シンガー『ナターシャ』のブログ

関西・東京・名古屋・広島、そして台湾もグローバルに歌うシンガーソングライター、jazzシンガーナターシャのブログです

Serendipity

2008-08-21 | 映画、本、劇など
この前DVD「セレンディピティ」を借りてみました。タイトルは素敵!と思いながらすぐに筋が想像つきそうな映画なんで手にとったことはなかったのですが、なぜか見てしまいました。

Serendipityとは、「面白い、幸せな偶然」と訳されていますが、私が「きゃあ、シンクロ」といつも言っているものに近いのでは・・と思っています。

映画は・・・
クリスマス前のニューヨーク。買い物で賑わうデパートで出会った男女。それは偶然に同じ商品の手袋へ手を伸ばした時。2人は譲り合っているうちに惹かれ合うものを感じ、“セレンディピティ”という名のカフェでお茶をする。しかし、男の方は連絡先を交換しようとするのだが、女はこれが本当の運命なのか試そうと、ある“提案”をして去っていった。運命なら必ず出会うはず・・と運命に任せるのだが、それ以来会わなかった二人は数年後、お互いの結婚の直前でその相手が忘れられないことを思い出し探しにでるのであった・・・そして、た~くさんの偶然が重なり、紆余曲折を経て再会し最後はハッピーエンド♪

なのですが、そんなに気になる相手なら最初っから連絡先交換しとけよ・・とぶつぶつ言ってしまった。しかし、そんなことをしてたら映画にはなりませんね。私は世の中なんでもアリだと思っているから、こんな偶然が重なって再会することだって有り得る話だとは思います。しかし、この人達「運命に任せる」とか「ソウルメイト」とかを誤解してんちゃうか?と思いましたが、この言い方はよくないな。えらそうだな。自分が絶対的に正しいという観点になっちゃうので、私とは違うなっと思いました(にしておこう)。

「ソウルメイト」とか「運命の人」とかって、ロマンチックに使われすぎのようにわたくしは思います。人間はロマンティックが大好きだからしょうがないか。

江原さんの説明の「運命の赤い糸を海に投げ入れたら魚が10匹くらいひっかかる。どの魚を選ぶかは自分次第」のように、ソウルメイトは世界中にそれくらいの数は居るだろうし、その中でその時点の自分の状態(魂の成長度合いだったり、その時の自分のチャレンジだったり)或いは、意図するものにぴ~ったりな人がそのときのソウルメイトというのが私の解釈。だからその人とどういう関係を、世界を創りたいのかを明確にすることはとっても大事なんだと思います。

同じように、この映画ではやたら「運命に任せる」って言うけれど、「自分がどういう生き方をしたいのか?」そういった方向、目的地、それを私は意図と呼ぶけれど、それもなくただ単に運命に任せるって言っても糸の切れた凧のよう。

上の上の上の方から見ていたら、きっと「誰と一緒にいるか?」とか「どんなこと(例えば仕事)をしているか?」な~んてどうでもいいことなんちゃうかな。大事なのはHOW。「どんな生き方をしているか」のような気がする。

自分がどんな生き方をしたいのか・・を意図していれば、宇宙はその時の自分にぴったり合うパートナーや仕事や友達をうま~くアレンジして目の前に差し出してくれるんだと思います。