ストリートピアノが論争になっています。
きっかけは、とある商業施設においてあるストリートピアノがXに投稿したこと。
大雑把にいえば、ちゃんと弾けるようになってから弾け、へたくそな演奏を聴かされるのは苦痛だ、といったことでしょう。これが、プロミュージシャンやいわゆる文化人的な人たちを巻き込んだ騒動に発展しました。
論点はいくつかあると思いますが……私としては、音楽はもっと自由でいいんじゃないかと。
自由ということでいうと、自由と迷惑の葛藤というのが表れているという見方もできるんじゃないかと思います。誰かにとっての自由の行使が、他の誰かにとっては迷惑になる……そういう葛藤が生じたときに、この国では自由のほうが譲歩を迫られることが多いという、そういう問題です。結果としてストリートピアノ休止ということになったのは、そういうことなのではにないかと。
今回の件とは微妙に論点がずれているようにも思われますが……これは、隠れた問題としてあると思います。
私のよくいく商業施設にも、ピアノが置いてあります。
当初はフードコートにあったんですが、いつしか、下のようなスペースに移動していました。

フードコートに比べると、閑散としている場所です。
想像ではありますが、やはりクレームがきてたりもしたのかな、と……
今回の件は、音楽上のうまい、下手という論点から、「下手な奴が人前で演奏するな」という態度が炎上したと思うんですが、自由か迷惑かが論点になった場合、この国の世間は、むしろ「迷惑」の側に傾くような気もします。
関連するネット記事などを見ていると、ストリートピアノが苦情を受けて撤去されたり移動したりするトラブルは前からちらほらあるということで……そういうことは特に騒動にもならずにひっそり行われているということのほうが、むしろ興味深い気もします。
そうすると、今回のストリートピアノ論争からは実はかなり深い問題が垣間見えるのではないかとも思えるのです。
むらかみさまのおっしゃるとおりで、「この国の世論は『迷惑」の側に傾く」
ほんとうに、そのとおりだとおもいます。
弁護士や裁判官までもそうなっているようで・・・(ゆ~)