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いとうな日々

MLB、プロ野球他野球全般、ニュースなどについて、勝手にコメントさせて頂いてます!

長嶋茂雄氏 東北を激励

2011-03-19 | プロ野球
長嶋茂雄氏のメッセージ

長嶋茂雄被災された皆さん、頑張ってください。いま言えることはそれだけです。そして自分に言い聞かせているのは「信頼すること」の大切さです。
被災された皆さんが、避難された時の助け合い、自己犠牲、忍耐、秩序だった行動など、テレビで報じられたそんな姿を見て、人が互いに信じ合うことの強さに打たれました。
被災地から離れたところにいる私にできることは何か、節電や不急、不要の電話や車を使った外出を避けるぐらいしかできないのをいら立たしく思いますが、日本人のすべてが皆さんを見守って、できることをやるぞ、と決めていることを信じてほしいと思います。
東北地方には、選手時代に公式戦の遠征で何度か行きました。いつでしたか、不調の時の遠征で、仙台のすし屋でバッティング談議を始めたところ、主人が子供用のバットを出してきたので素振りをしたことがあります。その翌日の盛岡の試合で私は本塁打したのですが、そのすし屋の主人はその子供用のバットを大切にしていて、なんと野球体育博物館に寄贈してくれたそうです。
色紙東北というといつも思い出す話です。野球とファンの結びつきをうれしく思うと同時に、私たち野球人ができることは野球を通じての復興へのお手伝いなのだ、とあらためて心に銘じています。
選手がいつでも試合ができる状態で備えておくのはもちろんですが、被災された方々と常に心を一つにして非常時に立ち向かう気構えを持たねば、と覚悟しています。
東北地方の皆さんの忍耐強さとくじけぬ心を信頼します。私もできることに力を尽くす、とお約束します。
皆さん、頑張ってください。頑張りを信じています。
北海道新聞=「長嶋氏が被災者に手書きで激励 「がんばれ東北」」

「がんばれ東北」の色紙は長嶋氏が自らリハビリ中の左手で書いたもの。現役時代「天才」と評されたが、不断の鍛錬、努力は知る人ぞ知るところであった。長嶋茂雄氏からの激励はきっと震災に遭遇した人々に勇気と希望を与えるの違いない。




Good-by Wally :与那嶺要氏が死去

2011-03-02 | プロ野球
戦後の日本プロ野球を変質させた男。アメリカンフットボール仕込みの果敢な走塁、強烈なスライディング。巨人で首位打者を3回獲得、中日監督として巨人の10連覇を阻止。父親は沖縄県、母親は広島県からのハワイ移民日系2世。

与那嶺要(よなみね・かなめ、本名=Wallace Kaname "Wally" Yonamine)氏が2月28日午後9時45分(日本時間1日午後4時45分)、前立腺がんのため米ハワイ州ホノルル市で死去した。85歳だった。

実際に巨人の中堅手としてのプレーを何度か見たことがある。トップバッターとしてのシャーな打撃、果敢なスライディングやクレバーな投手との駆け引き、そしてユニホームを脱いだ後のアメリカン・ゼントルマンとしての服装が印象にのこっている。通算打率でも0.311と張本勲、川上哲治に次ぐ歴代3位の成績を残している。

ベースボールとは決してロング・ドライブのコンテストではなく、攻守走のオールラウンドにわたる激烈な戦闘であることを、日本人に実際のプレーで教えてくれたのが与那嶺であり、その意味で、彼こそ、来日した外国人選手中のナンバーワンである事は疑いない。

長嶋茂雄・巨人終身名誉監督:最近、体調を崩されたと聞いて回復をお祈りしていましたが、突然の悲報に大変驚いています。現役時代のアグレッシブなプレーに大きな衝撃を受け、野手とのぶつかり合いを恐れない激しいスライディングで、野球が格闘技であることを教えてくれた恩人です。私の監督時代、コーチとして若い選手に攻撃的なプレースタイルを注入していただきました。心からご冥福をお祈りします

革命を起こした日系二世/快速・与那嶺要

松井が親交があった巨人の大先輩、与那嶺要さんの死を悼んだ。プロとなって間もないころに「つきっきりで外野守備を教えてくださった。(打者が)打つ瞬間に集中しろと言われた。昔の話を聞くと面白かった」と語った。






スポーツ界の今年を振り返って・・・

2010-12-31 | プロ野球
今年のスポーツ界で印象に残ったプレーを3つあげてみたい。なにせ、テレビ観戦なのであるがその機会も少なかったので、材料不足である。

まず、監督の資質ということで考えさせられたプレーである。巨人エドガー・ゴンザレス内野手は、9月21日の横浜戦で、結果的に同点に追いつかれる一因となる致命的な守備ミスを犯すと7回途中に交代を命じられ、244日に2軍降格。その後1軍に再昇格することはないまま、シーズンを終え、自由契約となった。

日本的な野球であればダブルプレーにしなければいけないプレーではあった。しかし、ベースボーではひとつのアウトは確保したのだからOKなのだ。首脳陣が日頃の練習の際、指導していなかった証であった。なのに、選手個人に責任を取らせ知らぬ顔。原監督の度量のなさを垣間見た気がする。

10月9日、パリーグクライマックスシリーズ第1ステージ第1戦、千葉ロッテ-西武の8回表、ロッテ・西岡剛内野手が放ったセンターオーバーの勝ち越しホームランである。1-1のロッテ成瀬と西武涌井の緊迫した投手戦。この西岡のホームランで試合が終盤に来て動き出した。

8回裏西武が4点を取って再逆転、最終回ロッテがしぶとく同点に追いついて延長戦に。11回、福浦の勝ち越しホームランでロッテが勝利を手にした。ロッテがソフトバンク、中日を破って日本一に輝いた出発点の試合だった。
西岡はらいシーズンはツインズで、メジャーリーガーとなるが、十分通用すると思う。

さて、今年はFIFAワールドカップ(W杯)が南アフリカで開催された。予選を勝ち抜いていた日本は、グループEで、オランダ、デンマーク、カメルーンと決勝トーナメント進出をかけて戦った。

6月14日、日本は第1戦で、カメルーン対戦した。日本は前半39分の本田のゴールを守り切り、初戦を1―0の勝利で飾った。この勝ち点3が非常に大きかった。第2戦オランダに1-0と敗れたが、第3戦デンマークを3-1で破り、勝ち点6で文句なく決勝トーナメントに進出した。

決勝トーナメント1回戦は、パラグァイと対戦し、0-0の緊迫した試合で、PK戦となり、3-5で惜しくも敗退した。

しかし、今までのイライラするサッカーとは違い、今回は、見ていて時間を感じさせないすがすがしいサッカーであった。岡田監督の資質を感じる試合の連続であったが、その戦略を実践して見せた本田圭佑をはじめとする選手の資質に脱帽であった。今後のサッカー界の基礎はできたと思える。



野球小僧 神の元へ旅立つ

2010-04-08 | プロ野球
正真正銘の野球小僧、巨人の木村拓也コーチが神の元へ旅立った。

日本ハム、広島、巨人の3球団に在籍し、プロ19年間で1523試合に出場。通算成績は1049安打、打率2割6分2厘、280打点、103盗塁、53本塁打だが、数字以上に存在感のある選手だった。捕手として入団し、その後に野手に転向しただけに、投手以外の全ポジションを守った経験を持っていた。

4月2日の広島戦(マツダ)の試合前に突然倒れて意識不明になっていた。試合前のノックの時にくも膜下出血で倒れた。5日間強力な生命力で戦ったが力尽きた。37歳・・・若すぎる。

原辰徳監督(巨人)は阪神戦を前に、「奇跡を起こしてくれと思っていたが、かなわなかった」と号泣したという。全球団が試合前に「黙祷」を捧げたことから見ても、本物の野球少年だったことがうかがえる。

ご冥福をお祈りいたします!

隔世の感

2010-01-19 | プロ野球
巨人、阪神で投手として活躍した小林茂氏が17日急逝した。奇しくも阪神淡路大震災の15年目の日であった。小林氏はサイドハンドのピッチャーとしてその投球スタイルは、多くのその種のピッチャーが技巧的投球を行う中、闘志を体全体で表現する熱血派であった。

小林氏といえば江川氏との運命的な係わりを思い出さずにはいられない。「巨人・大鵬・玉子焼き」といわれた巨人人気の陰りとなった事件である。「空白の一日」で巨人と契約した江川氏の身代わり?として小林氏が阪神に電撃トレードとなった事件である。

その後小林氏はその投球スタイルそのままに闘志むき出しのピッチングで、巨人戦では連勝を重ねた。その端正な顔立ちからは想像もできないファイトであった。

しかし、この世の中は無常なものである。日本ハムの一軍のピッチングコーチとしてこれからますますの能力が発揮されようとするとき他界してしまった。江川氏や長嶋巨人名誉監督のコメントを見てみると、人の係わりの数奇さを感じざるを得ない。これでまた、ひとつの時代に終止符が打たれることとなった。
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▼巨人長嶋終身名誉監督 

突然の訃報に大きなショックを受けています。1976、77年のリーグ優勝に大きく貢献してくれたことを鮮明に覚えています。細身の体からは想像もつかないくらいスタミナがあり、ベンチにとって本当に頼りがいのある投手でした。正直に言うと、阪神へトレードになったことは残念な思いでいっぱいです。現場の監督として悪いことをしてしまったという気持ちがいまだに残っています。若すぎる、早すぎる最期です。

江川氏「僕の中ではまだ終わっていない

沈痛な面持ち。目には涙をためていた。午後10時。日本テレビ内で会見した元巨人の江川卓氏(54)は時折、声を詰まらせて言った。

 「突然の死でびっくりしました。今年から日本ハムで1軍のコーチになられるということで、また球場に行ったら、お会いするんだろうなとは思っていたんですけど……。大変残念です」

 プロ野球界を揺るがした江川事件。当事者として小林氏を巻き込んだ責任は忘れたことはない。電撃トレードから1年後の80年1月だった。東京・飯倉のステーキ店で偶然顔を合わせ、あいさつしようとしたが手で制された。そして同年8月16日の初対決。雨の後楽園で完投勝利を収めた。

 「一生の中で負けるわけにはいかない試合は2つ、3つある。そういう試合で勝つことができて小林さんに恩返しできたと思う」。直接対決は7勝2敗。一方で通算成績は自身の135勝に対し、小林氏は139勝。「入団の時から小林さんの成績を抜かないといけないという思いでやってきましたが、抜けなかった」と振り返った。

 現役時代2人だけで言葉を交わすことはなかったが、07年9月に酒造メーカー「黄桜」のCMで共演。トレードから28年後の和解だった。「その時におわびしました。“お互い大変だったな”という言葉をもらい、凄くホッとした」。結局、それ以来再会を果たせず、小林氏は逝った。

 江川氏は唇をかみしめながら言った。「僕の中では(江川事件は)まだ終わっていない。原因はこちらにある。小林さんが亡くなったからといって、申し訳ないという気持ちは一生なくならない」。小林氏のために何ができるか。自問自答した。「小林さんが残したプロ野球の実績、気持ちが凄く強い方だったので、そういうものは伝えていけたらと思います」

 夜には自身がキャスターを務める日本テレビ「SUPERうるぐす」で天国の小林氏へメッセージを送った。「もう1回投げ合ってみたいですね。全力で」。54歳。江川氏は小林氏の生きざまも背負い、生きていく。

 ≪07年9月CMで再会≫2人が再会した酒造メーカー「黄桜」のCM撮影は、07年9月に都内で行われた。台本は一切なし。4台のカメラの前で、それぞれの思いを語り合った。「お互いきっかけを探していた。憎しみはもうないよ」と小林氏。撮影は66分間におよび「これからは会ったらオレから声を掛けるよ」とも話した。一方、江川氏は再会の際に「長い間、本当に申し訳ありませんでした」と謝罪。テレビ番組内で撮影を振り返った時には「大変緊張した。会えてよかった…」と涙した。

スポニチ


原監督 4冠達成!

2009-11-14 | プロ野球
今日、長崎県営野球場で行われた日韓クラブチャンピオンシップを9-4で勝利した原監督は、WBC、リーグ制覇、日本一に続く4冠目を達成した。

韓国のチャンピオンKIAに先行を許したが、六回、小笠原の中越えソロで1点を返し、七回には無死一、二塁から阿部の右越え3ランで逆転。さらにラミレス、亀井、工藤に3連続適時打でこの回7点を奪って試合を決めた。

巨人(日本) 000 001 701=9
KIA(韓国) 100 020 001=4
勝投手:野間口 セーブ:オビスポ 敗投手:郭正哲
本塁打 小笠原1号(1)(梁弦種)阿部1号(3)(郭正哲)

監督としての地力を着実につけてきた原監督。今年、WBCのときは選抜チームであったため、作戦面での優秀さはあまり目立たなかったが、チームに戻ってからの采配は確信に満ちており、根底にあるものは「信じる」ということではなかったかと思われる。

原監督といい松井選手といい長嶋さんの教え子がいい働きをしている。

巨人、7年ぶり日本一! MVPは阿部

2009-11-07 | プロ野球
日本シリーズ第6戦は2-0で巨人が勝ち、対戦成績4勝2敗で、7年ぶり21度目の日本一に輝いた。

6戦の試合結果は以下のとおりである。
【第1戦】10月31日(土)●日ハム3-4巨人○ 勝:ゴンザレス 負:武田勝
【第2戦】11月 1日(日)○日ハム4-2巨人● 勝:ダルビッシュ 負:内海
【第3戦】11月 3日(火)●日ハム4-7巨人○ 勝:オビスポ  負:糸数
【第4戦】11月 4日(水)○日ハム8-4巨人● 勝:八木   負:高橋尚
【第5戦】11月 5日(木)●日ハム2-3巨人○ 勝:山口   負:武田久
【第6戦】11月 7日(土)●日ハム0-2巨人○ 勝:内海   負:武田勝

最高殊勲選手(MVP)には、第5戦でサヨナラ本塁打を打つなど活躍した阿部慎之助捕手(巨人)が選ばれた。

戦前から巨人有利が伝えられていたが、予想外?の日ハムの健闘で盛り上がりのある日本シリーズとなった。また、巨人の原監督はWBC優勝と日本シリーズ優勝で、名実ともに名監督の道を歩み始めた。
◇表彰選手
MVP=阿部慎之助(巨人)▽敢闘選手=高橋信二(日本ハム)▽優秀選手=亀井義行、ゴンザレス(以上巨人)、小谷野栄一(日本ハム)

▽巨人・原監督 素晴らしいチームと日本シリーズを戦って日本一になったことを誇りに思う。胴上げも感無量です。長いシーズンを日本一で締めくくることができて、我々は間違っていなかったと自信を深めた。

▽日本ハム・梨田監督 残念だ。せめて第7戦までいきたかった。11安打で完封負けはシリーズ史上初めてじゃないか。最後はもうちょっと盛り上がっても良かったかな。巨人が一枚上だった。

毎日新聞

 

早すぎる死

2009-11-06 | プロ野球
昨日は、ヤンキースの世界一、松井のMVP、日本シリーズでの劇的な巨人のサヨナラ勝ち。球界はチャンピオン決定戦でもちきりである。

各チームとも、来年の戦力に大きな影響を持つドラフト会議も先月29日に無事終了した。その会議に出席していた、プロ野球広島の内野手として1975年に初のリーグ優勝、79、80年の日本一に貢献し、広島の監督も5年間務めた三村敏之氏が3日午前10時5分、心不全のため61歳で死去していたのである。

また「野球小僧」がひとり神の許に召された。早すぎる死を惜しむ声があちこちから聞こえてくる。
▼楽天・米田純球団代表の話 きのう球団事務所にいらしたばかり。コーチ会議に参加したいとのことだったが、体調が悪そうだったのでお帰りいただいた。チームのことを思い、尽力していただいたので非常に残念。ご冥福をお祈りします。

 ▼楽天・島田亨オーナー兼球団社長の話 偉大な野球人を失ったことは、大きな悲しみです。これからさらに力をお借りしなければならないと思っていただけに、本当に残念でなりません。

 ▼広島・松田元オーナーの話 びっくりしており、信じられません。選手としてもそうですし、監督、コーチとしても長い年月、球団を支えていただいた。大変感謝しておりますし、残念です。

 ▼山本浩二・元広島監督の話 ドラフトの時にテレビに映っていたから元気なんだと思っていた。年は二つ違うが、いいライバルでもあったし、お互いがお互いの気持ちを分かり合っている仲間だった。早すぎるよ。残念だし、寂しいよ。

 ▼元広島・江夏豊氏の話 実に残念だ。現役時代は地味だったが、記憶に残る選手だった。彼からいろいろ学ばせてもらった。お互いに現役選手としては、いい人生を送らせてもらった。

 ▼元広島・衣笠祥雄氏の話 1975年の初優勝メンバーが亡くなるのは初めてではないか。三村は野球センスが抜群だった。少し体力的に足りない部分があったが、徐々に克服した。彼が一生懸命頑張ってくれたから何回も優勝できた。

 ▼達川光男・元広島監督の話 陰で努力をする人だった。監督としても5年間で4度のAクラス。巨人に11・5ゲーム差を逆転された時も、逆に言えば巨人の独走を許さなかったと言える。今年の楽天躍進の裏には三村さんの功績があったと思う。

 ▼野村謙二郎・広島監督の話 訃報を聞いて、何とも言えない気持ちになった。ドラフト会場で久々に会い、第一声が「やっとおまえが監督をやるようになったか」だった。非常に残念でつらいです。

 ▼ソフトバンク・王貞治会長の話 びっくりした。残念だ。もっと野球界のために頑張ってほしかった。

 ▼巨人・伊原春樹ヘッドコーチの話 同郷の同い年で、中学、高校と決勝であいつのチームに負けた。この前、電話した時は大丈夫だと言っていたんだけど。残念です。

 ▼巨人・西山秀二バッテリーコーチの話 急な話で驚いている。すごく合理的な考えをする人で、若いころは反発心もあったが、自分が指導者になって、三村さんはすごくいいことを言っていたんだと初めてわかった。

 ▼巨人・木村拓也内野手の話 すごくお世話になった。僕がバットを短く持つようになったのも、三村さんのアドバイス。まだ1軍と2軍を行き来しているころに、短く持っても芯に当たれば飛ぶんだよと言ってもらった。

 ▼元広島・大下剛史氏の話 若い。病気に負けちゃいかんと言っていたのに。四つ下で、小さいころから草野球をやった仲。幼稚園、小学校、中学校、高校、みんな後輩で弟のようだった。広島で1、2番を組んで初優勝した。一人で逝ってしまった。考えられない。

 ▼日本ハム・梨田昌孝監督の話 びっくり。この前、ドラフト会議の時に会ったばかりだし、そんな体調が悪いようには見えなかった。

 ▼阪神・金本知憲外野手の話 突然のことなので、実感がわきません。プロ野球の基本のすべてを教え込んでいただいて、私にとって生みの親と呼んでもいい。本当によく鍛えてくれた恩人でもあります。

(Sponichi)

マイケルと二岡、2対2の大型トレード合意!

2008-11-13 | プロ野球
来季こそ日本一奪回へ、巨人が早くも補強に乗り出した。二岡智宏内野手(32)、林昌範投手(25)と、日本ハムのマイケル中村投手(32)、工藤隆人外野手(27)の2対2の交換トレードが合意に達したことが10日、明らかになった。中継ぎ投手陣の強化を図る巨人と、右の強打者を求める日本ハムの思惑が一致。近日中に両球団から発表される。

6年ぶりの日本一を逃した巨人が、早くも補強に着手した。

今季、横浜から移籍した守護神クルーンはリーグ最多の41セーブを挙げたが、救援失敗も8度を数えた。四球が多く、シーズン終盤は不安定な投球が目立った。原監督は「今年はリリーフ陣の奮闘に助けられた」と中継ぎの重要性を評価。ベテランの豊田に今季急成長した左の山口、右の越智がいるが、さらなる強化のため、マイケル中村に白羽の矢を立てた。

豪州と日本の国籍を持つマイケルは日本選手扱いで05年ドラフト4巡目で日本ハムに入団。2年目の06年には、パ・リーグ新の39セーブを挙げて日本一に貢献した。今季も28セーブを挙げ、4年間で通算102セーブをマーク。強力なセットアッパーとして計算できるだけでなく、クルーンが故障した場合や不調のときは、代役として抑えも期待できる。

交換相手となる二岡は今季開幕戦で右ふくらはぎを肉離れし、正遊撃手の座を19歳の坂本に奪われた。7月下旬に三塁手として復帰したが、攻守に精彩を欠いたまま右足首をねんざし、9月下旬に2軍落ち。さらにタレント・山本モナとの不倫疑惑騒動でイメージも急落した。

巨人の選手会長のトレードは異例だが、新天地での再スタートは公私両面においてプラスとなる可能性がある。右の強打者の獲得が急務だった日本ハムにとっても、右方向へ長打を飛ばすパンチ力は大きな魅力だった。

また、左の中継ぎ投手を求める日本ハムと、高橋由、矢野と外野手に故障者が続出した巨人の狙いが一致し、左腕の林と俊足好守の工藤が交換要員となった。ともに来季の目標に日本一奪回を掲げる両チームが、戦力アップを進めていく。


ラミレスがサヨナラ弾、巨人タイ

2008-11-03 | プロ野球
<日本シリーズ:巨人3-2西武>◇第2戦◇2日◇東京ドーム

巨人が劇的なサヨナラ勝利で1勝1敗のタイに持ち込んだ。2-2の9回、アレックス・ラミレス外野手(34)が日本シリーズ史上12人目のサヨナラ弾をバックスクリーン左へ放った。ここまで8打数1安打と不調だったが、ひと振りで試合を決めた。先発高橋尚成投手(33)は6回途中2失点。後を受けた西村健太朗投手(23)、越智大祐投手(25)の若手救援陣が踏ん張って劇的な幕切れを呼び込んだ。3日は休養日で、4日の第3戦からは西武ドームに舞台を移して行われる。

打った瞬間、右腕を突き上げていた。劇的なサヨナラ弾。大歓声がダイヤモンドを走るラミレスを後押しする。三塁ベースを回って見えた光景は「これまでの人生でも一番」だった。ナイン全員が待ちかまえるホームに、ヘルメットを脱ぎ捨てて飛び込んだ。体をたたかれ、手荒い祝福から逃げるように脱出すると、原監督と抱き合った。期待にこたえられた充実感が、勝利の喜びとともにわき上がった。

お立ち台では「シンジラレナ~イ」と日本ハムのヒルマン元監督をまねして笑いをとったが、まさに信じられない対応力だ。この日は4打席目までは打ち損じが多く外野に飛ばすこともできなかった。7回の攻撃前に、篠塚打撃コーチから「引っ張りすぎている。もう少しセンターから右方向へ打つイメージでいったらどうか」とアドバイスを受けた。ナーバスになっていた気持ちを切り替えた。「次のワンスイングで仕留められると思って打席に入った」。2球目の外角スライダーを逃さなかった。「相手がすごく研究してきてるのは感じるけど、メンタルを変えて対応したい」と頼もしかった。

この日本シリーズ前、WBCの日本代表監督就任が決まった原監督へ言葉をかけた。日本シリーズ優勝チームが進むアジアシリーズと、WBCのアジア予選とを混同していたラミレスは「自分がアジアシリーズで頑張れば、原さんを助けることができるのか?」と真剣に話した。勘違いではあったが、それほど力になりたい思いを抱いていた。原監督も笑顔を返し、その気持ちを受け取った。

この日は日曜日。球場に来る前には、いつも通りに東京・渋谷区内にある教会でミサに参加した。シーズン中の日曜日と同じように平常心で試合に臨めた。そこにも原監督の配慮がある。チームは球場に隣接するホテルに合宿中だが、特別に自宅から通うことを許可してくれたからだ。勝ちたい、打ちたいという思いがあふれるのも自然だった。