いとうな日々

MLB、プロ野球他野球全般、ニュースなどについて、勝手にコメントさせて頂いてます!

社会人野球日本選手権:JR九州が初V

2009-11-22 | アマチュア野球
JR九州(九州・福岡)が延長十一回の末、今夏の都市対抗を制したホンダ(関東・埼玉)を3-2で降し、初優勝した。2-2で迎えた延長十一回、2死二塁から田中允の中前適時打で1点を勝ち越し。六回途中から救援の2番手・浜野がホンダの反撃をかわした。

○JR九州(九州・福岡)3-2ホンダ(関東・埼玉)●

JR九州には、九州六大学のOBが主力として在籍している。
△投手:米藤太一(福岡大)、岡田聖志(北九州市大) △内野手:宇多村典明(九州国際大)、 只隈 亮(北九州市大) △外野手:角谷隆次(福岡大)である。

JR九州硬式野球部は旧国鉄時代からの歴史は古く、地元では名門チームであり、社会人野球の草分け的存在である。今回の優勝は、米藤投手が「生まれて初めて大きな全国大会で優勝できた」と喜んでいるように偉業である。この優勝が、九州のアマチュア野球界隆盛の起爆剤になれば幸いである。




日本人の危機意識は?

2009-11-21 | ニュース
実りの秋、スポーツの秋、芸術の秋、食欲の秋、秋の行楽シーズンである。家族で、友達と、職場の仲間と、同級生と同窓会、何かと出かける機会が増えるのである。そんな中、悲しいニュースが飛び込んできた。韓国釜山(プサン)市の室内射撃場で起きた火災で、日本人7人が死亡したのだ。そのうちの3人の告別式が今日雲仙市で執り行われた。

外国、オプション、好奇心、そんな要素が重なり合って室内射撃場へ立ち寄ったのであろう。韓国へはたびたび足を運んだことはあるが、「カジノ」と「射撃場」へはつうぞ行く気にはならなかった。ソノ筋勿論日本の人間が出入りしているということを聞いていたからである。島国である日本、そこで育った日本人は外国に出ると的確な判断力を有しているとはいい難い。いわゆる明治以降の学校教育が作り出した最大の弱点である。特に外国語教育に顕著である。

確かに外国の制度を「サル真似」して国家を短期間に近代化させなければならなかったため、専門の書物を理解することが必要であった。その為に「文法」に偏重したことは理解できる。しかし、言葉はコミュニケーションの手段である事を考えれば「会話」の出来る人間を育てることが重要なのである。一人ででも海外を歩ける人材を育てることが重要なのである。

死亡した7人のうち5人が同窓生であったことは悲劇この上ないことである。そして、30代後半であったことは国家の損失である。博多(福岡)と釜山の間は高速船が運航されており、飛行機を使わなくとも簡単に往来できるのである。人の行き来が活発になれば、外国ではないような錯覚に陥る。でも、出国手続きが終われば、そこは外国である事を忘れてはならない。


正統派の歌唱力

2009-11-18 | WEBLOG

ここ数日、本格的な冬が来たような気候である。こんな季節にマッチした歌のテーマはやはり”雪””風”・・・そんな感じである。電車に乗ってIpodのスイッチをONにすると、倍賞千恵子のアルバムだった。松竹歌劇団(SKD)の出身でもともと歌には定評のある人である。松竹歌劇団は浅草・国際劇場を本拠地とし、西の宝塚に対抗する存在であった。

このアルバムの収録曲は 1.下町の太陽 2.星に祈る 3.銀色の雨 4.ラブレター 5.花はおくらないでください 6.悲しい旅 7.私でよかったら 8.雨に濡れた恋 9.さよならはダンスの後に 10.おはなはんの歌 11.さくらのバラード 12.忘れな草をあなたに 13.さくら貝の歌 14.小さい秋みつけた 15.雪の降る町を 16.惜別のうた 17.花言葉の唄 18.あなたと共に、の18曲である。雪の降る町をはまさに今の季節にぴったりである。

もともと、高英男が歌ってヒットした曲である。その歌唱はシャンソン的で甘ったるい感じであった。一方、倍賞のそれは楽譜を正確に辿っていて、まさに教科書的だ。SKDで培われた基礎があるからであろう。
作詞:内村直也 作曲:中田喜直

雪の降る町を 雪の降る町を
思い出だけが 通りすぎて行く
雪の降る町を
遠いくにから落ちてくる
この想い出を この想い出を
いつの日にか包まん
あたたかき幸福(しあわせ)のほほえみ

雪の降る町を 雪の降る町を
あしあとだけが 追いかけてゆく
雪の降る町を
一人こころに満ちてくる
この哀しみを この哀しみを
いつの日かほぐさん
緑なす春の日のそよ風

雪の降る町を 雪の降る町を
息吹きとともに こみあげてくる
雪の降る町を
誰も分からぬ わが心
このむなしさを このむなしさを
いつの日か祈らん
新しき光降る鐘の音

倍賞といえば俳優としての方が名が通っている。「下町の太陽」「霧の旗」「男はつらいよシリーズ」「幸福の黄色いハンカチ」「遙かなる山の呼び声」最近は「母べえ」出演作は枚挙に暇がない。墨田(隅田)で一時期を過ごした者にとって一層の親しみを感じるのである。

芝浜

2009-11-15 | WEBLOG
酒ばかり飲んでいる男が芝浜で大金の入っている財布を拾う。しかし拾ったはずの財布がなくなる。妻の言葉によって「財布を拾ったこと」は夢であったと諦める。男は改心して、懸命に働き、立ち直り、独立して自分の店を構えるまでに出世する。後に妻から実は妻が財布を隠していたという事の真相を知らされるという筋である。夫婦の愛情を暖かく描き、古典落語の中でも屈指の人情噺として知られる。

先日他界した三遊亭円楽が脳梗塞で倒れた後、復帰後の演題に選んだのが「芝浜」だった。思ったように演じられないということで引退を決意した話は有名である。別名、「ばにゅう」「革財布」「芝浜の財布」「金拾い」「芝浜の皮財布」という演目で語られる。

現在、柳家小三治古今亭志ん朝立川談志の「芝浜」を持っているが、三人三様の味があって面白い。人情味を醸し出す夫婦のやり取り、賢い奥さんの一瞬の機転が、3年後の「落ち」へと導いていく。奥さんから酒を差し出され、「やめとこう。また夢になるといけない」と夫。

北は新橋、南は品川に接し、江戸時代は東京湾に臨む景勝地で、増上寺、青松寺、泉岳寺、愛宕神社などの寺社や武家屋敷が並んでいる芝地区。落語「芝浜」を思い出しながら散策してみると気持ちを新たにすることができるかもしれない。(落語「芝浜」の舞台を歩く

原監督 4冠達成!

2009-11-14 | プロ野球
今日、長崎県営野球場で行われた日韓クラブチャンピオンシップを9-4で勝利した原監督は、WBC、リーグ制覇、日本一に続く4冠目を達成した。

韓国のチャンピオンKIAに先行を許したが、六回、小笠原の中越えソロで1点を返し、七回には無死一、二塁から阿部の右越え3ランで逆転。さらにラミレス、亀井、工藤に3連続適時打でこの回7点を奪って試合を決めた。

巨人(日本) 000 001 701=9
KIA(韓国) 100 020 001=4
勝投手:野間口 セーブ:オビスポ 敗投手:郭正哲
本塁打 小笠原1号(1)(梁弦種)阿部1号(3)(郭正哲)

監督としての地力を着実につけてきた原監督。今年、WBCのときは選抜チームであったため、作戦面での優秀さはあまり目立たなかったが、チームに戻ってからの采配は確信に満ちており、根底にあるものは「信じる」ということではなかったかと思われる。

原監督といい松井選手といい長嶋さんの教え子がいい働きをしている。

松井 FA申請

2009-11-13 | 大リーグ
契約の最終年を終えた、ヤンキースの松井選手が今週月曜日FA申請した。35歳の松井にとっておおくの野球人生が残っているわけではない。

新契約のポイントは、DHではなく、守備にもつく当たり前の野球選手として契約してくれるチームを選ぶことである。

そんな中、松井の代理人であるテレム氏が緊急声明を発表したと産経新聞が伝えた。英語の勉強を兼ね紹介してみたい。
Arn Tellem
Principal, Wasserman Media Group

Hideki Matsui: An Ageless Talent

There's a restaurant in Manhattan's garment district that's practically a gustatory shrine to one of my baseball clients, Hideki Matsui of the New York Yankees. The walls of Go! Go! Curry are
festooned with Matsui autographs, caricatures, photographs and newspaper headlines trumpeting his last name, 松井. Matsui is held in totemic esteem at this Japanese curry house, so much so that the joint's very name derives from his jersey number. "Go" is five in Japanese and 55 is what Matsui wears on his pinstriped back. The restaurant even offers 55-cent discount coupons on days after he hits a home run. For those of you without a scorecard, Godzilla hit 28 homers during the regular season, and four more in the post-season.

Despite not starting a single game at Citizens Bank Park, a National League stadium at which the designated hitter is not allowed, Matsui slammed three World Series homers and a record-tying eight RBIs. In the second inning of Game 6 at Yankee Stadium, his two-run shot off Philadelphia's Pedro Martinez put the Yanks ahead for good. The ball clanged off an advertisement on the facing of the second deck in right field -- appropriately, a sign for Komatsu, a Japanese company that makes mining and construction equipment.

No hitter had ever done more damage in the Fall Classic in such a limited role. Matsui posted the third-highest average for a player with at least 10 at-bats in the Series, and the second-highest slugging percentage to Lou Gehrig. After Godzilla's thunderous footfalls helped level Philly, hundreds of Yankees fans converged on Go! Go! Curry to pay tribute to the first Japanese-born Series MVP. The Neagari native who became everybody's all-American accomplished all this in New York, the melting pot where immigrants come to pursue a better life. By embracing Matsui, New Yorkers have once again shown that though ball clubs are named for cities and states, they transcend geography. Teams may not be where we find our heroes today, but, as Matsui has demonstrated, it's where we find heroic situations we can all dream of, argue about or simply watch together in amazement. That's the game's unifying force.

Matsui filed for free-agency on Monday, and sportswriters have speculatedthat he doesn't figure into the Yanks' future plans. A 35-year-old DH, they argue, doesn't make sense for such a veteran team.

As his agent, I take a different view. The ageless Matsui has shown not just that he can still hit, but that he can hit with consistency and aplomb. During the regular season, he ranked second among DHs in homers, and third in slugging percentage, on-base percentage and walks. No left-handed hitter homered more off southpaws. Matsui combines the late-inning heroics of Yankees great Tommy (Old Reliable) Henrich and the superb professionalism of Paul O'Neill. He's a complete player who always has taken pride in contributing to all facets of the game.

Matsui's immense popularity in Japan gives the Yanks strong financial incentive to re-sign him. He helps bring in millions of dollars annually in marketing and sponsorship revenue. In the seven years since he joined the Bronx Bombers, Matsui has played a pivotal role in establishing the Yankees as a global brand. Six major Japanese companies -- including Toyota, Sony and the Daily Yomiuri newspaper -- have signed on as advertisers, each reportedly adding $1 million or so a year to team coffers. Most of these firms have placed their billboards in right field, often the final resting ground of Godzilla's monstrous clouts, to target the audience of NHK, the Japanese radio and television network. Currently, NHK airs 120 Yankee games a season.

It's not a stretch to say Matsui is as responsible for Japanese interest in the Yankees as Yao Ming is for the NBA in China. Matsui has yet another virtue that goes beyond mere statistics. In an age when athletes mock our reverence daily, he's exemplary in every aspect of his life. In January of 2003, his very first request upon landing in New York was to be taken to the Twin Towers memorial to pay his respects. He did this without publicity or fanfare. He did it because, he said, it was "the right thing to do." After the tsunami hit Indonesia at the end of 2005, Matsui, out his own sense of decency, donated $500,000 to UNICEF. He's one of those rare superstars who recognize the unique role his astonishing talent has given him and the good he can do for others.

Matsui loves New York. He says the last seven years in the Bronx will always have "a special place" in his heart. Fans of Japanese curry take note: Wherever Godzilla winds up, he'll be spawning 55-cent coupons for years to come.

huffingtonpost.com

マンハッタンに私の顧客であるニューヨーク・ヤンキースの松井秀喜を称えるレストランがある。「GoGoカレー」の店内の壁にはサインや絵、写真、新聞の見だしなど、松井に関する品が飾られている。「Go」は日本語で数字の「5」。「55」は松井のピンストライプの背番号だ。彼が本塁打を打った翌日には55セントのクーポンも配られる。
 
DHのない敵地で先発出場しなかったにもかかわらず、松井はワールドシリーズで3本塁打、8打点を記録した。ヤンキースタジアムでの第6戦の二回、ペドロ・マルティネスから放った2ランは世界一を決めた。打球は右翼2階席の広告を越えた。広告は「コマツ」の看板。建設機械を扱う日本の企業だ。
 
役割が限定された中で、ここまで活躍したバッターはかつていなかった。松井は10打席以上立った打者でシリーズ史上3番目に高い打率、ルー・ゲーリックに次ぐ2番目に高い長打率を残した。石川県根上町出身の彼は、“人種のるつぼ”ニューヨークで偉業を成し遂げた。
松井は月曜日にFA申請した。スポーツ記者たちは 35歳のDHは、ただでさえ高齢化したチームにはふさわしくないと主張する。だが、代理人として、私の考えは違う。老いをまったく感じさせず、松井は安定 した数字を残すこと、どんな状況でも冷静に打てることを証明した。DHとして本塁打は2位、長打率、出塁率、四球は3位の数字だ。彼以上に左投手から本塁打した左打者はいない。松井は試合終盤の勝負強さを誇ったヤンキース往年のトミー・ヘンリックと、プロ意識の塊と言われたポール・オニールを合わせたような存在だ。試合に直結する得点に貢献することにプライドを持つ彼は、完成された選手といえる。
 
ヤンキースにとって彼と再契約をすることは付加価値も生む。松井を通してスポンサーやマーケティング関係の収入が球団に毎年、億単位で入る。トヨタ、ソニー、読売新聞など、大手日系企業6社が広告を出しており、球団に毎年1億円以上の収入が入る。現在、NHKは年間平均120試合ものヤンキース戦を放送している。
 
また、松井には野球の成績以上の美徳がある。2003年1月、彼がニューヨーク到着直後、まず最初にしたことは世界貿易センタービル跡地を訪れたことだった。まったくのプライベートで宣伝ではなかった。「こうすることが正しいこと」と彼は言った。2005年に津波がインドネシアを直撃した際、松井は50万ドルをユニセフに寄付した。彼は自分の才能によって与えられた役割に気付いている数少ないスーパースターだ。
 
松井はニューヨークを愛している。彼はこのブロンクスでの7年間は“特別な場所”だと言う。カレー店のファンの皆さん、たとえゴジラがどの球団へ行こうとも、今後も彼は活躍し続ける。そして、55セントのクーポンを生み続けてくれるはずだ。

森繁久彌さん大往生

2009-11-11 | ニュース
昨晩、テレビのニュース速報が二つの大きなニュースを伝えた。指名手配され、整形写真が公開された千葉県市川市で07年に起きたリンゼイ・アン・ホーカーさん(当時22歳)殺害・死体遺棄事件の市橋容疑者逮捕と「稀代の名優」森繁久彌さんの死去の報である。

「こおれる月かげ 空にさえて
 ま冬の荒波 寄する小島(おじま
思えよ灯台 守る人の
とうときやさしき 愛の心」

最近購入したCDのうちの一曲「灯台守」である。そのとき何故か森繁久彌だったのである。探していたのは「銀座の雀」、あいにくその曲が入っているCDを見つけ出せなかった。となれば、哀愁漂う歌唱にぴったりの曲が入ったCDをと。

収録曲は①故郷 ②夏は来ぬ ③仰げば尊し ④灯台守 ⑤冬の夜 ⑥真白き富士の嶺 ⑦早春賦 の7曲である。ナレーションもあり、小中学生時代が思い起こされる。戦後、日本を代表する俳優であったことは周知の事実であろう。しかし、独特な歌唱法の歌い手としての森繁久彌を最も気に入っていたのに・・・。
たとえどんな人間だって 心の故郷があるのさ
俺にはそれが この街なのさ
春になったら 細い柳の葉が出る
夏には雀がその枝で啼く

雀だって唄うのさ
悲しい都会の塵の中で
調子っぱずれの唄だけど
雀の唄は おいらの唄さ

銀座の夜 銀座の朝
真夜中だって知っている
隅から隅まで知っている

おいらは銀座の雀なのさ
夏になったら啼きながら
忘れものでもしたように
銀座八丁とびまわる
それでおいらは うれしいのさ

すてばちになるには 余りにもあかるすぎる
この街の夜も この街の朝にも
赤いネオンの灯さえ
明日の望みに またたくのさ

昨日別れて 今日は今日なのさ
惚れて好かれて さようなら
後にゃなんにも残らない

春から夏 夏から秋
木枯しだって知っている
みぞれの辛さも 知っている

おいらは銀座の雀なのさ
赤いネオンによいながら
明日の望みは風まかせ
今日の生命に生きるのさ
それでおいらは うれしいのさ
あの世でもそのタレント性を大いに発揮してください。ご冥福をお祈りいたします 合掌。 

国は救っても・・・

2009-11-10 | お地蔵さん
福岡市博多区の東公園には日蓮上人増のほか、亀山上皇像がある。福岡県庁の正面に位置し、遠く博多湾を臨んでいる。亀山上皇は元寇の時に天皇家の実権を握っていた人物で、文永の役で焼失した筥崎宮に「敵国降伏」の書を奉納したとされる。

今朝はあいにくの曇り空、それでも市民の憩いの場所らしく、思い思いに時を過ごすヒトの姿が散見される。老人が多いのを見るに付け、少子高齢化の現実を認識せざるを得ない。

昨日、東京地裁は元女優の酒井法子被告に懲役1年6月、執行猶予3年(求刑懲役1年6月)の有罪判決を言い渡した。本人は更正を目指し介護の仕事に付きたいとのことである。いいことである。

介護の資格は学校の通信教育で取るということである。少子高齢化の影響は彼女への就学合戦となって表面化している。私学の経営がいかに厳しいか?それとも教育に携わるもの心のプアーが露呈しているのか?

落語 百年目

2009-11-09 | WEBLOG

古今亭志ん朝の落語の中から今日は「百年目」を聞くことにした。特別の理由があるわけではない。Ipodのダイヤルを回していたらそこに止まったのである。

このネタは六代目三遊亭圓生五代目古今亭志ん生が得意にしていたということであるが、古今亭志ん朝は圓生譲りの本格派であるらしい。

百年目の意味するところは、「百年目で、もう逃れられない」という意味、つまりもうどうにも逃れようもない命の瀬戸際ということなのです。まずは聞いてみることをお薦めする。

舞台が隅田堤、向島あたりになっており、小・中学校をそのあたりで過ごした小生にとっては懐かしさが十分である。隅田公園は少年野球の墨田区大会で優勝した野球場もある。

巨人、7年ぶり日本一! MVPは阿部

2009-11-07 | プロ野球
日本シリーズ第6戦は2-0で巨人が勝ち、対戦成績4勝2敗で、7年ぶり21度目の日本一に輝いた。

6戦の試合結果は以下のとおりである。
【第1戦】10月31日(土)●日ハム3-4巨人○ 勝:ゴンザレス 負:武田勝
【第2戦】11月 1日(日)○日ハム4-2巨人● 勝:ダルビッシュ 負:内海
【第3戦】11月 3日(火)●日ハム4-7巨人○ 勝:オビスポ  負:糸数
【第4戦】11月 4日(水)○日ハム8-4巨人● 勝:八木   負:高橋尚
【第5戦】11月 5日(木)●日ハム2-3巨人○ 勝:山口   負:武田久
【第6戦】11月 7日(土)●日ハム0-2巨人○ 勝:内海   負:武田勝

最高殊勲選手(MVP)には、第5戦でサヨナラ本塁打を打つなど活躍した阿部慎之助捕手(巨人)が選ばれた。

戦前から巨人有利が伝えられていたが、予想外?の日ハムの健闘で盛り上がりのある日本シリーズとなった。また、巨人の原監督はWBC優勝と日本シリーズ優勝で、名実ともに名監督の道を歩み始めた。
◇表彰選手
MVP=阿部慎之助(巨人)▽敢闘選手=高橋信二(日本ハム)▽優秀選手=亀井義行、ゴンザレス(以上巨人)、小谷野栄一(日本ハム)

▽巨人・原監督 素晴らしいチームと日本シリーズを戦って日本一になったことを誇りに思う。胴上げも感無量です。長いシーズンを日本一で締めくくることができて、我々は間違っていなかったと自信を深めた。

▽日本ハム・梨田監督 残念だ。せめて第7戦までいきたかった。11安打で完封負けはシリーズ史上初めてじゃないか。最後はもうちょっと盛り上がっても良かったかな。巨人が一枚上だった。

毎日新聞