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流野精四郎&東澤昭が綴る読書と散歩、演劇、映画、アートに関する日々の雑記帳

磁場とコラボレーション

2010-10-16 | 日記
 今日、明日と2日間にわたって池袋にある「みらい館大明」ではお祭りが繰り広げられている。
 旧大明小学校の跡地を活用し、地域の人々の生涯学習の場、多くの劇団の稽古場、あるいはアートセンターとしての色合いも最近では強くなっているこの場所なのだが、今日はまるで懐かしい学校の「文化祭」のノリで賑わい、華やいでいる。

 私はそこで午前11時からのトークショーに顔を出させていただき、池袋西口地域を中心とした豊島区の過去100年の文化事象をめぐる歴史について、さらにはこれからの展望について話をさせてもらった。
 演出家の西村長子さんのリードで話を引き出していただきながら勝手なことを申し上げたのだが、聞いている皆さんにうまく伝わったかどうかは分からない。
 西村さんとは初対面なのだけれど、まだまだ色々なことを話したかったなあと思う。
 時間が限定されていたので、最後は少し急ぎ足になってしまった。西村さんの進行プランをこわしてしまったかもしれない。反省材料だ。

 「演劇」あるいはアート全般を使った地域活性化の取り組みは私の一つの宿願であり、仕事でもある。
 もちろん、何々のため、ではなく、アートや演劇はそれ自体に価値があるわけなのだが、その波及効果を活用しない理由はないだろう。アートには人間を活性化する力がたしかにあるのだ。
 私個人が何かを思ったからといって実現するわけではなく、自分一人では何もできないのだけれど、同じ志を少しでも共有できる人が集まれば前に歩みを進めることはできる。まずは小さな一歩を踏み出すことが大切だ。
 西村さんとはそうしたことをもっともっと話したかったなあ。きっと共有できる部分がたくさんあるはずだと感じた。

 さて、私が今回話したかったのは、過去100年の文化的事象を振り返った時、いかに人がつながっているということであり、何かを創りだすためにコラボレーションやネットワークがいかに重要かということだ。
 以前にもキース・ソーヤーの著作から同じ文章を引用したけれど、
 「シグムント・フロイトは精神分析学の創始者とされているが、その数々のアイデアは、同僚たちの幅広いネットワークから誕生したものだ。クロード・モネやオーギュスト・ルノワールの名が浮かぶフランス印象派の理論は、パリの画家たちの深い結びつきから生まれた。近代物理学に対するアルバート・アインシュタインの貢献は、多くの研究所や学者チームの国際的なコラボレーションが母体となった。精神分析学、印象派、量子物理学は、多年にわたる人間的交流、試行錯誤、数々の失敗を経て生まれたもので、決して一度かぎりの劇的な洞察によるものではない」と、つまりはそういうことだ。

 同じことが、豊島区にかつてあった「長崎アトリエ村」、「池袋モンパルナス」、「トキワ荘」等々にも言うことができるのではないか。
 志を同じくする芸術家や漫画家たちが同じ地域・場所に集積し、刺激し合い、議論し、切磋琢磨し、コラボレーションすることで新しいものが生まれてくる。そうでなければ、これだけ多くの画家や漫画家、小説家や詩人、演劇人がこの狭い地域から生まれるはずがない。

 「創造的都市」という概念を提唱したイギリスの都市計画課チャールズ・ランドリーは「創造性は、新しいものの継続的な発明ではなく、いかにふさわしく過去を扱うかである」と言っている。
 過去をふさわしく扱う、とはどういうことだろう。それは単に過去を慈しみ、思い出にふけることではないはずだ。いうならば、その精神をこそ引き継げということではないのか。
 その精神・志を継承する、そんな場所に「みらい館大明」や「にしすがも創造舎」にはなってほしい。
 そうした磁力を、すでにこの2つの場所は持ち始めている。


機械じかけのピアノ

2010-10-11 | 演劇
 歳のせいにはしたくないのだけれど、最近は何かというと疲れた疲れたと楽をする言い訳ばかりを考えている自分がいて我ながらいやになってしまう。
 気がつけばこのブログもひと月以上ご無沙汰状態だった。
 この2週間ほどは、池袋周辺の地域に関連する文化事象の過去100年の年表をひょんな思い付きで作り始めたら、これが思いのほか面白くて止められなくなってしまった。
 おかげで目の疲労、肩凝りが思いのほか祟ってパソコンのキーボードにはアレルギーが生じている。まあそればかりが理由ではないのだけど、書く、というモチベーションがいつになく低下していたのは確かだった。

 これは自分のためのメモ集成なのだから、そうと割り切って書けばよいのだ。ほとんど備忘録か、ただの日記状態になるのは仕方がない。

 昨日10日は朝からあちらこちらとハシゴをして回った一日だった。
 午前中は雨が心配されたが、10時から大塚駅前と池袋本町の商店街イベントのオープニングに顔を出し、そのまま歩いて東池袋の「あうるすぽっと」に行き、午後2時からの劇団昴公演「機械じかけのピアノのための未完成の戯曲」を観た。
 その後、池袋西口一帯で開催されている「東京よさこい」の本部席に座って、しばしソーランのお囃子に包まれた。それから九段下に出てオフィス・パラノイアが靖国神社で開催している舞踊劇「遊びの杜」を観劇。一転こちらは静謐な世界だ。
 帰宅して万歩計を見たらちょうど1万6千歩だった。結構歩いた気でいたのだが、そんなものなのだ。

 さて、「機械じかけのピアノのための未完成の戯曲」だが、ニキータ・ミハルコフ監督の映画作品を私は劇団昴が千石にいたころの300人劇場で観ている。
 素晴らしい映画で、チェーホフものの作品としては映画・演劇を問わず最高のものだと思う。その後、マストロヤンニが主演した、「犬を連れた奥さん」が主要なモチーフになった「黒い瞳」なんて傑作もあったが、チェーホフ的気分とでもいうものを存分に味あわせてくれる点で「機械じかけのピアノ」にはかなわないだろう。
 さて映画と今回の舞台を比べてしまうのはいかにも乱暴だし、ないものねだりになりかねないが、やはり何かが決定的に足りない、欠けている。
 最大の課題はプラトーノフに観客が感情移入できるかどうかだろう。その結果についてここでは書かない。
 それにしてもプラトーノフは齢35歳にしてすでに人生に置いてけぼりにされたと思っている。
 この映画を観たとき、私はまだ20代だったからそれほど違和感はなかったのだが、この歳になってみればそれはいかにも若すぎやしないかと言いたくなる。
 もっとも「機械じかけ・・・」のもとになった「プラトーノフ」を書いたとき、チェーホフはまだ若干21歳の医学生だったのだから無理はないのかも知れないのだけれど。

 今回の舞台の収穫はアンナ役を演じた一柳みるの演技だろうか。
 このアンナの役はチェーホフ劇のたとえば「桜の園」のラネーフスカヤや「かもめ」のアルカージナ、「ワーニャ伯父さん」のエレーナといった役どころのエッセンスが詰まった役だと一柳みる自身も終演後のトークショーで語っていたが、その造型はこの数年間に私が観たさまざまなチェーホフ劇の中でも優れたものだと思う。