seishiroめもらんど

流野精四郎&東澤昭が綴る読書と散歩、演劇、映画、アートに関する日々の雑記帳

歩いてゆく poetry note No.12

2021-10-06 | ノート
 雑草の生い茂った水辺を散策しながら草いきれのうちに身をゆだねたり、木洩れ日のなかを歩き、樹々をわたる風の音や鳥の鳴き声に耳をすませたりするのと同様に、都市のさまざまな建造物を眺めやり、明滅する光を浴びつつ街の雑踏を歩くことや、人の群れにまぎれてあてどもなく彷徨うことに不思議な安らぎを感じるのは何故だろう。
 息づく自然や動植物の営みと無機質なコンクリートや鉄の固まりといった、一見対極にあると思われがちなそれらの内側には、ある種の共通する波動やリズム、ゆらぎのようなものがあって、それが親和性のある形状の相似となって私たちに居心地の良さを与えているのだろうか。

 「芸術は自然を模倣する」と言ったアリストテレスに対し、オスカー・ワイルドの言った「自然は芸術を模倣する」という言葉はあまりに有名だが、いつしか私たちは自然の本来の姿を見失ってしまい、人の手になる建築や造営物、芸術が新たに見出した「美」を通してしか自然の美を感知できなくなっているのかも知れない。

 そんなことをぼんやりと考えながら私は歩いていたのだ。



 私の頤は船の舳先だ ぐいと突き上げ 背を反らし
 波を切り裂くように 人の群れを漕ぎ分けてゆく
 立ちはだかる闇と霧に向かって 少しずつ 少しずつ 歩いてゆく
 そうすることでしか胸にわだかまる影の消えることはない
 そうすることでしか目の前の黒々としたものの
 何であるかを知ることはないのだと 独り言ちながら





 自然がつくり出す紋様と 人の手によって作られた形がリズムを刻む
 それは波動となって空気をふるわせる そのゆらぎに囚われたのか
 あるいは安息の場所を見つけたという錯覚に目が眩んだのか
 のがれようのない心地よさが わたしの目を蓋い 耳を塞ぎ
 静かな眠りへと引きずり込んでゆく



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