年始早々の「能登半島地震」、間髪おかずに「羽田の航空機事故」
年始のYOUTUBEニュースでは「博多の火事」「山手線の無差別殺傷」などなど
地震は大きな余震が続き、寒さ厳しい場所にあって、厳しい状況が続き、復興の見通しも立たない。
年始早々大変な出来事が続いた、現政権が「瀕死状態にあったこともあり」この政権にこのような国の一大事
に果たして「対処できるのか?」などなど、海外在住者から見ると「大丈夫か日本?」という感は否めない。
自分も他人ごとではない、「会社の未払い金訴訟」「健康問題」「円安による会社立て直し」・・・
良い話など「皆無」である。 それでも「時間は流れる」良くも悪くも時間は「過ぎてゆくのだ」
自分は何もせず「ボーとしてたら」何も変わらない。 年始2日からベトナムは通常通りの状況である。
新暦の正月など「1月1日の祭日のみ」あとは店も会社も学校も何ら変わりないのだ。
「いろんな問題で凹んでいた自分にはそれがかえって良いのかもしれない」
家に一人いたら「いらぬことまで考えてうつ状態になってしまうだろう」と思っていたが?
気づけば元日の夕方
相棒ミッの散歩から帰ると「体がだるい」「今までには無かっためまいもする」・・・熱を測ると
そこそこあった。「大丈夫か日本?」どころではなく「自分よ、大丈夫か?」であった。
唯一1つあった「解熱鎮痛剤」を飲み、いつものように「日本の市販風邪薬、パブロン」も併せて飲み
早々と就寝した。1時間ごとに目を覚ます、熱が高いようだ・・・朝起きて「出勤準備を始めるが?」体がだるい
熱を測ると「高い」、まずは「薬の確保」にために7:30アパートに一番近い薬局に出かけ、「一番効きそうなロキソニン」
、それからベトナムで一番ポピュラーな「解熱鎮痛剤、パナドール」も購入し、帰宅すると、こういう時のために買ってあった
インスタントの「おかゆ」にお湯を注ぎ「ロキソニン」を飲んでベッドに入った。「今日は会社を休もう」
気づけば午後になっていた「少し熱は下がったようだ」相棒ミッはベッドで一緒に寝ていてくれたようだ
食事をねだるでもなく「ご主人の様子がいつもと違うことを察し」一緒にベッドでおとなしく「看病していてくれたようである」
「賢い犬である」少し気分が良いので薬を飲むのを控えていたが「午後3時ごろ、熱が出てくる嫌な感じがしてきた」
熱を測ると「やはり上がってきた」、仕方なく「豆乳を飲み、パナドールとパブロン」を飲んで対処する。
大体薬を飲むと1時間で熱は少し下がる、しかし4-5時間経ち、薬が切れると「又熱が上がってしまう」そんな繰り返しを結局
朝まで繰り返した。朝になり「何とか熱も下がったようだ」(一時的には)
いつも思うことだが「さすがに病気の時は一人は大変である」ベトナム在住12年目、考えれば「こんなことは何度もあった」
「一人きりで入院したことも有る」それでも「慣れる事ではないようだ」やはり年も重ね「年が経つにつれ辛さは増してくる」
それでも「一人で耐えるしかないのだ」(もちろん状況ごとに社員や、友人、全てベトナム人だが助けられていることは
ありがたい事である)これも自分で決めたことなのだから。
「さてさて、今日は出社してみよう」・・・ 「ミッも退屈しているだろうから?」
そんなことを考えながら「新年も普通のように過ぎていく」
昨夜は「6歳友人母上からお誘いがあり、故郷から持参した【バインチュンザン】(バインチュンを油で揚げ焼きにしたもの、
自分の好物であることを知って誘ってくれた)をみんなで食べた。その後6歳友人の「遊び」に付き合った、「こういう時は
何も考えずそれに集中できる」頭を空にして「良い時間を過ごした」、気分的にすっきりし帰宅した
6歳友人宅で「さんざん騒いだミッ」なのに、そんなミッを「散歩に連れ出す余裕」精神的、肉体的もできた。
さて明日から「頑張ろう」そう思い相棒ミッとベッドに入った。
「日本も、自分もいろんなことがあるが、しっかりしないと!」