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黛信彦の時事ブログ

浜矩子語録(194) 共生のシェア、潰し合いのシェア

2014年02月03日 | 浜矩子語録

同志社大学大学院教授・浜矩子は1月31日、「貿易は平和のために 原発は輸出財ではありえない」という演題で講演した。 講演会は正平協の主催、聖イグナチオ教会のニコラ・バレ修道院(東京都千代田区五番町)で行われ、本編は前編に続く第三編の浜矩子語録の抄録である。 以下、アベノミクスが何のミクスでもない第二番目の理由

~・~ アベノミクスが経済と人間の関係をおかしな方向にもって行こうとする流れの大きな一角を形成しているのが原発輸出という問題です。

「貿易は平和のために 原発は輸出財ではありえない」というタイトルを掲げさせていただきましたが、以上のアベノミクスの体たらくを頭の片隅に置いていただきながら、ここで「輸出財」という言葉を使っておりますが、経済分野の世界では、貿易財と非貿易財というように財を分類することをいたします。 商品やモノは、貿易に馴染む財と馴染まない財に分けることが経済分析の出発点でございます。 貿易に馴染まない非貿易財にはざっくりと3つの特徴がございます。 動かしにくいもの、環境適応力が低い、壊れ易いもの、この3つが非貿易財の定義でございます。 腰が重く・適応力に欠けて柔軟である、この3つの条件を兼ね備えている存在のイメージを考えてみると、この部屋の中の方は例外として、日本の男性に非常に当てはまるのではないでしょうか。 それに引き替え日本の女性はフットワークが軽く、環境適応力に優れ、猛烈にタフであるということで、極めて貿易に適した財である、こういうふうな理屈になるわけでございます。

これらについて非常に本質的な素晴らしいことを教えてくれた人が、ジャグディーシュ・バグワティーというインド系米国人の経済学者、貿易理論の大家で私などの先生にあたる世代の人でございます。

バグワティーさんは「貿易とは戦争に対する最大の防波堤である」という言い方をしております。 そうすると「貿易は我が国の富を増やすために行うものだ。 貿易が平和のための最大の防波堤になるのか?」と思われる方もいらっしゃるかも知れません。 しかしながらバグワティーさんが言うことは、貿易取引は相手が必要としているが自力では手に入れることができないものを提供し、そして相手に対して、自分の市場を開放することによって、自分に対して相手が輸出を行う事でなければ稼げないカネを稼がせてあげる、ということが貿易行為の本質だということでございます。

お互いに手を差し伸べあい市場を開放し合う、それが貿易の本質だという考え方でございます。

こういう関係が幅広く形成されていれば、そういう人間たちの間、そういう国々の間では絶対に喧嘩が起きるはずはない。 あの人は自分にとって不可欠なものを提供してくれている、私は自分のモノをあの人に輸出することによって自分の生活を豊かにするカネを手にすることができている。 私がこのモノの提供を止めればあの人の生活が立ち行かなくなるかも知れない、私はあの人のために頑張らなければいけない、あの人がいるから私の生活は成り立っている。 そういう関係が360度の国々の間で形成されれば、絶対にそこに喧嘩する奴はなくなる。 鉄壁の平和のための防波堤が築かれ、開かれた貿易が成立するではないか。 そういうことをバグワティーさんは言っている。 「自由貿易は平和のための至高の防波堤である」と。

ところが、現実の世界はそうはなっていません。 貿易が平和のための最大の防波堤になるか否かが何に依存するかといえば、私は「シェア」という言葉の理解の仕方であると考えます。 その理解によって平和のための防波堤になれる人か、紛争を引き起こす人であるのかが決まって参ります。 同じ「シェア」という言葉が、市場占有率を意味することがあったり、分かち合いを意味することがあったりします。

市場占有率を意味するシェアは奪い合いの対象となるシェアでございますが、ご飯を分けっこするとかカーシェアリングなどは分かち合いを意味いたします。 

このシェアを、「貿易とは、我が国・我が産業・我が社の市場占有率を上げることだ」というふうに思ってしまうと、これは奪い合いのシェアの感覚になってしまうわけでございまして、自分の市場占有率を高めようとすれば誰かの占有率を奪わなければならないわけで、こういう意味のシェアは確実に奪い合いに我々を引き寄せてしまうわけで、奪い合いのシェアを追及する貿易は共食いの世界に至る道ということになるわけでございます。

それとは対照的に分かち合いのシェアを追及する貿易というのは共に活きる方向、共生の方向に我々を導いていくことになります。

平和のための防波堤を追及するというのは、とりもなおさず、分かち合いのシェアを追及することになるわけでございます。 

奪い合いのシェアを追及する貿易が1930年代に、世界的規模で激しく展開された歴史は皆様よく御存じのところでございます。 その中で国々は共食い地獄に陥ったわけで結局、本格的な武力衝突に突入するという展開になったわけでございます。

もとより我々は平和のための貿易を追及したいわけですが、原発を輸出財にしてしまおうという貿易行為が平和の防波堤になるはずはありません。 原発の技術に対して我々が如何に無知であったか、恐ろしさを如何に部分的にしか理解していなかったかということが今回の展開(福島原発事故)でよく解かったわけでございます。 そして原子力の平和利用という言葉に我々は振り回されてきたと思いますけれども、その破壊力の凄さは解かりましたけれども、それをどうやって止めるかは解かっていない。

そういう物を輸出財として使うところのどこに平和の防波堤を追及する貿易としての発想と相容れるところがどこにあるかというと、それは全く無いと言わざるを得ないわけでございます。

平和のためにならない財は貿易財にはなり得ないのです。 最も糾弾されるべき行為がどんどん推進されている現状が目の当たりにあるのです。

いみじくもこれは1月25日の朝刊ですから、24日ですね、安倍首相の所信表明演説がありました。 その中にすごいですね、「日本を売り込む!」というパートがございまして、「急成長新興国にインフラを輸出するためにインフラ輸出機構をつくり、2020年までに原状の10兆円規模から3倍の30兆円に拡大したい」というようなことを彼は言っております。 インフラ輸出というものの中に原発が大きな、それこそ(奪い合いの)シェアを占めていることは間違いないわけで、全面的にそっちのほうに前のめりになっていることを確認できるわけです。

本来、輸出財となる筈のないものを軸にインフラ輸出を伸ばして日本を売り込んでいく、ということは大きな問題があると思います。

こういう姿勢、日本がインフラ輸出大国になるために原発を大きな柱にして行こうという発想をまさしく、アベノミクスは何のミクスでもない第二番目の理由として上げさせていただきました。 グローバル時代と、彼らがやろうとしていることが実に相性が悪いのです。 ~・~ 以下、次編


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