いとうな日々

MLB、プロ野球他野球全般、ニュースなどについて、勝手にコメントさせて頂いてます!

高橋(尚)、6回無失点で6勝目!メッツは8連勝

2010-06-19 | 大リーグ
本拠地でのヤンキース戦、6回無失点の好投で先発デビューを飾ったメッツ・高橋が今回はヤンキースの本拠地で、6回無失点の快投を見せた。

高橋は、6回を投げて被安打4、四球2、奪三振3で無失点と好投、先発登板で3勝目、自身今季6勝目を飾り、チームの8連勝に貢献した。

高橋は自らの持ち球を全て駆使、強打を誇るヤンキース打線をまたも手玉に取った。気持ちのこもった投球は巨人時代には感じなかったほどの迫力があった。

高橋の話「本当に充実感でいっぱい。相手は世界一の打線だと思っている。自分が逃げることなく攻め込めたのが好結果になった。(六回の満塁機は)何年ぶりかというくらいエキサイトした。我を忘れた。(ベンチに)帰ってきてもボーッとした」

今夜はW杯日本対オランダ戦、サムライブルーの気持ちを前面に出した戦いに期待している。

松井 意地の一発

2010-05-15 | 大リーグ
打撃不振から全試合では先発からはずされていた。2試合ぶりにもどった先発メンバー、打順は6番だった。

相手投手は全試合で完全試合を達成しているブレーデン(アスレチックス)である。第二打席では低めの球を中前へ運んで11打席ぶりとなるヒット。

そのヒットで「本当に微妙」と話していた打撃の狂いを取り戻したのか、失投を痛烈に打ち返した。2死一、二塁で巡ってきた六回、4月22日以来となる一発を右翼席に突き刺した。

この3ランで完全復活するのか?明日からの試合が楽しみである。
■松井の話 「肩口から甘く入ってきた。体を前に出されずに、強いスイングができた。またいい形でつながればいい。自分の状態自体には不安はなかった。ほんのちょっとしたズレ。きょうみたいに当たれば飛ぶ。結果が出ていないのも分かっていた。(打順が6番に下がっても)何番でもいつも一緒ですよ」


ブレーデン、完全試合…史上19人目

2010-05-10 | 大リーグ
完全試合(パーフェクトゲーム)とは、一試合において全てのイニングを無安打、無得点、無四死球、無失策、無出塁に抑えて、勝利する事である。投手なら誰でも第一球目を投じるとき、完全試合を狙ってゲームをスターとさせなければならない。大リーグに関する多くの書物は投手編にそう書いている。

因みに、日本プロ野球界の歴代達成者は
藤本英雄 (読売ジャイアンツ) 4-0 西日本戦 1950年6月28日 青森市営球場
武智文雄(近鉄パールス) 1-0 大映戦 1955年6月19日 大阪球場
宮地惟友 (国鉄スワローズ) 6-0 広島戦 1956年9月19日 金沢兼六園球場
金田正一 (国鉄スワローズ) 1-0 中日戦 1957年8月21日 中日スタヂアム
西村貞朗 (西鉄ライオンズ) 1-0 東映戦 1958年7月19日 駒沢球場
島田源太郎 (大洋ホエールズ) 1-0 阪神戦 1960年8月11日 川崎球場
森滝義巳 (国鉄スワローズ) 1-0 中日戦 1961年6月20日 後楽園球場
佐々木吉郎 (大洋ホエールズ) 1-0 広島戦 1966年5月1日 広島市民球場
田中勉 (西鉄ライオンズ) 2-0 南海戦 1966年5月12日 平和台野球場
外木場義郎 (広島東洋カープ) 2-0 大洋戦 1968年9月14日 広島市民球場
佐々木宏一郎 (近鉄バファローズ) 3-0 南海戦 1970年10月6日 大阪球場
高橋善正 (東映フライヤーズ) 4-0 西鉄戦 1971年8月21日 後楽園球場
八木沢荘六 (ロッテオリオンズ) 1-0 太平洋戦 1973年10月10日 仙台宮城球場
今井雄太郎 (阪急ブレーブス) 5-0 ロッテ戦 1978年8月31日 仙台宮城球場
槙原寛己 (読売ジャイアンツ) 6-0 広島戦 1994年5月18日 福岡ドーム
である。

長い歴史のアメリカでも、今回のブレーデンが19回目(19人目)、近代野球といわれる1900年以降でも17回目ということであるから如何に難しい記録であるかだわかるであろう。

完全試合


米大リーグ・アスレチックスのダラス・ブレーデン投手(26)が9日、本拠地でのレイズ戦で完全試合を達成した。昨年7月23日にホワイトソックスの左腕マーク・バーリー投手がレイズ戦で達成して以来、19回目(19人目)。近代野球といわれる1900年以降では17回目の快挙となった。

 最後の打者となったキャプラーを遊ゴロに打ち取ると、ブレーデンはマウンド付近に集まったチームメート全員にもみくちゃにされた。打者27人に対して投球数は109、6奪三振。今季4勝目(2敗)だった。メジャー4年目で昨季まで14勝21敗と目立った実績がなかった背番号51の快投だった。AP通信によると、ブレーデンは「8人の野手が守ってくれたおかげ。この記録は私だけのものでなく、チームみんなのものだ」と語った。

 ブレーデンは試合後、空を指さす仕草をした。米国でも9日は「母の日」。ブレーデンは高校時代に母をがんで亡くしていた。母の代わりに育ててくれた祖母が、母の日の象徴のピンクの帽子をかぶって試合を見守った。「祖母がいて後押ししてくれたよ」とブレーデン。試合後のベンチ前では祖母と涙ながらに抱き合った。




槙原寛己 完全試合達成 1994年

松井秀喜、日米通算1500打点達成

2010-05-09 | 大リーグ
開幕時の好調から、ここへ来て調子を落としていた松井が本日のマリナーズ戦で日米通算1500打点を達成した。延長十回1死一、二塁の場面で左前適時打を放ち、今季14打点目、メジャー通算611打点目を挙げて日米通算1500打点を達成した。

松井は日米通算2216試合で節目の数字に到達し、日米両球界にまたがって1500打点に到達した日本の選手では初めてということだ。4月30日のタイガース戦で今季13打点目を挙げて以来、7試合打点なしの状態が続いていたのでやっと一区切りということだ。
献身的なクラッチヒッター=松井、信念貫き1500打点

勝利に直結する打点について、松井秀は「塁に出る人がいて、初めて成立する」と話す。さまざまな記録は「自分一人でできるものではない」という考えが根底にある。
 通算1500打点は日本で王貞治ら8人しか達成していない数字だ。巨人時代は本塁打を30~40本台と量産しながら100打点余りをマーク。ヤンキースに移籍後は強打者がそろう打線の中で、つなぐ意識を高めた。本塁打のペースは落ちても、昨年までの7年のうち4シーズンで100打点を超えた。
 メジャー948試合で611打点。数字以上に印象的な活躍が多く、「クラッチヒッター」(勝負強い打者)が代名詞となった。昨年のワールドシリーズ第6戦での6打点も記憶に新しい。
 野球に取り組む姿勢は至ってシンプル。個人記録には目を向けず、「試合に出ることが第一」。ヤンキース時代に目の肥えた地元ファンの心をつかんだのも献身的な姿勢を貫いたからこそ。元同僚のジーターは「毎日必ず準備を整えて球場に来てくれた。それが何よりうれしかった」という。
 たとえ打順が下がっても、「自分のやるべきことをやるだけ」という信念を貫き、「チームに点が入るプレーはいつも心掛けている」。メジャー1000安打も日米通算1500打点も、松井秀にとって当たり前のことを積み重ねた結果だ。(時事




松井 FA申請

2009-11-13 | 大リーグ
契約の最終年を終えた、ヤンキースの松井選手が今週月曜日FA申請した。35歳の松井にとっておおくの野球人生が残っているわけではない。

新契約のポイントは、DHではなく、守備にもつく当たり前の野球選手として契約してくれるチームを選ぶことである。

そんな中、松井の代理人であるテレム氏が緊急声明を発表したと産経新聞が伝えた。英語の勉強を兼ね紹介してみたい。
Arn Tellem
Principal, Wasserman Media Group

Hideki Matsui: An Ageless Talent

There's a restaurant in Manhattan's garment district that's practically a gustatory shrine to one of my baseball clients, Hideki Matsui of the New York Yankees. The walls of Go! Go! Curry are
festooned with Matsui autographs, caricatures, photographs and newspaper headlines trumpeting his last name, 松井. Matsui is held in totemic esteem at this Japanese curry house, so much so that the joint's very name derives from his jersey number. "Go" is five in Japanese and 55 is what Matsui wears on his pinstriped back. The restaurant even offers 55-cent discount coupons on days after he hits a home run. For those of you without a scorecard, Godzilla hit 28 homers during the regular season, and four more in the post-season.

Despite not starting a single game at Citizens Bank Park, a National League stadium at which the designated hitter is not allowed, Matsui slammed three World Series homers and a record-tying eight RBIs. In the second inning of Game 6 at Yankee Stadium, his two-run shot off Philadelphia's Pedro Martinez put the Yanks ahead for good. The ball clanged off an advertisement on the facing of the second deck in right field -- appropriately, a sign for Komatsu, a Japanese company that makes mining and construction equipment.

No hitter had ever done more damage in the Fall Classic in such a limited role. Matsui posted the third-highest average for a player with at least 10 at-bats in the Series, and the second-highest slugging percentage to Lou Gehrig. After Godzilla's thunderous footfalls helped level Philly, hundreds of Yankees fans converged on Go! Go! Curry to pay tribute to the first Japanese-born Series MVP. The Neagari native who became everybody's all-American accomplished all this in New York, the melting pot where immigrants come to pursue a better life. By embracing Matsui, New Yorkers have once again shown that though ball clubs are named for cities and states, they transcend geography. Teams may not be where we find our heroes today, but, as Matsui has demonstrated, it's where we find heroic situations we can all dream of, argue about or simply watch together in amazement. That's the game's unifying force.

Matsui filed for free-agency on Monday, and sportswriters have speculatedthat he doesn't figure into the Yanks' future plans. A 35-year-old DH, they argue, doesn't make sense for such a veteran team.

As his agent, I take a different view. The ageless Matsui has shown not just that he can still hit, but that he can hit with consistency and aplomb. During the regular season, he ranked second among DHs in homers, and third in slugging percentage, on-base percentage and walks. No left-handed hitter homered more off southpaws. Matsui combines the late-inning heroics of Yankees great Tommy (Old Reliable) Henrich and the superb professionalism of Paul O'Neill. He's a complete player who always has taken pride in contributing to all facets of the game.

Matsui's immense popularity in Japan gives the Yanks strong financial incentive to re-sign him. He helps bring in millions of dollars annually in marketing and sponsorship revenue. In the seven years since he joined the Bronx Bombers, Matsui has played a pivotal role in establishing the Yankees as a global brand. Six major Japanese companies -- including Toyota, Sony and the Daily Yomiuri newspaper -- have signed on as advertisers, each reportedly adding $1 million or so a year to team coffers. Most of these firms have placed their billboards in right field, often the final resting ground of Godzilla's monstrous clouts, to target the audience of NHK, the Japanese radio and television network. Currently, NHK airs 120 Yankee games a season.

It's not a stretch to say Matsui is as responsible for Japanese interest in the Yankees as Yao Ming is for the NBA in China. Matsui has yet another virtue that goes beyond mere statistics. In an age when athletes mock our reverence daily, he's exemplary in every aspect of his life. In January of 2003, his very first request upon landing in New York was to be taken to the Twin Towers memorial to pay his respects. He did this without publicity or fanfare. He did it because, he said, it was "the right thing to do." After the tsunami hit Indonesia at the end of 2005, Matsui, out his own sense of decency, donated $500,000 to UNICEF. He's one of those rare superstars who recognize the unique role his astonishing talent has given him and the good he can do for others.

Matsui loves New York. He says the last seven years in the Bronx will always have "a special place" in his heart. Fans of Japanese curry take note: Wherever Godzilla winds up, he'll be spawning 55-cent coupons for years to come.

huffingtonpost.com

マンハッタンに私の顧客であるニューヨーク・ヤンキースの松井秀喜を称えるレストランがある。「GoGoカレー」の店内の壁にはサインや絵、写真、新聞の見だしなど、松井に関する品が飾られている。「Go」は日本語で数字の「5」。「55」は松井のピンストライプの背番号だ。彼が本塁打を打った翌日には55セントのクーポンも配られる。
 
DHのない敵地で先発出場しなかったにもかかわらず、松井はワールドシリーズで3本塁打、8打点を記録した。ヤンキースタジアムでの第6戦の二回、ペドロ・マルティネスから放った2ランは世界一を決めた。打球は右翼2階席の広告を越えた。広告は「コマツ」の看板。建設機械を扱う日本の企業だ。
 
役割が限定された中で、ここまで活躍したバッターはかつていなかった。松井は10打席以上立った打者でシリーズ史上3番目に高い打率、ルー・ゲーリックに次ぐ2番目に高い長打率を残した。石川県根上町出身の彼は、“人種のるつぼ”ニューヨークで偉業を成し遂げた。
松井は月曜日にFA申請した。スポーツ記者たちは 35歳のDHは、ただでさえ高齢化したチームにはふさわしくないと主張する。だが、代理人として、私の考えは違う。老いをまったく感じさせず、松井は安定 した数字を残すこと、どんな状況でも冷静に打てることを証明した。DHとして本塁打は2位、長打率、出塁率、四球は3位の数字だ。彼以上に左投手から本塁打した左打者はいない。松井は試合終盤の勝負強さを誇ったヤンキース往年のトミー・ヘンリックと、プロ意識の塊と言われたポール・オニールを合わせたような存在だ。試合に直結する得点に貢献することにプライドを持つ彼は、完成された選手といえる。
 
ヤンキースにとって彼と再契約をすることは付加価値も生む。松井を通してスポンサーやマーケティング関係の収入が球団に毎年、億単位で入る。トヨタ、ソニー、読売新聞など、大手日系企業6社が広告を出しており、球団に毎年1億円以上の収入が入る。現在、NHKは年間平均120試合ものヤンキース戦を放送している。
 
また、松井には野球の成績以上の美徳がある。2003年1月、彼がニューヨーク到着直後、まず最初にしたことは世界貿易センタービル跡地を訪れたことだった。まったくのプライベートで宣伝ではなかった。「こうすることが正しいこと」と彼は言った。2005年に津波がインドネシアを直撃した際、松井は50万ドルをユニセフに寄付した。彼は自分の才能によって与えられた役割に気付いている数少ないスーパースターだ。
 
松井はニューヨークを愛している。彼はこのブロンクスでの7年間は“特別な場所”だと言う。カレー店のファンの皆さん、たとえゴジラがどの球団へ行こうとも、今後も彼は活躍し続ける。そして、55セントのクーポンを生み続けてくれるはずだ。

松井、悲願の世界一! 先制弾含む6打点でヤ軍を9年ぶりVに導く

2009-11-05 | 大リーグ
松井がやってくれました。ヤンキースが9年ぶり27度目の世界一である。5番・指名打者でで先発出場した松井は、先制2ランを含む4打数3安打6打点だった。内容は右翼2点本塁打、中前2点適時打、右中間2点二塁打、空振り三振。

この活躍で松井は日本人初のワールドシリーズMVPを獲得した。今シリーズの6試合に出場し、13安打8打点3本塁打で打率.615の活躍で、チームの9年ぶり世界一に大きく貢献したことを考えれば当然の受賞である。

シリーズが始まる前に願ったことが現実となり、バンザーイ!である。(松井、世界一へ好スタート)。2003年巨人からヤンキースに入団、その年、ワールドシリーズに出場したものの世界一にはなれなかった。7年目の今年、ヤンキースにとっても松井にとっても悲願達成できたことは大きい。ヤンキースは新スタジアム初年に世界一になることが出来た。

松井の1試合6打点は、1960年の第3戦でのヤンキースのリチャードソンに並ぶワールドシリーズ最多タイ記録であった。大試合に強い松井の本領がいかんなく発揮され、大試合に花が添えられた。この活躍でヤンキースは松井を手放せなくなったに違いない。
松井秀はチームの世界一、MVP獲得について「最高ですね。この日のために頑張ってきました。(今日の活躍について)ちょっと自分でもびっくりです。夢みたいです」とコメントした。

やはりこの人のコメントが聞きたい!
長嶋茂雄元巨人監督
「松井の笑顔を見て、涙が出るほどうれしさが込み上げてきた。ヤンキースに入団して7年、心身ともに苦労が多かったと思う。今季もコンディションに不安を抱えながらプレーしていたようだが、最高の形で報われた。ゆっくり休んで、また来季、松井らしいプレーを見せてほしい」

Statsui: MVP delivers jaw-dropping numbers
Matsui ties World Series record with six RBIs in Game 6


By Doug Miller / MLB.com

Godzilla hasn't just taken New York.

On Wednesday night, Hideki Matsui, the soft-spoken but hard-hitting Japanese slugger, took Philadelphia out of the World Series in Game 6, took the New York Yankees to a 27th ring, and took the 2009 World Series MVP presented by Chevrolet honors in the process.

Matsui, who became the first Japanese-born player to be named World Series MVP, basically won the award on Wednesday night.

Matsui went 3-for-4 with a home run, double, single and a single-Series-game record-tying six RBIs as the Yankees closed out the Phillies, 7-3, in front of a raucous Yankee Stadium crowd that hadn't seen its team win a Fall Classic on home turf since 1999.

Starting at designated hitter because of American League rules when the World Series returned to the Bronx, Matsui struck early and often in Game 6. Matsui is the first full-time DH to win the Fall Classic MVP.

In the second inning, Matsui got to Phillies starter Pedro Martinez, hitting a two-run home run into the second deck in right field, putting the Yankees up, 2-0.

In the third inning, Matsui touched up Martinez again, placing a bases-loaded two-run single into center field to up the Yankees' lead to 4-1.

And in the fifth, Matsui put the game -- and the Series -- out of reach by lofting a two-run double off Phillies lefty J.A. Happ to give New York a 7-1 lead.

Matsui also hit a home run in Game 2 and a pinch-hit long ball in Game 3 and ended up going 8-for-13 (.615) with three homers and eight RBIs, which tied Philadelphia's Chase Utley for the Series high.

Matsui's Series success could also represent his last great accomplishment in pinstripes. Matsui, 35, is eligible to become a free agent, and the Yankees could elect to go younger.

If so, New York fans will remember Matsui fondly.

Matsui came to the team from Japan in 2003 amidst much hype and never faltered, topping 100 RBIs in four of his first five seasons in New York, batting a career .292, hitting more than 20 homers four times, and bouncing back from an injury-laden 2008 campaign to hit 28 homers and drive in 90 runs in 2009.

Matsui has been a bastion of consistency in the playoffs, too, batting. 312 with 10 homers and 39 RBIs in 56 postseason games.

ヤンキース、3勝1敗で世界一に王手

2009-11-02 | 大リーグ
ワールドシリーズ第4戦、ヤンキースが7―4でフィリーズを破り、対戦成績を3勝1敗とし、9年ぶりのワールドシリーズ制覇にあと1勝とした。

松井は9回先頭打者として代打で出場したが、遊飛に倒れた。2死走者無しから、デーモンが左前安打で出塁。盗塁と死球で2死一、三塁とすると、A・ロドリゲスの適時打二塁打で勝ち越した。さらに続くポサダの2点適時打でこの回、一挙3点を奪った。

勝利したヤンキースは9年ぶりの世界一に王手を掛けた。世界一になるため、ピンストライプに袖を通した松井も悲願達成まであと一勝となった。

松井「(遊飛は)追い込まれて厳しくなった。(3勝1敗で)確かにあと一つなんだろうけど、まだ気持ち的にはそんなに変わらない。もう1試合ちゃんと勝たなくちゃいけないという気持ちの方が強い。(第5戦は)先発では出たいけど、ないでしょう」

ジラルディ監督「(崩れた抑えのリッジは)最初は良かった。(デーモンに)盗塁されてから問題を抱えた。(3敗目を喫し)選手に伝えるべきことは明日話す。われわれは立ち直りが早い。負け越してはいるが、まだ終わってはいない。次も勝つために戦う」(SANSPO.COM

松井、代打アーチ!

2009-11-01 | 大リーグ
MLB ワールドシリーズ第3戦、松井は8回表代打で登場し、2試合連続となる本塁打でヤンキースの2勝目に貢献した。

先発出場が期待された松井だったが、雨のため約1時間20分遅れで始まった試合ではやはりベンチスタートだった。その鬱憤を晴らすように、1ストライク、1ボールからの3球目をレフトスタンドへ運ぶ完璧な本塁打を放った。

アウトコースのストレートを捉えた会心の当たりであった。ポストシーズンに入って完全な状態ではないように見受けられたが、今日の一撃はその懸念を払拭した。

ヤンキース投手陣は、先発したペティットが4点を失ったものの、6回を5安打に抑え、2番手チェンバレン、3番手マルテと継投し、九回はヒューズが1点を失ったものの、守護神・リベラが後続を抑えて試合終了。

これで、世界一まであと2勝となった。



WS第2戦 松井が決勝弾

2009-10-30 | 大リーグ
フィリーズとの初戦を落としているヤンキースが松井の決勝本塁打で、ワールドシリーズを1勝1敗のタイに持ち込んだ。

この試合もフィリーズに先制を許したが、4回、テシェイラがセンターへソロを放ち、同点に追い付いた。

6回には松井の決勝のソロ本塁打で勝ち越し、8回から守護神リベラを送ってヤンキースが3-1で逃げ切った。

松井のワールドシリーズでの本塁打は2003年、マーリンズとの第2戦で放った3ラン以来、自身2本目。相手投手がボストン時代対戦して事のあるマルティネスとはいいながら、松井の勝負強さが十分に発揮された一撃であった。

松井秀 貴重なホームランになって良かった。(本塁打の打席は)2球続けてカーブがきたが、(2球目は)インコース寄りにきた分、うまく対応できた。勝つか、負けるかでは大きな違い。いい形で(敵地の)フィラデルフィアへ行ける。

ジラルディ監督 マツイの本塁打は本当に大きかった。この2試合で初めてリードを奪うことができ、リリーフ投手を思った通りに使うことができた。(毎日新聞

ヤンキース、ツインズに3連勝 リーグ優勝決定シリーズ進出!

2009-10-12 | 大リーグ
米大リーグ、プレーオフの地区シリーズで、松井のニューヨーク・ヤンキースがツインズを4-1で下し3連勝、5年ぶりの地区シリーズ突破を果たした。

この試合松井は3打数1安打。地区シリーズ通算、9打数2安打、1本塁打2打点でリーグ優勝決定シリーズでスウィープで同じくレッドソックスを下したエンジェルスとの戦いに進むこととなった。

レギュラーシーズンでは5勝5敗と対戦成績はまったくの互角。アメリカンリーグの優勝をかけて好試合が予想される。松井もシーズン後半からの好調を維持しており、活躍が十分期待できる。

ナショナルリーグはドジャースがすでにリーグ優勝決定シリーズへの進出を決めており、ロッキーズとフィリーズ戦の勝者と戦うこととなっている。ワールドシリーズでヤンキースとドジャースが戦うこととなれば、まさにゴールデンカードとなる。