとしても、そのもとをたどれば、しばしばコラボレーションに行き着く。」

 上記は、前回もふれた「凡才の集団は孤高の天才に勝る『グループ・ジーニアス』が生み出すものすごいアイデア」(キース・ソーヤー著)からの引用だが、同様の例は私たちの身の回りにも散見される。

 先日のことだが、ある友人と話をしていて、共通の知人が作成を担当したある計画書のことが話題になった。その計画は一定の評価を得て広く知られることになったが、当の知人は当初その執筆に行き詰っていた。
 それで私がその全体的な構想をまとめ、裏付け資料や図表の作成を除く下書きまでを手伝ったのだった。それ以降は、上司のチェックを受け、提出するという一連の作業を知人が自身で行った。
 「あの計画づくりに彼はずい分悩んでいたよね」という話になった時、その話し相手の友人が、「あの時は自分がかなり手伝ってあげたよ」と言ったので驚いてしまった。
 私も友人も、お互いが知人の仕事に協力していたことをその時まで知らなかったのだ。おそらく知人は、計画作成に悩みながら、あちらこちらでSOSを発信し、情報を得ていたのだろう。

 また、別の話。
 友人と私が共同で立ち上げたと私自身が認識しているあるプロジェクトに関して、その友人が人前で「あれはわたしが考えた企画だ」と話すのを聞いて驚いたことがある。その人はプロジェクトの企画が自分自身のアイデアだと思い込んでいるようなのである。
 実際は、何か事業を起こそうと仲間内で話し合いになり、私が以前からやりたいと思っていたことを提案した。友人はそのアイデアをさらにふくらませ、ネーミングや事業展開の具体化を図ったということなのだ。

 私はなにも友人の働きにケチをつけたいわけでも、自分の関与を誇示したいわけでもない。
 個人的な創作においても、ましてや組織・集団でのプロジェクトにおいては、さまざまな人との交流やコラボレーションのなかからこそアイデアは生まれる。
 であればこそ、すばらしいアイデアを生み出すためのコラボレーションのあり方は、まさに研究に値することなのだろう。

 かつて、いくつもの新しい有効なアイデアを生み出していた組織・集団が、いつの間にか決まり切った事業をただ反復しているようにしか見えなくなるとき、それはコラボレーションや関係者間のコミュニケーションに何らかの問題があることの証左に違いないからである。

コラボレーションの力

2010-06-15 | 読書
 すでに1年以上も前に出た本なのだけど、ビジネス書の棚で見つけた「凡才の集団は孤高の天才に勝る~『グループ・ジーニアス』が生み出すものすごいアイデア」を面白く読んだ。キース・ソーヤーという経営コンサルタントでワシントン大学の心理学・教育学部教授の著作である。
 その中で著者は、かつては一人の天才が創造したと信じられていた各種のイノベーションや歴史的に名高い発明や発見が、実際には目に見えないコラボレーションから生み出されているということを実証的に述べている。

 例えば、シグムント・フロイトは精神分析学の創始者とされているが、その数々のアイデアは、同僚たちの幅広いネットワークから誕生したものだ。
 さらに、クロード・モネやオーギュスト・ルノワールに代表されるフランス印象派の理論は、パリの画家たちの深い結びつきから生まれた。近代物理学におけるアルバート・アインシュタインの貢献は、多くの研究所や学者チームの国際的なコラボレーションが母体となっている。
 このように偉大な発明はすべて、小さな閃きの長い連鎖、様々な人々からの情報提供と深い意見交換を契機として生まれたものなのである。
 著者は、ポスト・イット(付せん)がどうやって生まれたか、ATMやモールス信号がどのようにして発明されたかについても順次述べていく。当初のアイデアは、コラボレーションの助けを得て、やがて次のアイデアを導き出し、それとともに当初のアイデアは思いもかけないような意味を帯びてくる。
 このようにコラボレーションは、小さな閃きを互いに結び合わせ、画期的なイノベーションを生み出すのである。

 法政大学教授で江戸文化研究者の田中優子氏は、昨年3月の毎日新聞に書いた書評で、このコラボレーションを江戸時代の都市部で展開していた「連(れん)」になぞらえている。
 「連」は少人数の創造グループで、江戸時代では浮世絵も解剖学書も落語も、このような組織から生まれた。個人の名前に帰されている様々なものも、「連」「会」「社」「座」「組」「講」「寄合」の中で練られたのである。

 もっとも革新的なものが、もっとも伝統的で日本的なものと呼応していると感じることは、なんと私たちを勇気づけ、鼓舞してくれることか。

逆走するシマウマではなく

2010-06-09 | 言葉
 今週のはじめ、株式会社セルコの代表取締役社長小林延行氏の講演を聴講する機会があった。巣鴨信用金庫がメンバーシップ向けに開催する特別講演会なのだが、ひょんなご縁でご招待いただいたのだ。
 「立ち上がれ中小企業・・・時代は俺たちのものだ!!」という演題とともに「倒産の危機から世界一のコイル技術の会社へ」という惹句が目を引く。
 定員300人のホールは多くの中小企業経営者や起業を目指す人々でいっぱいの熱気に満ちていた。

 小林社長は長野県小諸でセルコというコイル製造会社を経営しているのだが、そのほかに農業経営、普通の人のエッセイクラブ副編集長、オヤジロックバンド「セルパップブラザース」リーダーなど多彩な顔を持つバイタリティにあふれた人だ。
 経営理念は「Harmony and prosperity in Self-controlled people(自らをコントロールし調和と繁栄をもたらす)」とのことで、会社名の「セルコ」は、このセルフコントロールを略した言葉なのだ。

 2時間の講演はあっという間に過ぎたが、私が特に関心を持ったのは、完全なる秘密保持と創造のためのコラボレーションのバランスである。
 秘密保持を危機管理と捉える考え方には、自社で開発したどのように独創的なアイデアも大企業相手に気を許したその一瞬にノウハウは盗まれるという苦い経験があるのだ。
 一方で自社製品の開発には、異分野で同様の志を持ちアイデアを共有できるパートナーとのコラボレーションが欠かせない。その見極めが生命線といえるのだろう。
 セルコでは、コラボによって、磁気を使って金属の状態を調べるセンサーの開発や、セルパップコイルという痛みや凝りをほぐすコイルの開発に成功している。こうした話には興味が尽きない。

 講演の最後に小林社長は中小零細企業の社長の生き方・考え方について話をした。
 ライオンに食べられてしまうシマウマはどんなシマウマか、というのである。それは足の遅いシマウマだろうか。体力のないシマウマだろうか・・・。
 答えは、襲われたことでパニックを起こし、ライオンの群れに向かって逆走してしまうシマウマなのだそうである。
 そうならないために、悩みや不安に打ち勝つ方法として小林社長は次の4点を挙げている。
 A,悩んでいる、不安になっている対象をはっきり突き止めること。
 B,その対象となっている事象を徹底的に調べること。
 C,その事象の実態がはっきりしたら、それを解決するための解決策を考えること。
 D,それに向かって、でき得る限りの努力をすべく行動に移すこと。

 上記の考え方は、デカルトの「方法序説」第2部に書かれている4つの規則と共通している。
 その第2、第3の規則として、デカルトはこう言っている。
 「わたしが検討する難問の一つ一つを、できるだけ多くの、しかも問題をよりよく解くために必要なだけの小部分に分割すること」
 「わたしの思考を順序にしたがって導くこと。そこでは、もっとも単純でもっとも認識しやすいものから始めて、少しずつ、階段を昇るようにして、もっとも複雑なものの認識にまで昇っていき、自然のままでは互いに前後の順序がつかないものの間にさえも順序を想定して進むこと」

 これらの言葉は私たちに多くのことを教えてくれる。

 最後にもう一つ、小林社長は、終戦後にシベリアに抑留されながら無事帰還した人から聞いたという話をした。
 飢えと寒さで次々に倒れていく同僚たちの骸を目にして、その人は芝居をすることを思いついたという。仲間とともに台本を考え、楽しい芝居を演じて見せ合い、希望の灯をつなぐことで彼らは生き抜いたのだ。
 芝居や音楽、芸術には力がある・・・、それはたしかなことである、はずだ。

ひげ太夫に癒される

2010-06-08 | 演劇
 言葉や想いはどうすれば相手に伝わるのか、ということをいつも考える。それは、どうして伝わらないのだろうと、日々の生活の中でたびたび感じるからでもある。
 そもそもなぜ伝えることが必要なのかと開き直って思わないわけでもないのだが、少なくとも「表現」という営為に何らかの形で携わる以上、伝えること、伝わることは最低必要条件の前提と考えざるを得ない。

 声がただ大きければよいというわけではない。所謂美声がよいわけでもない。
 微かに聞こえるか聞こえないかというような小さな囁きがとてつもなく心に響くこともあるだろうし、泣き叫び続けて押し潰された喉から搾り出される擦れ声が胸に突き刺さることもある。
 昔、ある往年の青春俳優が初めて舞台に出演した時のこと、先輩の役者さんから「無理に声を張り上げる必要はないよ。むしろ小さな声で台詞を言ったほうが、お客さんのほうで聞こうとしてくれるのさ」とアドバイスされたそうだ。よい先輩ではないか。

 最近、いろいろな会合やイベントにご案内をいただいて出席することが多い。パーティ嫌いの私には苦痛以外の何ものでもないし、なぜ自分はこんなところにいるのだろうといつも思ってしまう。おまけに会費まで払わされたうえに人前で挨拶までさせられるのでは堪ったものではない。
 日頃、熟練のスピーチライターを自認し、人さまのスピーチや演説に対してあれこれと能書きを言う私ではあるが、わが身のこととなるとからきしだらしがない。
 こうした会合は主催者が変わっても招かれる側の顔ぶれはおおよそ決まり切っているものだ。
 国会議員から地方議員、地域団体の代表者、行政の長などがさまざまにスピーチする。その巧拙はそれこそ千差万別だし、みな人前でしゃべりながら、それを退屈そうに聞く聴衆から心の中で辛辣に評価されているわけだ。
 そうした状況で語られる言葉が、どれほどの意味をもってどれほど伝わり、胸に響いているのか・・・。

 ごく最近の苦い失敗談がある。ある2つの団体が共同で開催した会合があって、その一方の代表者のAさんから直接電話をいただき出席することになった。
 少しばかり複雑なのだけれど、両団体は密接な関係にあり、Bさんが代表を務める団体は、Aさんが代表となっている団体の構成団体なのである。
 私は、Aさんから声をかけられた手前、Aさん代表の団体の話題を中心に話をした。当然、その団体にはB団体も関わっているわけだからそれで構わないと思っていたのだが、後になって人づてに、あいつは向こうの団体の話ばかりして怪しからんとBさんが怒っているという話を聞いた。私がBさんたちのことをないがしろにしたと思われたのだ。
 ムズカシイものである。

 そんなこんなですっかり落ち込んでいたので、一昨日6日の日曜、気晴らしに「ひげ太夫」の公演「赤道ザクロ」を王子小劇場に観に行ったのだった。
 「ひげ太夫」は、今年の1月に舞台でご一緒した成田みわ子さんがメンバーの劇団である。以前にも紹介したことがあると思うけれど、ひげメイクをほどこした女優さんばかりが出演する個性あふれるカンパニーだ。
 おまけに舞台上では出し物師(出演者)たちが、小道具から背景の建物まで、それこそ何でもかんでも組み体操によってその身体で表現してしまうのである。
 彼女たちは瞬時にひげのおっさんから可憐な乙女や子どもに役を入れ替わるばかりか、家具や道具、山や草花、空飛ぶカモメにまで変身する。
 エンターテインメント性にあふれたその芝居は、往年の無国籍日活映画や東南アジアのカンフー映画、さらには鳥山明のアニメやゲームのストーリーまで換骨奪胎してごった煮にした味わいに満ちて、観客を楽しませることに徹することを是としている。
 小難しい社会性やテーマ性があるわけではない娯楽作品ゆえの限界性も感じつつ、私はこの集団の可能性を信じている。

 終演後、成田さんに座長の吉村やよひさんを紹介されてご挨拶をした。
作・演出から舞台美術デザイン、組み体操の振付、作詞作曲までこなす吉村さんは小柄な身体から溢れるような才能を発散している。すっかりファンになってしまった。

読み聞かせ、朗読の面白さ

2010-06-04 | 舞台芸術
 先月30日の日曜日、池袋にある「みらい館大明」で開催されていた「プチ演劇祭」を覘いてきた。
 「みらい館大明」は閉校となった旧大明小学校の施設を転用し、地域住民によって組織されたNPO法人が市民のための生涯学習の場として運営する施設である。
 肩ひじの張らない趣味のサークルからちょっと真面目な学習会やパソコン教室、外国人のための日本語教室、さらには著名な劇団の稽古場と、実に幅広い利用者でにぎわっている。
 私が観たのは、JOKO演劇学校の三期生有志による宮沢賢治作「銀河鉄道の夜」の朗読劇である。
 3人の女優(のタマゴ?)が役割分担しながら、地の文も含めて読み進めていく。部屋の蛍光灯を消したり点けたりといった簡単な照明と小さなスピーカーから流れる効果音楽だけという簡素なステージなのだが、それなりに楽しめた。
 もちろん素材のよさ、ということはあるのだが、3人の出演者が衒いのない素直な発声と演技で淡々と読み進めていったのがよかったのだろう。
 朗読するうえでの面白さ、同時に難しさでもあるのだろうが、それは言葉をどうやって聴き手に伝えていくかということの困難さにあるのだろう。素材となった作品の言葉を届けるには素材の味を損なってはいけない。
 私など大いにその傾向があるのだが、いたずらに感情を込め過ぎたり、面白おかしく表現したりしようとする中途半端な技術はかえって邪魔なのである。

 さて、今、朗読はある意味でブームといえるような活況を呈しているように思える。
 朗読教室などで受講生を募集するとたくさんの人が集まるし、あちらこちらで朗読サークルがさまざまな活動を行っている。プロの俳優でも朗読劇をライフワークにしている人をたくさん見かけるようになった。
 これは自己表現の手段としての手軽さが受けているというだけの話ではあるまい、というのが私の感想である。朗読にはなかなか一言ではいえないような魅力が潜んでいるのに違いないのだ。
 だが、それらの活動は未だ点在しているに過ぎない、というのが次に感じるところでもある。
 これを何とか大きなムーブメントにできないだろうかと私は数年前から考えているのだが、なかなか実現できないでいる。
 頭で考えてばかりいないで、行動するに如くはない。明日からでも取り掛かるべきではないか。

 イノベーションはコラボレーションからしか生まれない。必要なのは、点在する個々の活動、個々の表現を結びつけ、一覧にしながら攪拌することである。そうすることで交流が生まれ、摩擦とともに熱が生まれる。そうした化学反応のなかから新たな創造も生まれるのに違いない。

 私はひとつのリーディング(朗読)・フェスティバルを夢想する。もちろんプロのスタッフワークによって設えられた舞台である。
 その舞台上では、わが国トップクラスの舞台俳優から役者の卵、ミュージシャン、詩人、政治家、商店主、会社の重役、新入社員、学生、学校の教室で子どもに読み聞かせをやっているような若い母親から児童書担当の図書館員、老人から文字を覚えたての小さな子どもたちまでもが一同に会して朗読し、群読や紙芝居、ドラマ・リーディングに挑戦する。
 同時に、図書館の片隅や児童館、高齢者施設、病院のホールやベッド脇、商店街の軒先や広場など、町中のいたるところで大きな輪、小さな輪ができて読み聞かせが展開され、人々が耳を傾ける。
 会議室では、朗読=リーディングの意義や実際的な技術論についてさまざまな意見が交わされ、実践され、そのなかからさらに新たなアイデアが生まれる・・・。

 そんなフェスティバルの実現に向けて、一緒にプランを練り、行動してくれる人はいないだろうか。