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いとうな日々

MLB、プロ野球他野球全般、ニュースなどについて、勝手にコメントさせて頂いてます!

お薬師さま

2010-11-21 | お地蔵さん
叔母の1年祭に出るため、亡母の実家を訪れた。神式での式進行である。本屋の神棚の前で、1年祭。

それから、近所の墓所に出向き墓前式。小春日和の穏やかな天気で大勢での移動もスムースに行われた。

墓所に向かう前、ふと亡母がよく言っていたことを思い出した。「お薬師さま」のことである。

当時、大切に管理していなかったため、手や足が傷んでおり、そのため身内の人間にそれらの箇所に症状が出た。「お薬師さま」のお怒りではないかと。

1年半ほど前、血栓が眼球裏の血管に詰まり、右眼に視野障害が起き現在も症状は改善されていない。

現在は手厚く祭られている「お薬師さま」に、視野が回復するよう心よりお願いをした。

久しぶりに母方の親族と会うことができ、清々しい気持ちになり帰ってきた。

赤坂・一ツ木通りのお地蔵さん

2010-11-12 | お地蔵さん
商用で赤坂へ出向いた。TBSの下、千代田線・赤坂駅前の事務所が打ち合わせ場所であった。打ち合わせは約2時間ほどで終わったので、銀座線・赤坂見附駅まで一ツ木通りを歩くこととした。赤坂サカスができ以前とは様相が一変していた。初めてである。日本テレビの汐留には何度かいったことがあるが、やはり放送局、つくりは大差ないようである。

一ツ木通りにはいり、左側にあるお地蔵さんが目にとまった。身代地蔵と子育地蔵、平河山 浄土寺とある。中に鎮座する地蔵尊像は、歴史的にも、まさに江戸六地蔵の兄弟とも言うべきものらしい。入り口の2体のお地蔵様の表情があまりにも微笑ましく・・・満足で、奥まで足を運ばなかった。

赤坂見附駅に右折する所には赤坂不動尊がある。あることは以前から知っていたが、足を運んだことはなかった。行ってみるかと思い、上り口へ。門の脇右側に、お地蔵様が。江戸時代、紀州大納言の祈願寺となり、広く人々に信仰され、栄え、その威徳から、人々は智剣山威徳寺(いとくじ)と呼ぶようになったのだそうだ。江戸の火災や大震災等、いくたびの災禍を免れた霊験あらたかなお不動さまらしい。ここも、上り口のお地蔵様で満足、本尊 不動明王さまにはお目通りせずである。

入り口の幸楽園で軽い昼食。お決まりのコースで締めである。しかし、東京は何処を歩いても必ず史跡に行き当たる。江戸時代の史跡であるから身近に感じられる。歴史教育は何のつながりもない古代から教えるのではなく、現代から遡るべきだと改めて感じた。


国は救っても・・・

2009-11-10 | お地蔵さん
福岡市博多区の東公園には日蓮上人増のほか、亀山上皇像がある。福岡県庁の正面に位置し、遠く博多湾を臨んでいる。亀山上皇は元寇の時に天皇家の実権を握っていた人物で、文永の役で焼失した筥崎宮に「敵国降伏」の書を奉納したとされる。

今朝はあいにくの曇り空、それでも市民の憩いの場所らしく、思い思いに時を過ごすヒトの姿が散見される。老人が多いのを見るに付け、少子高齢化の現実を認識せざるを得ない。

昨日、東京地裁は元女優の酒井法子被告に懲役1年6月、執行猶予3年(求刑懲役1年6月)の有罪判決を言い渡した。本人は更正を目指し介護の仕事に付きたいとのことである。いいことである。

介護の資格は学校の通信教育で取るということである。少子高齢化の影響は彼女への就学合戦となって表面化している。私学の経営がいかに厳しいか?それとも教育に携わるもの心のプアーが露呈しているのか?

八大童子の山:初詣・目黒不動尊

2008-01-02 | お地蔵さん
今年の初詣は「目黒不動尊」の出かけた。全国的に冬型の気圧配置となった中、東京は好天気に恵まれた。成就院(たこ薬師)、安養院を経由して目黒不動尊へ。明治神宮や浅草・浅草寺のような混雑ではないが、さすが東京、そこそこの賑わいであった。

江戸寛永年間、三代将軍家光が寛永寺創建で知られる天海大僧正の具申により、江戸府内の名のある不動尊を指定し天下泰平、国家安穏を祈願した。江戸五色不動という。「目黒不動‐瀧泉寺(東京都目黒区下目黒)」「目白不動 - 金乗院(東京都豊島区高田)」「目赤不動 - 南谷寺(東京都文京区本駒込)」「目青不動 - 教学院(東京都世田谷区太子堂)」「目黄不動 - 永久寺(東京都台東区三ノ輪) 又は 最勝寺(東京都江戸川区平井)」である。

不動明王は仏道の妨げになるものを撃破する威力をもち、大日如来の命を受けて活動することから不動使者とも称されるが、そのまた使者となるのが、矜羯羅(こんがら)・制咤迦(せいたか)の二童子をはじめとする八大童子である。その像が「目黒不動尊」にあった。

五百羅漢寺大鳥神社を経由して帰ってきたが、最後の大鳥神社は初詣の人が多く、目黒通りと山手通りまであふれ出していた。その中に"あぶチャン"を発見。

「神様、願を聞き届けて下さい!」

お七地蔵(大田区・密厳院)

2007-01-27 | お地蔵さん
東京都大田区大森北三丁目5番4号の真言宗・八幡山・密厳院に「八百屋お七」の霊を供養するためのお地蔵さんがある。

大田区・歴史・史跡案内の説明によれば、『八百屋お七は恋のために放火し、江戸の大火を引き起こしたため、鈴ヶ森(すずがもり)刑場で処刑されました。その霊を慰めるために、お七の住んでいた小石川の念仏講の人々が、三回忌にあたる貞享(じょうきょう)2年(1685年)に建てたものです。区指定文化財。』とある。

資料によれば、高さが約1.6メートル、蓮座、台石まで含めると2メートルを超える大きなものだ。お七が若い娘であったため、振袖姿であることもユニークだ。その隣には地蔵菩薩立像と並んで、庚申供養塔が立っている。

辺りはビルが立ち並んでいるが、境内は趣があり心が休まる。時には訪れてみたい場所のひとつである。

大田区 施設案内 歴史・史跡

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お地蔵さん

2006-12-28 | お地蔵さん
ウィキペディア(Wikipedia)によると、『地蔵菩薩(じぞうぼさつ、Skt:Ksiti - garbha)は、仏教の信仰対象である菩薩の1人。kuksi(大地)と、garbha(胎内、子宮)の合成語で、意訳して「地蔵」と言う。

大地が全ての命を育む力を蔵するように、苦悩の人々をその無限の大慈悲の心で包みこみ、救う所から名付けられたとされる。』とある。

身近には、日蓮宗大本山・池上本門寺にも可愛いお地蔵さんがある。参道の階段を上りきって、右側の墓所の入口だ。

冬の夕日を浴びたその姿は、見るだけで心が和んでくる。

所用で横浜市港北区綱島へ。東急綱島駅から北東へ。そこで、夕日を浴びる「お地蔵さん」を見つけた。お寺の名前は、「曹洞宗・綱島山・東照寺」。寺の中にも赤い涎掛けをしたお地蔵さんが六体。その前にも赤い頭巾をかぶったお地蔵さんなど二体。

眺めるだけで心が落ち着いてくるのは、「お地蔵さん」のお慈悲なのか。

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