去年から「ナチュラルハイジーン」http://natural-hygiene.org/default.aspx
という食事の摂り方を始めました。色々な食事療法(という言葉はかなり硬いので違和感ありますが)がありますが、結局自分に合うものというのは自分でスタイルを作り上げるしかないということが分かり適当にしていますが、ナチュラルハイジーンの考え方で私がやっていることは朝食を果物にしていること。
それまでの私は果物を食べると体が冷えるような気がして、タルトなどの火の通った果物は大好きでしたが、生の果物はほとんど食べませんでした。しかし、果物を食べるようになったお陰で、果物の旬というものを知りました。
旬がないと言われる昨今ですが、それでも旬のお陰で果物に飽きることがないのです。
イチゴが終わるころからアメリカンチェリーが出てきましたねえ。私は日本の「さくらんぼ」よりこのアメリカンチェリーが好き。味が濃厚なこともあるのですが、私にとっては懐かしい思いでとリンクしているから。
カリフォルニアのモントレーの大学院に行っている頃住んでいたアパートの大家さんは日系2世のご夫婦。オーナーも親戚の方で皆さんほんとにほんとに良い方たちでした。サンクスギビングのパーティーに呼んでくれたり、カリフォルニア米をはじめ色んなものをくださったりと。昔のよき日本というものを異国で感じていました。そして一番私の印象に残っているのは、彼らの畑でとれたアメリカンチェリーを大量にくださったこと。この時期毎日毎日食べていました。
だからこの季節アメリカンチェリーを見ると大家さん達を、彼らのあたたかい心を思い出すのです。
しょっちゅう大家さん夫妻の部屋に遊びに行かせてもらってたのですが、その中で特に印象に残っている出来事。
彼らは日本語は何となく分かるけれど話すのは英語。でも演歌が大好きだったおばちゃんは五木ひろしの大ファンでした。Hiroshiグッズやサイン色紙などがリビングに飾られていました。ロス公演もよく行ってました。
ある日、「ロサンジェルスで放映していた紅白歌合戦のビデオをもらったから一緒に見ないか?」と誘ってくれました。モントレーは田舎で日本情報もあまりないところなので、楽しく一緒に見ていました。
紅白歌合戦って歌詞がでますよね。その歌詞を見ながら、必ず少しは入っている英語の歌詞をはじめは皆笑っていました。でも、そのうち怪訝な顔をしだし、皆が「英語国民をばかにしているのか。」と言い出しました。
何気なく日本人はカッコイイと思って使っているかもしれませんが、意味をなさないのは勿論ですが、その言葉にたいして敬意がまったくないのが分かったんでしょうね。
アメリカに居るときには分かりませんでしたが、アジアの国に住むと確かに変な日本語によく遭遇しました。私は彼らがどれだけ発音がおかしくて、文法が無茶苦茶で、何を言っているのかさっぱり分からなくても、でも一生懸命理解しようとします。それは日本語を教えていたことも関係するかもしれませんが、外国語を話そうと、私の国の言葉を話そうと一生懸命になっている人の心を感じるからです。だから理解しょうとすることに対してギブアップはしない。
でも、明らかに日本語に敬意を払っていない人はこちらも分かります。観光地にいけばオチャラケで日本語で話しかける商売人はいっぱいいるけれど、それでもも人によるんですよね・・オチャラケながらも日本語、日本文化、日本に対してどんな風に思っているのかは感じることができます。それは誰でもわかることじゃないかな。
そんな体験をしているから、たとえ知らない外国語であってもいい加減には扱いたくない。例えば外国語で歌を歌っている人を聞いていても、たとえ発音がおかしくても、意味が分かってなくても、それを大事にしているかどうかはすぐ分かる。
要はどんなものにでも「敬意を払う」「心をこめる」ということ大事なことなんじゃないかな・・ということになるのかな。
アメリカンチェリーを見るとそんなことも思い出すのです。
という食事の摂り方を始めました。色々な食事療法(という言葉はかなり硬いので違和感ありますが)がありますが、結局自分に合うものというのは自分でスタイルを作り上げるしかないということが分かり適当にしていますが、ナチュラルハイジーンの考え方で私がやっていることは朝食を果物にしていること。
それまでの私は果物を食べると体が冷えるような気がして、タルトなどの火の通った果物は大好きでしたが、生の果物はほとんど食べませんでした。しかし、果物を食べるようになったお陰で、果物の旬というものを知りました。
旬がないと言われる昨今ですが、それでも旬のお陰で果物に飽きることがないのです。
イチゴが終わるころからアメリカンチェリーが出てきましたねえ。私は日本の「さくらんぼ」よりこのアメリカンチェリーが好き。味が濃厚なこともあるのですが、私にとっては懐かしい思いでとリンクしているから。
カリフォルニアのモントレーの大学院に行っている頃住んでいたアパートの大家さんは日系2世のご夫婦。オーナーも親戚の方で皆さんほんとにほんとに良い方たちでした。サンクスギビングのパーティーに呼んでくれたり、カリフォルニア米をはじめ色んなものをくださったりと。昔のよき日本というものを異国で感じていました。そして一番私の印象に残っているのは、彼らの畑でとれたアメリカンチェリーを大量にくださったこと。この時期毎日毎日食べていました。
だからこの季節アメリカンチェリーを見ると大家さん達を、彼らのあたたかい心を思い出すのです。
しょっちゅう大家さん夫妻の部屋に遊びに行かせてもらってたのですが、その中で特に印象に残っている出来事。
彼らは日本語は何となく分かるけれど話すのは英語。でも演歌が大好きだったおばちゃんは五木ひろしの大ファンでした。Hiroshiグッズやサイン色紙などがリビングに飾られていました。ロス公演もよく行ってました。
ある日、「ロサンジェルスで放映していた紅白歌合戦のビデオをもらったから一緒に見ないか?」と誘ってくれました。モントレーは田舎で日本情報もあまりないところなので、楽しく一緒に見ていました。
紅白歌合戦って歌詞がでますよね。その歌詞を見ながら、必ず少しは入っている英語の歌詞をはじめは皆笑っていました。でも、そのうち怪訝な顔をしだし、皆が「英語国民をばかにしているのか。」と言い出しました。
何気なく日本人はカッコイイと思って使っているかもしれませんが、意味をなさないのは勿論ですが、その言葉にたいして敬意がまったくないのが分かったんでしょうね。
アメリカに居るときには分かりませんでしたが、アジアの国に住むと確かに変な日本語によく遭遇しました。私は彼らがどれだけ発音がおかしくて、文法が無茶苦茶で、何を言っているのかさっぱり分からなくても、でも一生懸命理解しようとします。それは日本語を教えていたことも関係するかもしれませんが、外国語を話そうと、私の国の言葉を話そうと一生懸命になっている人の心を感じるからです。だから理解しょうとすることに対してギブアップはしない。
でも、明らかに日本語に敬意を払っていない人はこちらも分かります。観光地にいけばオチャラケで日本語で話しかける商売人はいっぱいいるけれど、それでもも人によるんですよね・・オチャラケながらも日本語、日本文化、日本に対してどんな風に思っているのかは感じることができます。それは誰でもわかることじゃないかな。
そんな体験をしているから、たとえ知らない外国語であってもいい加減には扱いたくない。例えば外国語で歌を歌っている人を聞いていても、たとえ発音がおかしくても、意味が分かってなくても、それを大事にしているかどうかはすぐ分かる。
要はどんなものにでも「敬意を払う」「心をこめる」ということ大事なことなんじゃないかな・・ということになるのかな。
アメリカンチェリーを見るとそんなことも思い出すのです。
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