いとうな日々

MLB、プロ野球他野球全般、ニュースなどについて、勝手にコメントさせて頂いてます!

不屈の侍野球:野茂英雄

2006-03-08 | 大リーグ
日本人大リーガーのパイオニア、野茂英雄が今年も不屈の侍魂でメジャーを目指している。昨シーズンはヤンキースのマイナーでシーズンを終えたが、シーズンオフどこからもオファーがなかった。その間の経緯をホームページで披露していた。
2006.03.02 【野茂英雄】 代理人 団野村からの緊急ボイス

オリックスとの約3週間の交渉が決裂しました。残念ながら僕も楽しみにしていた日本球界復帰は、今年はありません。

詳しい交渉の内容は3月13日、僕のコラムでお伝えします。

なお、野茂選手はシカゴ・ホワイトソックスとのマイナー契約に合意し、3月5日にマイナーキャンプに合流します。

野茂英雄・ウエッブサイト
佐々木主浩や長谷川滋利とは違い、野茂は日本球界に戻ろうと思えば、とってくれる球団はあったと思うが、メジャーへのこだわりがそうさせなかったのだと思う。

野茂はいつまでも野茂であってほしい。寡黙で芯の強さが侍の気風を漂わせるのである。いつしか、日本人大リーガーがといわれ、日本野球が侍野球と表されるのは野茂に負うところが大きい。

野茂は「ここ2年、いいゲームを見せられなかった。メジャーに上がることができれば、いい投球を見せたい」と話した。野茂はことしが米球界12年目で、メジャー昇格を果たすと7球団目になる。大いに期待したい!!
野茂不屈32球「投球指令」にフォークも

3日にホワイトソックスとマイナー契約を交わした野茂英雄投手(37)がマイナーのバッテリー組のキャンプ初日から練習を開始した。米国に渡って12年目。マイナースタートという厳しい状況ながら7球団目となるメジャー昇格へ、大きな一歩を踏み出した。早速、練習では首脳陣の要請を受け、予定外のブルペン入りで、直球にフォークも交えて32球を投げ込んだ。今年38歳になる不屈の右腕がいよいよ新天地で始動した。

午前8時2分、黒いストッキングを覆い隠さないユニホームの着こなしが新鮮だった。背番号は「21」。野茂は「自分の着られるユニホームのサイズが空いている番号です」とあっけなく理由を明かした。

昨季はヤンキースのマイナー選手のまま終了した。オフに入り、年が明けてもなかなか移籍先が決まらなかった。代理人側は大リーグ球団と並行し、オリックスなど日本球団とも交渉を続け、やっと決まった。

順風満帆とはいえない滑り出しだけに、もはや背番号へのこだわりなどない。名もない若手に交じり、決められたメニューを黙々とこなしていく。ファンの歓声もない殺伐としたフィールド。それでも12年前と変わらない鉄の意志「メジャーで投げる」を胸に刻んで野茂は始動した。

キャッチボール、バント守備、投内連係とこなし、外野でのダッシュを終えクラブハウスに戻った。「遅くなるけど、昼からブルペンで(コーチに)投げて欲しいと朝の練習中に言われました」。想定外の指令も、心の準備は指先に伝わっていた。

カーブ、フォークをそれぞれ2球交え、口癖の「ボールを低めに集める」の意識がこもったストレートが捕手のミットに収まっていく。6人の投手が一斉に投げ込むブルペンで、一番の安定度を見せていた。「まぁまぁいい感じでした」と言葉に実感はこもる。

キャンプ地に到着した前日4日、野茂は「最初はマイナーなのは分かってますし、上に行けないのも分かってます。でも、それは苦じゃないですから」と話した。メジャー屈指の投手力を誇るホワイトソックスで野茂の昇格チャンスは極めて低い。それでも野茂は「楽しんでやりたい」と言う。

朝の練習終了間際だった。ロッカールームを隔てられたクラブハウスの入り口で、偶然に井口と出くわすシーンがあった。井口は帽子を取り野茂に敬意のあいさつをした。残してきた記録もさることながら、ベースボールに抱く永遠(とわ)の情熱に野茂英雄の偉大さがある。

アメリカ野球への「獣道」を自らの力で切り開いてきた。同じ道を歩んできた同年代の佐々木主浩、長谷川滋利は気力を使い果たし、ともに昨季限りで引退を決めた。それでも野茂は投げ続ける。昇格すればホ軍でメジャー7球団目。日本人大リーガーのパイオニアは、今年も不屈の闘志でマウンドに上がる。あと2度行うブルペン登板後に予定される打撃登板を、今は心待ちにしている。

2006/3/7・ニッカンスポーツ
どこへ行く野球侍 (以前のブログ)
開幕メジャーに自信あり・野茂 (以前のブログ)

 にほんブログ村 野球ブログへ
↑blogランキングに参加中です↑
応援してくださる方は1クリックお願いします!!