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いとうな日々

MLB、プロ野球他野球全般、ニュースなどについて、勝手にコメントさせて頂いてます!

行徳正祐元監督を偲ぶ会

2012-01-30 | アマチュア野球
行徳前監督を偲ぶ会昨年12月10日に開催された、行徳正祐前監督を偲ぶ会の報告がS46年卒の眞鍋君より送られてきましたので、ブログに掲載します。

福岡市西区姪の浜の臨済宗大徳寺派の海晏山・興徳寺本堂に参集し、住職福山正文先輩(修猷館野球部のS35年卒)による読経、供花、焼香のあと、敷地内のお墓に移動し、再び読経、焼香を行いました。

その後、バスで修猷館高校に移動し、練習中の現役を激励しました。

会食はアークホテルで行い、各学年のOBが行徳前監督との思い出を語り合いました。普段は顔を合わせることのない同窓生多数とお会いでき大変有意義な会でありました。


海晏山 興徳寺 (かいあんざん こうとくじ)

2011-03-05 | アマチュア野球
興徳寺福岡市西区姪の浜に臨済宗大徳寺派の海晏山・興徳寺がある。住職は修猷館野球部の先輩の福山住職である。そして此処に西南の先輩であり修猷館野球部の時お世話になった行徳正祐先輩のお墓がある。

五木寛之氏の言う「林住期」のいまは、これまで、たくわえてきた体力、気力、経験、キャリア、能力、センスなど自分が磨いてきたものを土台にしてジャンプ時なのである。世の中への恩返しの時なのだ。

社会に出てがむしゃらにいろいろやってきた。今振り返ってみると、意思決定の節目々々で行徳監督の教えがその判断、決断の元になっていたことが窺うことができる。曰く『君は今、将棋の駒の動き方を学んでいるのである。社会に出たら将棋をさすのは君なんだぞ。今のうちに駒の特徴を頭に入れるように』と。

銀行時代、その後の転職のたび、修猷館野球部のコーチをさせていただいたとき、西南学院大学の硬式野球部のコーチをさせていただいたとき、思考の根底にあるものは行徳監督の教えであった。行徳監督ならどう言われるだろうか? これからは、人脈、地脈を徐々に簡素化して本当にやりたいことに集中する。世話になってきた、世の中に奉仕しなければならないのだ。





修猷館、好機逃がす

2010-07-08 | アマチュア野球
今年もまた夏の高校野球の季節が巡ってきた。昨年、母校・修猷館は20年振りのベスト4進出に沸いたが、今年は昨日残念ながら宗像高校との一回戦で、5-6の接戦に破れ姿を消した。

学生スポーツは、言うまでも無く、選手の学年が毎年進級しその構成が変わるため、一年々々のチームマネジメントが重要となる。毎年、同一戦力で弱点を補強して修正目標とするわけにはいかないのである。新チームは毎年“0”からのスタートなのである。

伝統校(指導者)といわれる学校はそのノウハウを手にしているのであろう。広島商業には毎年引き継がれるノートがあると聞いたことがある。その内容は「成功の記録」と言うよりは「失敗の記録」なのだと。環境は変化するものであるからこそ、過去の失敗例ほど肝に銘じておくことだ。

今年の母校は一回戦敗退、ではあるが今年一年を総括し、再出発(再計画、再目標)しない限り、「いつの日か甲子園」という希望が達成されることは無かろう。
胸を張って夏終える:村山智洸・修猷館主将

試合後、一瞬チームから離れ、涙をこらえて深呼吸した。そして胸を張って仲間の輪に戻った。「結果は悔しい。だけど練習してきたことに悔いはないです」

三塁手として出場した昨年の大会。チームは20年ぶりに県大会4強入りした。「接戦になったら勝てるチャンスがある」。

次々と競り勝ったあの夏の試合のイメージを後輩にも語ってきた。レギュラーにはほかに昨年の大会経験者が4人。先輩が作ってくれた目標(4強)に向かって「自分たちの野球をやろう」。心に誓って試合に望んだ。

5点を追う六回。先頭打者で打席に入り、中前打を放った。これを口火に集中打で4点返し、1点差に。昨年と同じ接戦の展開。だが違ったのは、最後に勝利の女神がほほ笑まなかったことだ。

「(昨年の成績への)プレッシャーに負けるような姿を見せず、よくチームを引っ張ってくれた」。衛藤震治監督はねぎらいの言葉を送った。

西日本新聞:7月8日朝刊=


夏の甲子園 予選組み合わせ 福岡大会

2010-06-19 | アマチュア野球
6月18日、第92回全国高等学校野球選手権大会の抽選会が行われ、南部大会、北部大会の組み合わせが決まった。

■北部大会  ⇒組み合わせ  
 ・7月3日(土)~11日(日) 
 ・北九州市民,桃園,的場池,中間,筑豊緑地球場

■南部大会組み合わせ  
 ・7月3日(土)~11日(日) 
 ・春日,桧原,小郡,久留米,大牟田球場
高校野球福岡大会、組み合わせ決定 宣誓は八幡中央主将

第92回全国高校野球選手権福岡大会(朝日新聞社、県高野連主催)の組み合わせ抽選会が18日、中間市のなかまハーモニーホール(北部55校)と福岡市の筑紫丘高校講堂(南部78校)であり、新たに加盟した星琳(北九州市)を加えた出場133校の対戦相手が決定した。

抽選は、昨秋以降の公式戦の実績などで決まったシード校(南部11校、北部8校)から始まり、緊張した雰囲気がただようなか、各校の主将が次々とくじを引いていった。

 開会式は7月3日午前10時から、北九州市民球場である。選手宣誓をするのは八幡中央の石橋直人主将(18)。希望した34人の一番最後にくじを引いた石橋主将は「取った瞬間『宣誓』と書いてあるのが見えてびっくりした。世話になった両親、先生、地域の方々に感謝の気持ちを込めて、一生懸命やりたい」と意気込みを語った。

 開会式の後、正午から南部の柏陵―新宮、午後2時半から北部の青豊―小倉西の開幕試合がある。

 南北大会は11日まで。勝ち抜いた北部8校、南部11校の計19校が、17日から北九州市民球場である4回戦以降の決勝大会に進む。決勝は24日。決勝大会の抽選は15日、北九州市の九州共立大自由ケ丘会館である。

朝日新聞
■福岡県大会  抽選会:7月15日(木)
 ・7月17日(土)~24日(土)
 ・北九州市民球場

最優秀防御率に三嶋投手(法大):東京六大学野球

2010-06-01 | アマチュア野球
東京六大学野球春季リーグ戦は伝統の早慶戦で優勝が決まるというドラマチックな展開で幕を閉じた。1勝1敗で3回戦までもつれ込んだが、慶大が早大を6-4で下し11季ぶり32回目の優勝を決めた。

首位打者は0.381で渡辺侑選手(早大)が獲得。最優秀防御率には福岡工業高校出身、法政大学2年の三嶋投手が防御率0.39で獲得した。

三嶋投手は高校時代から150㌔の急速を誇る投手で、将来が大いに嘱望されている。




2012年ドラフト候補  法大 三嶋投手


修猷館野球部OB総会

2010-04-24 | アマチュア野球
4/24土曜日に修猷館野球部のOB総会が開催された。ギリギリまで今回は参加しようと仕事との調整を試みたが徒労に終わった。

会長選任では眞鍋君の再選になったようで、ご苦労様ではありますが、何卒よろしくお願いしたいとお思います。

以下、真鍋氏よりのメールを添付させていただきます。



修猷館高校野球部OB会
会員各位


4/24土曜日、天神ビルで2010年野球部OB会総会を開催しました。

26名の出席で、活動報告、会計報告、今後の活動計画が示されました。
また、改選の時期を迎えた会長選任では、小生、S46年卒眞鍋が再任されました。

その後、地階の「キリン」に場所を変え、懇親会を開きましたが、「昨年の予選であと1勝して決勝に進めば、
我々がクローズアップされたはず」と残念そうにS33年卒業の石井先輩、内山先輩が話されてました。
そうであれば52年ぶりだったそうです。写真を貼付します。

なお、本年の済々黌戦は、5/22土曜日に修猷館高校グランドで12時半より開会式に続いてプレーボールです。
多数の応援をお願いします。

S46年卒眞鍋 治彦


甲子園への猷1989.avi

昔の高校球児、今は?

2009-12-09 | アマチュア野球
1941年12月8日未明、休日の日曜日を狙って、日本海軍はハワイオアフ島真珠湾のアメリカ海軍の太平洋艦隊基地に対し奇襲攻撃を敢行した。この攻撃によって、日本は第二次世界大戦という暗黒の狭間に足を踏み入れる結果となったのである。

その12月8日に、福岡工業高校OBの西村、竹島、博多工業高校OBの高木、安芸、修猷館高校OBの田中、野口、伊藤の7名が西中洲の「上海餐室」に集合した。

昭和22年、23年生まれの所謂団塊の世代である。作家の堺屋太一氏が1976年に発表した小説「団塊の世代」で、この世代が日本社会に及ぼす大きな影響を指摘したのである。
第二次世界大戦の終結に伴って復員した旧日本兵、軍属が各々婚姻をなし、人口が爆発的に増大することとなったのである。1947年から1949年に生まれた人口が突出する結果となった。

この世代が2007年から2009年にかけて一斉に定年退職を迎えたのであり、我々はまさにその世代なのである。福岡市内の高校で白球と戯れた面々が思い出話に花を咲かせ、打解け合うには時間は必要なかった。各人の思い出は断片的ではあっても、会が終わる頃には一つの物語が出来上がっているのである。次回、参加者を増やそうということで散会となった。

子日(いわ)く、吾(われ)十有五にして学に志す。三十にして立つ。四十にして惑わず。五十にして天命を知る。六十にして耳順(したが)う。七十にして心の欲する所に従えども矩(のり)を踰(こ)えず。

社会人野球日本選手権:JR九州が初V

2009-11-22 | アマチュア野球
JR九州(九州・福岡)が延長十一回の末、今夏の都市対抗を制したホンダ(関東・埼玉)を3-2で降し、初優勝した。2-2で迎えた延長十一回、2死二塁から田中允の中前適時打で1点を勝ち越し。六回途中から救援の2番手・浜野がホンダの反撃をかわした。

○JR九州(九州・福岡)3-2ホンダ(関東・埼玉)●

JR九州には、九州六大学のOBが主力として在籍している。
△投手:米藤太一(福岡大)、岡田聖志(北九州市大) △内野手:宇多村典明(九州国際大)、 只隈 亮(北九州市大) △外野手:角谷隆次(福岡大)である。

JR九州硬式野球部は旧国鉄時代からの歴史は古く、地元では名門チームであり、社会人野球の草分け的存在である。今回の優勝は、米藤投手が「生まれて初めて大きな全国大会で優勝できた」と喜んでいるように偉業である。この優勝が、九州のアマチュア野球界隆盛の起爆剤になれば幸いである。




「選ばれた者しかチャンスない」田沢メジャー挑戦で監督

2008-09-14 | アマチュア野球
今年のプロ野球のドラフト会議で上位指名が確実視されていた社会人・新日本石油ENEOSのエース・田沢純一投手(22)の大リーグ挑戦表明に、東京都港区の新日本石油虎ノ門ビルで行われた会見には報道陣約80人が詰めかけた。

「アメリカ(大リーグ)からチャンスをもらえる人は少ない。ならば挑戦してみようかなと…」。緊張気味の本人に代わり、大久保秀昭監督が口を開いた。「今まではそこ(大リーグレベル)に達した選手がいなかったということ。一番近かったのが(巨人入団前の)上原君でしょ。選ばれた者にしかチャンスはないんです

田沢の大リーグ挑戦が日米球界の“国交断絶”を呼ぶとの声まで上がっているが、「彼は純粋にメジャーに挑戦したいだけ。非難は僕が浴びればいいし、会社もいっしょに対応していく」。大久保監督は全面的なバックアップを約束した。

国内では横浜、日本ハムなどが獲得に熱心だったが、大久保監督はこの日、全12球団へ「ドラフトでの指名回避」を求める書面を送った。

メジャー昇格までは厳しい競争も勝ち抜かなければならない。「自信? それは分からないけれど、自分の力をどこまで伸ばせるか試してみたい」と田沢。米国では速球で押すか、変化球でアクセントを付けるかは実際に打者と対戦して決めるつもりだが、「監督に信頼される投手になる」という目標に揺るぎはない。

 

飯塚が初の甲子園 筑豊勢28年ぶり

2008-07-26 | アマチュア野球
第90回全国高校野球選手権福岡大会は、25日午後1時から北九州市の北九州市民球場で、決勝の飯塚―沖学園戦があり、飯塚が沖学園を6―1で下し、出場した全132チームの頂点に立った。飯塚は1963年の創部以来、春夏通じて初の甲子園出場。北部勢として12年ぶり、筑豊勢としては80年に出場した田川以来、28年ぶりの快挙となった。

南北対決となった決勝は、飯塚が2回、三塁走者をスクイズでかえして先制。3回には3番伊藤の2点本塁打で突き放すと、その後も小刻みに加点した。沖学園は4回、一死満塁の好機をつくり、1点を返したが及ばなかった。




第90回全国高校野球選手権記念福岡大会(朝日新聞社、県高校野球連盟主催)の決勝が25日、北九州市の市民球場であり、飯塚が沖学園を6―1で下し、初優勝を決めた。飯塚は春夏を通じて甲子園初出場。

飯塚が投打で圧倒し、初の甲子園への切符をつかんだ。2回1死二、三塁から、真木元が今大会チーム初のスクイズを決め先制した。3回に右越え2ランを放った伊藤は、6回にも右前適時打。小刻みに挙げた点を、左腕・辛島が丁寧にコーナーを突き守った。4回に失点すると、変化球から直球主体に配球を変えた。緩急の差を使い、5回以降は二塁を踏ませなかった。「連投の疲れはあったが、自信のある球で勝負できた」

62年開校の私立。03年に男子校から全校共学化。普通科、介護福祉科、総合学科がある。