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黛信彦の時事ブログ

浜矩子語録(72)ここが凄いぞ、浜矩子  episode-1

2009年08月08日 | 浜矩子語録
●妖艶なエコノミスト・浜矩子がグローバルな傑人である所以は、「危機一髪回避力」と見る。
浜矩子にも「危機一髪」の時がある。しかし、彼女は常に負けないけれども勝ち過ぎない。不思議なエコノミストである。
その強さを裏打ちし、「ここが凄いぞ、浜矩子」と言わせる第一要因は、豊富な知識を土台として経済史観を確立させていること、そして幾多のディベートの戦場を勝ち抜いた経験であろう。
以下は、そのエピソードの第一話である。

●浜矩子は、ある大学の経済学部OBや現役の前で地球経済について語る講師として招かれた。
浜矩子ほどの者を招いて手抜かりがあってはならないが、大学側がホールを講演会場として整え始めたのは講演開始30分前からである。
どちらかといえば浜矩子の方が気を回していた。
聴講者である私が講演開始7分前にホールに入ると、すでに講演席に着座し、右手の白い指で、左手首のか細さを確かめる仕草をしながら、会場や聴講者の雰囲気を見ていた。
そして、講演が終わり、司会者が聴講者に質問時間を与えた。

さて、経済学部主催の講演に経済学者を招いたとき、「他流の招待者から言われっ放しでは気が済まない。できることなら一太刀!」と考える者が出るのは当然のことである。
浜矩子に向けて第一の質問を指名された人、それはこの大学の経済学部長であった。
学部長が名乗ると、音にはならない聴講者のざわめきが、部外者の私には複雑に聞こえた。

●学部長は、柔らかい言葉の刃(やいば)で、次のように質問を発した。
~・~・~ 今日のお話を聞いていて私の土俵に持ってきて申し訳ないのですけれども、3人の経済学者の名前がちらちら頭に浮かんだ感じが致します。
「合成の誤謬」のところでは、ジョン・メイナード・ケインズ、それから最後の「あなたさえ良ければ」のところで受けた感じはジョン・スチュアート・ミル。
ジョン・スチュワート・ミルが「経済成長などやめて、お互いが小突き合いをしなくなれば良い世の中になる」みたいなことを言っているわけなのですが。

もう一人浮かぶのは私の専門のアダム・スミスであります。
最後のお話の纏めのところで「(浜先生は)経済活動は人間の営みである」というようなことで、昨年サントリー学芸賞を追賞した堂目卓生さん(大阪大学教授)の『アダム・スミス』、中公新書で出たのですけれども、その中でもそんな事を言ったわけで、今、先生に伺いたいのは、アダム・スミスとジョン・スチュアート・ミルとケインズ、これらの人たちが考えた経済思想あるいは力学について、先生のお考えを伺いたい。~・~・~

●浜矩子は、身構えることなく学部長の質問に耳を傾け、答えた。殺気はない。
~・~・~ (ご質問)ありがとうございます。非常に面白いありがたいご指摘をいただきまして、すごくそこから考えることがたくさん展開する気が致します。
まず、三人について共通して「なるほどな」と思いますのは、彼らはグローバル時代に生きていたわけではないということが大きな制約要因になっているという感じが致します。

3人の中で一番やくざなのはケインズ。あの人は、他の二人に比べると格調が落ちる気が致しますが。
しかしながら、鋭い、時代を先取りした発想を持っていたがゆえに、いろんな場面で、例えば、イギリスが金本位制から離脱してゆくプロセスの中で、もっと早くケインズの言っていることを聞いておけば良かったかな、と思うところがあったり致します。
いずれも、至妙な見方を残していった経済学者たちですが、
やっぱりグローバル時代というものは、彼らの発想を超える厄介さを持っているなと、つくづく感じます。

3人はいずれも、国民経済というものを対象に考えている。それは、(ご質問の)お話の中に出るかなと思って出て来なかった4番目の人、すなわちカール・マルクスの論理の中でもやっぱり国民経済です。アダム・スミスもまさに「国富論」「諸国民の富」でございますから、国民経済を対象に彼らは語っている。
そういう意味でまさしく、ポリティカル・エコノミックスということの厳密な意味がそこに集約されているわけです。

彼らは非常にしっかりしたことを言っているわけですが、これを今の時代に当てはめると「どうしても解けない」部分が出てくると強く思っております。
ですから、この人たちが蘇って来て、「国民経済なき時代の経済をどう斬る、どう語る」、を聞いてみたいと思うところでございます。

申し上げたように、3人を並べた時に、理念上毛色が違うのがケインズかな?と思います。
「常識に富める発想」が実は本当のところグローバル時代のカギをどう解くために(必要で)、彼をどう読みなおすか、どう受け止めるかは重要な示唆を与えてくれる気がいたします。

アダム・スミスは諸国民というところを越えられないという意味で、今の問題を考えるには限界があるかも知れません。
しかしながら、「あなたさえ良ければ」というように言っている部分が、倫理性が必要だということを言ったという点では、重要な示唆をその中から読み取るべきではないかと感じております。~・~・~

●学部長の質問は鋭い攻撃である。
聞き様によっては「3人の先人や堂目氏の受け売りだろう?」とも取れる。
対して浜矩子は、「グローバル時代は3人の想像を超える厄介さがある」と言って一太刀、更に学部長から名前が挙がらなかった同類のカール・マルクスを引き合いにして肉をえぐった。

しかし最後には、彼らに敬意を贈ることで学部長との対峙は引き分けるようにする。
負けてはならないが勝ち過ぎないという浜矩子こそ、至妙な言葉を発したといって良いだろう。

浜矩子語録目次Ⅱ

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