★ベトナム・ハノイは「こんなとこ」★

コネなし、金なし、能力なし。50を過ぎて、単身ハノイで会社を作り10年目。毎日「こんなふうに」すごしています。

ベトナムハノイの「頑張れ一期生」

2024-01-17 15:02:43 | ベトナム・ハノイ

 現在日本の「T自動車会社系の鋳物メーカー」に2名の社員が「勉強に行っている」

「EV化で今後仕事が増える」ということで「今ひとつのレベルUPのために」派遣依頼が来た。

資金繰りの苦しい状況から一度はお断りしたが「一部費用負担するから」ということで派遣に踏み切った。

年始早々の1月7日に1か月の予定で送り出した。時期が悪く(帰国便がベトナムテト前)LCCも飛行機料金が

15万という「高額だったため」社員には申し訳ないが「上海トランジットの中国東方航空便」にしてもらった。

ハノイをAM2:30発、トランジットの難しいと言われている「上海」、そして名古屋へ。無事着いてよかった。

そして「亜熱帯気候から、寒風吹きすさぶ日本の冬、一番寒い時期になってしまった」

2名とも女性である。当社の1期生、すでに既婚、2名とも幼いお子さんが居る。それでも打診すると「行かせてください」との言葉。

非常に「頼もしいと感じた」、アパート1室に2名同居、通勤は「自転車」である。

円安で「年末のテトボーナスも出せない」「社員旅行も行かせられない」そんな会社なのに

社員は「こうして頑張ってくれている」本当に頭が下がる。会社設立以来「一番厳しいこの時期に」

会社を支えてくれたのは「彼女ら一緒に会社を立ち上げた1期生たちだった」

これから「会社が回復したら」必ず恩返しするから。と思いを強くした。

彼ら(彼女ら)はすでに「技術的な実力」では多くの日本の技術者を超えている。そして会社の最初の目的だった

ベトナムにモータリゼーションが来た時に「ベトナム人の技術者たちでそれを支えて行こう」と言う目的は

既に射程距離内に有ると思う。会社設立から12年「彼らはよく頑張った」

昨日「日本で今年一番寒い日」と言う日本のニュースを見て、「遠い日本で過酷な環境で頑張っている2名の女性社員」

の事を思い出し、そんなことを考えた。

 

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ベトナムハノイの「年末、窓際族」

2024-01-17 10:37:27 | ベトナム・ハノイ

ベトナムは「テト(ベトナム正月)」まで1か月を切った。

「コロナ~円安」で「経費削減対応し、多くを在宅勤務」にした当社は、いつも通り「閑散としている」

成り行き上2つの会社の世話をしているが「建築系会社」は今のところ在宅は無い。4名の技術者と1名の管理者

は通常勤務だ。本業であるCAD/CAM業務は24名中16名が在宅になっている。特に今日は

そのうちの1名の結婚式があるため「女性の友人3名は朝からそこへ出向いているため」会社はひときわ「閑散としている」

常時会社に来ているのは「自分と、本業の管理者1名、日本企業に確保されている数名だけだ」それと

忘れていけないのは「相棒ミッ(ポメプー犬)」だ。彼は私と共に毎日欠かさず出勤している。

仕事は主に「社員の見回り」と「不審者への警戒」、そして「昼食時は社員からの年貢の徴収」である。

しかし、ここのところの「在宅」により、社員数が激減したため、彼の仕事も「少なくなっている」そのため

「睡眠時間が多くなってしまった」、唯一の楽しみは「10時と15時の休憩時間を利用した外の見回り(つまり散歩)」

である。帰宅してからの「夜の散歩」を加えると「≒9000歩、距離にすると6.5km」毎日歩いていることになる。

ご主人様の「健康に多大な貢献をしているのかもしれない」

 相棒が来る前の「1週間居1回の水泳」よりも格段に「有酸素運動」が増えたことになる。相変わらず週1回の

水泳は続けている。(40往復、2000m)を合わせればそこそこの運動量である。これは「相棒ミッ」のおかげである。

そのミッは「会社では暇を持て余し、窓際族になりつつある」基本「見回り(徘徊)」と「睡眠」が主な仕事であるが

最近は「さみしいのか?」よく「自分の仕事スペース(机)」に上り「窓の外を見る」か「私の仕事ぶりを監視」している

「1歳にしてベトナム在住日本企業の窓際族である」

今日もミッはデスクに座り「窓際から、外を監視している」

こうして「自分の仕事ぶり」を厳しい表情で監視している。

 

 

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ベトナムハノイの「ハノイの師走」

2024-01-17 09:58:27 | ベトナム・ハノイ

ベトナムは「旧暦国家」である。今年のテトは新暦の2月10日が元旦になっている。

国は「一応8日から14日まで」を正月休みに指定している。(公務員や公立学校は

これに準じている)しかし一般企業や個人商店などはこの限りではない。

つまりベトナム正月(テト)まで1か月を切ったことになる。日本と同じこのテト前になると

ベトナムの人々は「ソワソワし始める」町には「テト関連商品」(テトのお土産、テトグッズ)が並び始める。

ベトナムでのテトの位置づけは「日本の3丁目の夕日の時代の感じだ」つまり、都会に働きに出ていても

テトだけは「故郷に帰り家族と過ごす」鉄則である。従って「田舎者だらけのハノイ」はテト時期になると

「急に人口が減るのである」、元日の朝などは普段バイクや車でごった返する町も、ほぼバイクも車も居ない状態になる。

1年に一度「静かなハノイを満喫できる」

それまでのハノイも「いかにも年末」と言う雰囲気が「これから色濃くなっていく」

もう少しすると「街ではモモの花の枝や、鉢植え、キンカンやザボンの実がたわわになった鉢植え」などが

売られ始める。どういうわけか「そのための鉢や花瓶、食器(ほとんどは近隣のバッチャン焼き)」が道端で

売られ始める。そして「日本で言えば正月飾り」の屋台もそこかしこに林立する。

こうなると「仕事どころでなない」(特に公務員は、この時期は機能がマヒする)

最近になって「大手のショッピングセンター(AEONなど)」は元日から営業しているが、つい数年前には

ほんの一部の「食堂」しか開いておらず、私のようなハノイで過ごさなければならない外国人にとっては

過酷な環境であった。(テト期間中の食料を確保しなければならないからだ)

この時期「働いている人などほぼない」、そんな中「日本企業相手の当社」は仕事である。

もう11年「社員には申し訳ないが、仕事をせざるを得ない」この時期は「社員が持ち寄った弁当?をみんなでよく

食べたことを思い出す」(お店はやっていないので必然的にこうなった)そしてこの時期の賃金は300%

会社としては「利益などなく、お客さんの要求に従ってやるしかないのである」この実情は現在でも変わっていない。

12年目のテト、「コロナや円安で大きく被害を受けた会社は、年末のボーナスも出せず、社員には本当に申し訳ない」

もちろん自分の「役員報酬などもう3年間以上皆無である」

来年(旧暦で)こそ、以前の「仕事状況や為替状況」に戻ることを期待してやまない。

「オーバーに言えば為替差損だけで会社がつぶれてしまいそうなのだ」・・・これを機会に

「どんな外圧が有っても耐えられる会社を作らなければならない」と遅ればせながら対応したつもりだが?

来年こそ「良い年になってほしい」、いつも通りの時間に出社して、誰もいない会社で相棒のミッと「そんなことを考えた」

 

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