いとうな日々

MLB、プロ野球他野球全般、ニュースなどについて、勝手にコメントさせて頂いてます!

西南 3季ぶり九国大に勝利

2008-08-31 | 九州六大学野球
九州六大学秋季リーグ戦は30日、福岡県春日市の県営春日公園野球場で開幕した。3試合を行い、福岡大、久留米大、西南大がそれぞれ勝った。

開幕試合では、昨夏の甲子園決勝で逆転満塁弾を放った福岡大のルーキー副島浩史(1年・佐賀北)が公式戦初出場を果たした。西南大は先発した八木修平(2年・武蔵台)の2安打一失点の好投で3シーズンぶりに九国大に勝利した。
九大 010 100 000=2
福大 103 010 10 =6
▽勝 門脇 1勝
▽負 藤田 1敗
▽本塁打 坂井、甲斐 ▽盗塁 河野、山平 ▽失策 石永2 (福大1勝)


西南・八木が12K完投
西南大の先発・八木修平(2年・武蔵台)が2安打1失点、12奪三振の完投で、チームに3季ぶりの九国大戦勝利をもたらした。初回に連打と四球で無死満塁とされたが、「力でねじ伏せようと、思いっきり投げた」と強気の投球。連続三振の後に押し出し四球を与えたが、続く打者も三振に仕留めた。そのまま波に乗り、二回以降は無安打に抑え込んだ。
西南 100 030 000=4
九国 100 000 000=1
▽勝 八木 1勝
▽負 畑  1敗
▽二塁打 岡崎2 ▽失策 蓑田、松尾浩 ▽暴投 八木 ▽盗塁 豊岡、中野(西)、岡崎 (西南1勝)


久大 113 002 003=10
北九 001 000 002= 3
▽勝 千代島1勝
▽負 小宮 1敗
▽本塁打 山下(北) ▽三塁打 平野 ▽二塁打 猪口2、相浦、金子
平野 ▽失策 篠原、相浦 ▽盗塁 金子、下村2、猪口 (久大1勝)


松井秀が日米444号弾! 通算本塁打で長嶋氏に並ぶ

2008-08-24 | 大リーグ
 ニューヨーク・ヤンキースの松井秀喜外野手が23日(日本時間24日)、敵地でのボルティモア・オリオールズ戦に「7番・指名打者」で先発出場。7回に9号ソロアーチを放った。また、この一発が日米通算444号(日本通算332本、メジャー通算112本)となり、通算本塁打数で長嶋茂雄巨人終身名誉監督が持つ日本歴代12位の記録に並んだ。ヤンキースは5-3で勝利を収めた。

21日(同22日)の試合で復帰後初アーチを記録した松井はこの日、オリオールズ先発のジェレミー・ガスリー投手と3度対戦。初回は2死一、二塁のチャンスで打席に立つも、ファーストゴロに倒れる。4回、先頭での2打席目も空振り三振に凡退。しかし、再び先頭で迎えた7回の打席では、ガスリーが投じた4球目を右中間スタンドにたたき込んだ。9回の打席はファーストゴロ。この日は4打数1安打、1打点の活躍でメジャー通算500打点も記録した。

ヤンキースは2-0で迎えた2回、故障の影響で昨年4月以来のマウンドとなった先発のカール・パバーノ投手が、ニック・マーカキス右翼手にタイムリーを打たれるなど、3点を献上。しかし、直後の3回、ジェーソン・ジアンビ一塁手の逆転2ランが飛び出すと、7回には松井がダメ押しのソロ本塁打を放った。

MAJOR.JP編集部

久留米の屋台にルーツ

2008-08-24 | WEBLOG
白濁した豚骨スープに真っすぐな細めん。チャーシューに万能ネギ。転勤後、真っ先に出合った福岡グルメが「博多ラーメン」という転勤族も多いだろう。飲み会後に屋台で熱々の博多ラーメンをすすれば、たちまち博多っ子の仲間入りだ。

博多ラーメンの原型は1940年ごろ、福岡県久留米市の屋台「南京千両」で生れたといわれる。その後、福岡市博多区に豚骨ラーメンの屋台が相次いで開業し、一気に広まった。

福岡県では「長浜ラーメン」という名称も有名だが、これも博多ラーメンの一種。九州ラーメン研究会会長の原達郎氏によると、50年代に魚市場が博多区から中央区長浜に移ったのに伴い、ラーメン屋台の一部が移動してこう呼ばれるようになったという。

大抵の店では好みに合せてめんのゆで加減を変えられる。博多ラーメンのめんは細いため硬めを好む客が多く、硬い順に「バリカタ」「カタ」などと注文する。めんだけをおかわりする「替玉(かえだま)」というシステムも一般的。「替玉」発祥の店といわれる「元祖長浜屋」(中央区)ではラーメン一杯400円、「替玉」一回100円と懐に優しい。

全国に博多ラーメン店をチェーン展開する一風堂(福岡市)は今年三月、ニューヨークに一号店を開業した。一日500~600人が来店しているという。博多ラーメンのファンが世界中に広がる日も近いかもしれない。

日経ネット:九州版

野球先進国の看板が危うい

2008-08-23 | プロ野球
きのう五輪野球の準決勝で、日本は韓国の鮮やかな集中打に逆転負けを喫した。予選リーグから通算で韓国は8戦全勝、日本は4勝4敗。きょうの3位決定戦で敗れると、日本は負け越してしまう。メダル獲得もさることながら、野球先進国の看板が危うい。

▼相手投手がストレートの四球を出した後の第1投、真ん中に入る甘いスライダーを見逃し、次の外角高めの甘い直球も見送り、結局は鋭く変化する外のスライダーに泳いでボテボテの投ゴロ。似たシーンを何回か見たような気がする。ちぐはぐな戦いぶりにも、メディアから手厳しい批判はあまり聞かれなかった。

▼予選リーグの米国戦では、エースの上野投手を温存し、コールド負けもやむなしと割り切り、準決勝、決勝ではエースの連投で金メダルをもぎ取った日本女子ソフトボールチーム。まさしく勝負度胸を見せつけた。強い精神性を、堅い守備と臨機応変の打撃という確かな技が支えた。

▼北京では男子サッカー、男女バレーボール、野球など、「○○ジャパン」と監督の名を冠した競技の成績がいまひとつ。選手が主役の「なでしこジャパン」(女子サッカー)は大健闘の4位に入った。五輪は短期決戦。監督のカリスマ性や過剰な物語性よりも、選手の伸びやかなプレーに勝利の女神はほほ笑む。

:春秋

日本快勝、悲願達成=上野完投、米のV4阻む-ソフト決勝

2008-08-22 | ニュース
ソフトボールは21日、日本-米国の決勝が行われ、日本が米国に3-1で快勝し、1996年アトランタ五輪でソフトボールが採用されて以来、4大会目で初の金メダルを獲得した。米国は4連覇を逃した。

先発は日本が上野(ルネサス高崎)、米国は左腕オスターマン。上野は20日に延長戦2試合に完投し、318球を投げたのに続く連投となったが、日本打線は3回表、三科(ルネサス高崎)の二塁打を足場に狩野(豊田自動織機)の内野安打で先制し、4回には山田(日立ソフトウェア)がソロ本塁打を放った。

上野は4回にブストスの本塁打で1点を奪われたが、6回裏の1死満塁をしのぐと、打線が7回に救援アボットから1点を奪って援護。上野が守り切った。

2日で3試合を投げ抜いたエース上野由岐子(ルネサス高崎)の鉄腕に「鳥肌が立った」という。王者米国を、理想的な試合展開で倒した金メダル。自分たちのスタイルを貫いて「金」を追い続けた日本ソフトボールが、北京で満開の花を咲かせた。

アテネ後、日本を世界の強豪国に押し上げた功労者、宇津木麗華、斎藤春香(現監督)らが第一線から離れ、チームは若返った。一回り小粒になった攻撃陣で米国、オーストラリアなどパワーのある強豪と対等に戦うには、堅守と緻密(ちみつ)な攻撃が求められた。

1点を守り抜くスタイルを追求。命運は世界最速右腕、上野に託され、上野は懸命に応えた。「金メダルはみんなの思い。信頼される投手に自分をつくっていきたい」

実施競技からの除外で、金メダルへの渇望とともに、選手たちはもう一つの願いを抱いた。未来の選手のために競技の五輪復帰を願い、魅力を伝えたい、記憶に残したい。斎藤監督は「ソフトボールにとって一つの区切りであり、集大成だけど、復活に向けての思いも強い」と言う。

決勝進出が懸かった20日の死闘に、そんな思いが凝縮された。とりわけ延長戦2試合、318球を投げ抜いた上野。米国、オーストラリアに、4年間に成長した姿で立ち向かった。「テレビで一流の選手を見て五輪に行きたいと思った。子供たちにもそう思ってほしい」。ピンチのたびに勇気を奮い起こした。

世界選手権を6連覇中で、五輪では一度も王座を譲らなかった米国から奪った金星。ソフトボールを愛する強い気持ちとともに、悲願達成へ向かって死力を尽くした姿は、北京から世界へ向かって発信された。


松井秀の復帰戦は無安打

2008-08-20 | 大リーグ
左ひざを痛めて故障者リスト入りしていた米大リーグ、ヤンキースの松井秀喜外野手が19日、出場選手登録され「7番・指名打者」でトロントでのブルージェイズ戦に出場、3打数無安打だった。

打席内容は左飛、二飛、見逃し三振。打率は3割1分9厘。ヤンキースは1-2で敗れた。

松井秀の出場は6月22日のレッズ戦以来。医師から勧められた手術を回避し、キャンプ地のフロリダ州タンパで計3週間にわたるリハビリテーションに取り組み、復帰にこぎ着けた。

47News

日本、韓国に3-5で競り負ける

2008-08-17 | ニュース
北京五輪第9日の16日、野球は1次リーグが行われ、日本は韓国に3-5で競り負け、2勝2敗となった。日本は新井(阪神)の左越え2点本塁打で先制したが、同点の九回、岩瀬(中日)が崩れた。韓国は3戦全勝。キューバは、ソロ本塁打による得点を2投手の継投で守り切って台湾を降し、初戦から4連勝。米国はカナダに5-4で逆転勝ちし、2勝2敗のタイとした。オランダは中国を破り、初白星を挙げた。日本は17日は試合はなく、18日午前11時半(日本時間)からカナダ戦に臨む。

○韓国5-3日本●

日本が痛い黒星。同点で迎えた九回、3番手の岩瀬が2死一、二塁から代打・金賢洙に中前適時打を許すと、さらに阿部の二塁悪送球などミスが生じ、この回計3点を失った。日本は六回に新井の2点本塁打で先制。しかし、先発・和田が直後の七回、李大浩に左越え2ランを浴びた。九回に新井の右越え三塁打を足掛かりに1点を返す粘りを見せたが、なお無死二、三塁の好機を生かせなかった。

▽日本・星野仙一監督 今日は完ぺきに僕の(継投の)ミス。悔しいね。(打線は)4番が2ランだからぜいたくはいえないが。九回は少なくとも追いついてくれると、タイブレークのイメージを考えていたが……。2勝2敗? うちのチームの力として最悪のラインだね。まだ三つある。

毎日新聞

北島、連続2冠で引退…第2の人生へ

2008-08-15 | ニュース
有終の2冠! 男子200メートル平泳ぎ決勝で、北島康介(25)=日本コカ・コーラ=が2分7秒64の五輪新記録で金メダルを獲得した。100平に続く「金メダル&世界新」のダブル快挙は逃したものの、日本競泳界初の2大会連続の2冠を達成。五輪史上に大きな足跡を残した日本のエースは、今大会限りで引退する考えを明らかにした。

日の丸が揺れる。歓声がとどろく。力強く、美しい北島のフォームはもはや極みに達していた。
先頭を1度も譲らないままゴール。2位に1秒24の大差をつけての圧勝だ。ブレントン・リカード(豪州)らの追撃を体半分のリードでかわし、右手の人さし指を誇らしげに立てた。

「サイコーに気持ちよく泳げた。来ている人の顔が見えるくらい楽しめましたよ」

やはり日本のエースは強かった。連続2冠の重圧のかかる200決勝でこの強さ。高速水着「レーザー・レーサー」の威力を存分に引き出した。優勝タイムは2分7秒64。電光掲示板には「OR」(五輪新記録)の2文字。以前なら「チョー気持ちいい!!」と叫ぶところだが、『世界の蛙王』は志の高さが違う。

「記録は期待していたから、ちょっとね。こんなもんかと。思ったより最後は伸びなかった」

五輪史に残る偉業を達成したというのに、不満の色すら浮かぶ。100に続き「金メダル&世界新」のダブル快挙を狙っていたからだ。自身の世界記録2分7秒51には0秒13及ばなかった。それでも、金メダルの輝きには一片の曇りもない。

表彰式後、メダルを胸に場内を1周。応援団を見つけると、花束を投げ込んだ。これが偶然にもキャッチした人を介して92年バルセロナ五輪女子200平金メダルの岩崎恭子さんの手元へ。北島が五輪にあこがれるきっかけをくれた人物だ。目の前では銅メダルのユーグ・デュボス(フランス)が恋人と熱烈なキス。北島の胸中に、祭りの後の寂しさがよぎる。

選手村に向かう送迎バスに乗り込む前だった。北島は自らの去就について、口を開いた。

「ここ(北京)に入る前から寂しい気持ちがありました。その(引退する)つもりでやってきている」

引退を口にした。3度の五輪出場で金メダル4個。もう望むものはない。平井伯昌コーチ(45)も教え子の心中を察した。「この先、周囲の期待に100%応えるのは難しい。次(12年ロンドン大会)は30歳」。そろそろ第2の人生に舵を切るときだ

アテネ五輪後、親しい関係者には引退後のプランを語っている。

「スポーツ選手のマネジメントをしたい」

北島は競泳界唯一のプロスイマー。05年に日本コカ・コーラと所属契約を結び本格的に活動を始めた。周囲には大学に残ることを勧める声もあったが、「練習にも遠征にもお金がいる。それを企業や大学に迷惑をかけてやるのはイヤ」と意志は固かった。後に続く若いスイマーのパイオニアになりたい気持ちが強かった。これからは自身の経験を伝えることが、新たな使命となりそうだ。

2大会連続2冠の偉業を果たし、第2の人生へ一歩を踏み出す25歳。17日決勝の男子400メートルメドレーリレーでは第2泳者を務める。本気で泳ぐ最後のレースだ。



北島、世界新で連覇 100平

2008-08-11 | ニュース
北京五輪は第4日の11日、当地で競泳男子百メートル平泳ぎの決勝を行い、日本のエース、北島康介(25)=日本コカ・コーラ=が、58秒91の世界新記録で優勝し、同種目の2連覇を達成した。従来の世界記録は、06年8月にブレンダン・ハンセン(米国)がマークした59秒13。北島は04年アテネ五輪で、百メートルと二百メートルの平泳ぎ2種目を制しており、競泳の日本選手最多となる3個目の金メダルを獲得した。1968年メキシコ五輪から採用された男子百メートル平泳ぎの大会2連覇は史上初。今大会の日本選手の金メダルは、柔道男子66キロ級の内柴正人(旭化成)に続いて2個目。

北島はアテネ五輪後に開催された05年モントリオール、07年メルボルンの世界選手権2大会で、いずれもハンセンに屈し、百メートル平泳ぎの金メダルを逃していた。しかし、4年に1度となるオリンピックの大舞台で底力を見せて連覇を達成。全競技を通じ日本選手初となる2大会連続の同一個人種目2冠という偉業に向け、最高のスタートを切った。同じく連覇を狙う二百メートル平泳ぎは12日夜に予選がスタート。決勝は14日に行われる。

 北島は今季、6月のジャパンオープン大会で英スピード社製の高速水着「レーザー・レーサー」を着用して二百メートル平泳ぎの世界新記録を樹立するなど、上り調子で北京五輪を迎えていた。予選、準決勝で五輪新をマークした成長株で、ノルウェー競泳界初の五輪メダルを目指したアレクサンドル・ダーレオーエンや、ライバルのハンセンらを振り切り、栄冠を手にした。
 ◇最高っすね…北島選手

北島康介の話 うれしいです。何も言えません。応援してくれる方がたくさんいたので、金メダルを取れて良かった。アテネの時以上に気持ちいい。最高っすね。記録(更新)も、優勝もできたので満足です。(自身の金メダルで)他の日本選手ももっと頑張ってくれると思う。僕も二百メートルが残っているので頑張る。チョー気持ちいい。

◇北島 康介(きたじま・こうすけ=日本コカ・コーラ、競泳男子百メートル平泳ぎ)00年シドニー五輪百メートル平泳ぎ4位。02年釜山アジア大会の二百メートルで初の世界記録を樹立。03年世界選手権百メートル、二百メートルで世界記録をマークして2冠。04年アテネ五輪で日本競泳選手初の五輪1大会個人種目2冠を達成した。178センチ、73キロ。日体大出。東京都出身。25歳。



山本昌200勝!天国の恩人2人に感謝

2008-08-05 | プロ野球
マサに快挙だ。中日の山本昌投手(42)が4日の巨人戦で今季7勝目を完投で飾り、プロ野球24人目の通算200勝を達成した。42歳11カ月での完投と大台到達は、ともに史上最年長。中日の投手では初の名球会入りとなる。巨人戦の通算39勝も歴代3位タイに浮上した。ドラゴンズ一筋25年、本拠地での達成でナインから胴上げされたベテラン左腕は、お立ち台で目を潤ませた。

無数の紙テープが舞い、チームメートがマウンドに駆け寄る。笑顔でかわすハイタッチ、そして4度の胴上げ。優勝したかのような歓喜の中心で、山本昌は表情を崩した。両親を招待した本拠地ナゴヤドーム、3万8333人の大観衆の前で200勝達成。目は潤み、声は震えた。

「泣かんとこうと思ったけど、胴上げされて…。重いんじゃないかと恥ずかしかったけど、気持ち良かったです。投げる試合は全部勝ちたいと思っているけど、こんなうまくいくとは思わなかった。よくぞ自分がここまでこられたなと、よく頑張ったなと思います」

初回に先制点を献上も2回以降はゼロを並べ、4安打1失点で今季初完投。剛球はなくても球の出し入れ、制球、宝刀スクリューボールで強力打線に連打は許さない。偉業に王手をかけて迎えた大一番での127球に、プロ25年間で培った力と技が凝縮されていた。巨人戦通算39勝目は現役最多、村山実氏(阪神)に並ぶ歴代3位タイ。現役最強の巨人キラーは、若林忠志氏(毎日)の42歳8カ月を抜く史上最年長完投でメモリアル白星を飾った。

40歳を過ぎても先発ローテーション投手として活躍を続ける。「丈夫な体をくれた両親のおかげ」と感謝。そして、今は天国で見守る2人の恩人の名前を挙げた。

1人目はアイク生原(生原昭宏)氏。元ドジャース会長補佐兼国際担当だ。5年目の88年、山本昌は米留学。当時の星野監督が親交のあった生原氏に伸び悩む左腕を預けた。1Aベロビーチドジャースでプレー。ここで指導を受けた。「アイクさんの教えは3つだけ。ボールは(体の)前で離せ、ストライクを投げろ、上から投げろ。基本ばかりでした」。毎日、呪文(じゅもん)のように聞かされた。登板後は反省会。朝4時近くまで投球解説は続き、翌日は球場へ行くとスコアブックと要点を記したメモを手渡された。チームメートの内野手から教えられたスクリューボールにも磨きをかけ、帰国後にブレーク。野球に取り組む姿勢はアイク生原氏から学んだものだった。「オフにいい報告ができる」とロス郊外にある同氏の墓前に報告するつもりだ。

もう1人は高木時夫スカウト。日大藤沢3年時、神奈川選抜に選ばれた山本昌が社会人相手に完封するのを見た同スカウトは、日大に進学して中学の社会科教師になるつもりだった山本昌を口説き落とした。この日の試合前。ナゴヤドーム近くの高木さんの墓前に「力をください」と手を合わせて球場入りし、天国に勝利を届けた。

「もうお前はいらないって言われるまで投げたい」。史上最年長での到達、プロ入り後4年間勝ち星がなかった投手の200勝も初めて。11日に43歳を迎える遅咲き左腕の挑戦は、まだまだ続く。

▼山本 昌(やまもと・まさ=本名・山本昌広)1965年(昭40)8月11日、神奈川県茅ケ崎市生まれの42歳。日大藤沢から83年ドラフト5位で中日入団。タイトルは最多勝(93、94、97年)、最優秀防御率(93年)、沢村賞(94年)、最多奪三振(97年)。06年9月16日阪神戦では史上最年長の41歳1カ月でノーヒットノーラン達成。通算200勝151敗5セーブ。1メートル86、87キロ。左投げ左打ち。趣味はラジコン。



◇中 日 5―1 巨 人
◇ナゴヤドームN(16)中日9勝7敗
巨 人 100 000 000=1
中 日 011 030 00X=5
〔勝〕山本昌 7勝3敗
〔敗〕木佐貫 6勝4敗
〔本〕デラロサ3号(1)(木佐貫)井端4号(1)(木佐貫)