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東京目黒から山梨へ育児のためにお引越し。40代高齢出産ママの雑記帳です。

丹生都比売 (梨木香歩)

2008年09月24日 | 本のこと

丹生都比売梨木 香歩4875990731

この著者にしては珍しく、史実を元にしたお話。
とはいっても、本書は歴史小説などではなくて
丹生都比売伝説をベースにしたファンタジーの世界です。

主人公の草壁皇子は、史実では「虚弱で凡庸」と言われたい放題ですが、
本書では心優しく清らかな魂を持つ皇子として描かれています。

ちなみに、草壁皇子は、大海人皇子(後の天武天皇)と鵜野讃良皇女
(後の持統天皇)の一人息子。大海人皇子が無事天皇になった暁には
次の皇太子として鵜野讃良皇女が期待をかける大事な息子です。

吉野で決起の時期を待つ父母と異母兄弟たちをよそに、草壁皇子は、
これから起こるであろう争いを前に不安で悲しい気持ちでいっぱい。
強靱でドライな性格のお母様は大好きだけど、期待に応えられないのも悲しい。

そんな孤独な草壁皇子は、キサという口がきけない少女と出会い、交流を深め、
寂しく悲しい気持ちを和らげます。このキサというのが、実は丹生都比売の化身。
丹生都比売は天照大神の妹神で水銀・水・稲作・戦の神様なのだそうです。

ところで、本書では草壁皇子の母親である鵜野讃良皇女がゾッとするような
人物として描かれています。ゾッとしてしまうというのは、弟皇子を毒殺、
草壁皇子が若くして亡くなってしまったのも、母親である鵜野讃良皇女が
毎日少しずつ毒を盛っていたからというような仄めかしがあります。

後の持統天皇である鵜野讃良皇女は、歴史上でわりと好きな人物。
同母姉である大田皇女といっしょに叔父に嫁いだ彼女は、
華奢で繊細で「かたかごの花のよう」に美しい大田皇女と比べて
健康で物怖じせず、ドライで強くたくましいという印象を持つ。
ただ、このドライさは彼女の生い立ちに関係していると同時に、
息子を毒殺して自分が皇位に即くという野望にもつながるのかも。

全体的に幻想的で、静的で、少々霊的な物語です。
冒頭部分がはかなく寂しげながら、特にきれいなので以下に引用しておきます。

草壁皇子は夢を見ています。空気が、びぃぃんと張りつめた秋の野を、おばあさまのお葬式の列が音もなく通ります。世界は冴え冴えと澄み渡り、その果てまでも見渡せそうなぐらいです。けれどこの秋の野は、どこまでもどこまでもただ刈萱の茂りゆくばかり、行列の音もなく進みゆくほか、動くものとてなく、不思議な明るさに隈なく満たされておりました。この明るさは日輪とは無縁のもののようでした。皆の足元には影すらできておりません。……日のもとに生きる、すべてのものには影ができるさだめ、と菟女は言っていたのに。これほど静かで明るいのに、この秋の野には、少しも心休まる感じがありませんでした。それどころか、細い細い氷の糸が、縦横に空気に織り込まれているように、身の引き締まる思いがいたします。 このように、凍り付いたような明るさがあまねく世界を覆っているのは、殯の悲しさからではなく、おそらく緊張のためだろう、と草壁皇子は思いました。

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