数理論理教(科学教)の研究

数理論理(科学)はどこから来て、どのような影響を与え、どこに行こうとしているのか、少しでも考えてみたいと思います。人文系

数理論理教(科学教)の歴史(概略)(1)古代、どこから来たのか?

2020-02-10 21:48:50 | 数理論理教(科学教)の歴史

 数理論理教(科学教)とは、民主主義(人権主義・所有権絶対)、キリスト教(普遍主義、特にプロテスタント)、資本主義(科学技術による商品・サービスの無限的な生産・提供)と相俟って、西洋の人々の精神的なバックボーンになっていると思います。



 この数理論理教(科学教)は、近代以降、世界にとてつもない影響を与え続けています。特に軍事と経済により、帝国主義時代には露骨に非数理論理教(非科学教)の国々を征服して、悲惨な植民地化(現地人の社会の改造、モノカルチャーや奴隷化)や虐殺(インディアンなどのように、現地人の文化を完全に抹殺(絶滅)させて、新たな社会を作る)を行ってきました。

 また数理論理教(科学教)国の間では、総力戦という凄まじいい戦争が行われ、科学兵器の進歩により夥しい市民が巻き添えになりました。

 現代でも科学は、軍事と経済というコインの表と裏(元は一つ)に姿を変えつつ、人間社会に決定的な影響を及ぼしています。科学技術の進歩(利便性の拡大)の裏には、凄まじ公害が付き纏います。現在では、原子力や遺伝子操作による問題(モンサントなど)環境ホルモン問題、生物兵器など多岐に亘る災厄をもたらしています。もしかすると、その悪影響のため人類の生存が脅かされる事態になるかもしれません。

 

 しかし軍事面では、兵器はますます破局的な被害をもたらすように進化しています。経済面では、際限のない付加価値(公害というマイナス面は隠される)を創造することが求められています。無限のように商品を生産して消費する社会や、途轍もない兵器を作って威嚇しあう社会、公害まみれになる社会は、いずれ破綻するのでがないかとも思いますが、もうどうにも止まらないようです。

 科学技術研究に遅れると、進んだ科学技術を応用した兵器で脅かされて、下手をすると攻撃され占領されます。敗戦になれば、社会全般ごと(数理論理教(科学教))の信仰に基づき改造されます。経済で負けても、貿易赤字が溜まり、借金して首が回らなくなれば、社会システムは占領管理され、ソフト的に改変されます。

 今、非数理論理教(非科学教)の国々も名目的には独立しましたが、数理論理教(科学教)国の支配は依然として続いていると思います。イスラム教や儒教、その他の宗教をバックボーンにしていた国々は、もうこの訳のわからないおかしな信仰には我慢できず、反乱を起こし始めているようにも思えます。現在いろいろと政治問題化しています。これは一種の「数理論理教」に対する「宗教戦争」だと思います。 

 そのような中で、数理論理教(科学教)は、今「情報処理」という衣を身に着けて、世界に蔓延しつつあります。電車の中で誰もがスマホの画面を見て、メール、ツイッターによる連絡、各種の情報収集、ゲームなどを楽しんでいます。

 これらは数理論理学の理論からもたらされたプログラミング言語により可能となったものです。私たちはそのような環境下で、知らず知らずに数理論理教(科学教)に洗脳されるようになり、その信仰に帰依するようになるのかもしれません。

 さて、この数理論理教(科学教)はいったいどこから来たのでしょうか?

 私が思った数理論理教(科学教)の源泉は以下のようです。  

1.古代(ディオファントス以前)

(1)エジプトの石工職人など(紀元前数千年前~)

 石工

石工(いしく、せっこう、英:mason メーソン)とは、石材加工したりそれで何かを組みたてたりする人のこと。またその職業のこと。

 自然石は、木材と並び、最古の建材のひとつである。また、古くは、頑丈で長持ちはするものの、加工が難しく、コストのかかる建材でもあった。そのため、城壁宗教施設・護岸道路橋梁など、過去には重要とされた分野でが使われてきた。石工は、そういった事業にかかわりあう専門的な職業として、古くから確立されていた。(引用終わり)」

 フリーメーソンのメーソンが石工を意味するということには、私は最初に違和感を持ちました。神聖な理知的集団であると想像される団体が、職人組合(通常保守的で経験知のみの人たち)が基だということでしたので、納得がいきませんでした。

 しかしエジプトの石工集団というのは、今でいう都市計画・建築家という科学技術者集団であると思います。なぜなら、あのピラミッドを作るには恐らく相当な力学(構造計算)の知識を持っていたと思われ、重力の詳細な計算をしていたはずで、その法則性に神聖さを見出していても不思議ではありません。そうであれば、数理論理教的な秘術(口伝秘儀)を持っていたとしてもおかしくないです。

 中世頃まで、都市計画・建築家という職業は、唯一の総合技術職であったようです。

(2)カバラのような神秘理論(古代?)

 カバラ

カバラקַבָּלָה qabbalah, Kabbala, Cabbala)、カバラーとは、ユダヤ教の伝統に基づいた創造論、終末論、メシア論を伴う神秘主義思想である。独特の宇宙観を持っていることから、しばしば仏教の神秘思想である密教との類似性を指摘されることがある。

カバラはヘブライ語の動詞キッベール「受け入れる」「伝承する」の名詞形で、「受け入れ」「伝承」を意味する。カバラが登場する以前のゲオーニーム時代には、単に口伝律法を指す言葉として用いられた。したがって、その後ユダヤ教神秘主義を指す呼称となった際にも、個人が独自に体得した神秘思想というよりは、神から伝授された知恵、あるいは師が弟子に伝承した神秘という意味で用いられることになる。 カバラはユダヤ教の伝統に忠実な側面を持とうとしたという点において、他の宗教の神秘主義とは異なる。本来のカバラは、ユダヤ教の律法を遵守すること、あるいは神から律法の真意を学ぶことを目的とした。したがって、正統的なユダヤ教との親和性を持っていた時期もあったため、必ずしも秘教的な神秘思想とは言えない。しかし、キリスト教の神秘家に採り入れられるようになると、ユダヤ教の伝統からは乖離した極めて個人的な神秘体験の追究の手段として用いられることになる。

 伝説では、アブラハムメルキゼデクから伝授された天界の秘密だとも、モーセ律法(トーラー)に記し切れなかった部分を口伝として後世に伝えたものだともいう。しかし、3世紀から6世紀頃に始まり、16世紀頃にほぼ現在の体系が完成したとされる。(引用終わり)」

 ユダヤの口伝律法とのことですが、ユダヤというよりもっと古代の進んだ文明からの伝承ではないかと思います。以前、「カバラとは数理論理教の経典なのか」という記事を書きましたが、言わんとするところはプラントの宗教教義と似ていると思いました。具体的・肉体的なものから、徐々に抽象的・象徴的・記号的なものによる論理構造に移っていく過程が、デフォルメ的に表されているように思えました。

 カバラの考えは、錬金術(化学の原初研究)に相当影響を与えていたようです。物質の構造主義ということでしょうか。これは数学に向けば構造主義(数理論理)になりますね。構造主義というのは、さも新しい学問のように言われますが、私は単なるプラトン主義的なもののリバイバルなのではないかとも思えてきます。

『錬金術とカバラ』ゲルショムショーレム著 作品社より


 「…ユダヤ教の秘伝が存在する…この発見は、元をただせば、すべての偉大な宗教に共通していた根源的伝統を探ろうという一連の動きと連動していた。1450年から1500年の間mフィレンツェのプラトンふうの考え方をした人文主義者が持続的にこの研究に従事していた…

…古代末期における新プラトン主義者達の混合主義的努力から強い影響を受け、それと関連していたのは明白である。というのも新プラトン主義的考え方は、各宗教のすべての神話や象徴の中に一つの共通の原理を仮定すること、それは象徴解釈によって露呈されうることを示唆したからである。

 カバラと錬金術のこの混合が、いな、それを超えてカバラと魔術の混合が1520年から1720年の間は錬金術関係の文献の大半を支配した。(引用終わり)」

 話はそれますが、ユダヤ人の特異な思想(旧約聖書での神との契約、様々な預言による救済願望など)は、どうして生まれたのか、以下の本を読んで少し理解することができるようになりました。 

 『ユダヤ人の歴史』レイモンド・P・シェインドリン著 河出文庫

 
ユダヤ民族の2000年に亘る筆舌につくしがたい苦難の歴史をコンパクトにまとめてありました。ドイツのナチスによるホロコーストは確かに歴史的に最大のユダヤ人の虐殺でしたが、欧州・中東・ロシア等では、度々何かにつけてユダヤ人の虐殺や貧困政策は行われていたようです。例えば、十字軍が中東に遠征行く前に手はじめにユダヤ人を血祭りにするとか、ゲットーを作り隔離する、金融業(キリスト教では卑しい職業と見られていた)などしか職業が認められないなどです。何か悪いことが起こると(流行病の発生など)、まずユダヤ人のせいにされ、ユダヤ人は財産を奪われ、虐殺や追放されました。 

 ユダヤ人はそれでも、ますます旧約の神を信じ、自分たちの罪を贖い、やがて救済者が現れることを信じ続けました。このような悲惨な状況の中で、自分たちの教えを伝承し続けた民族というのは他にないと思います。誰もが子供の時から律法という書物を徹底的に読みこなすことで、文章理解等の知的レベルが上がっているのではないかと思いました。

 フランス革命以後の民主主義・資本主義・所有権絶対主義の社会で、ユダヤ人はやっと人権的に認められ、お家芸の金融業などでは特異な才能を見せ、今までの抑圧者を金融の力で雁字搦めにしてしまったのでしょうか。あれだけ迫害されれば、旧約の神の言葉がなくても、仕返し的なことをするのも無理ないことかもしれません?(ユダヤについて終わり)

 なおカバラは密教にも似ていると言われているようですが、曼陀羅図と生命の樹の図形はほんと似てると思います。密教というのは景教(キリスト教の)の影響が大きく、仏教の範疇には入らない教義だと言っている人もいるようです。景教だけでなく古代ユダヤ教の思想も伝わっていてもおかしくないですね。

(3)ピタゴラス、(紀元前582年 - 紀元前496年)

「ピタゴラスが組織した教団は秘密主義で、内部情報を外部に漏らすことを厳しく禁じ、違反者は船から海に突き落として死刑にした。そのため教団内部の研究記録や、ピタゴラス本人の著作物は後世に一点も伝わっていない。そこでピタゴラス個人の言行や人物像は、教団壊滅後に各地に離散した弟子の著作や、後世の伝記、数学に関する本の注釈といった間接的な情報でできあがっている[2]。彼の肖像や彫像類も、すべて後世の伝聞や想像で作られたイメージであり、実際にどういう風貌をした人物だったかも不明である。

ピタゴラスは紀元前6世紀ころ、古代ギリシャ文化圏の東辺に位置する、現在のトルコ沿岸にあるイオニア地方のサモス島で、宝石細工師の息子として生まれた。父親はレバノンのティルス出身であるとする説がある[3][4] 。近くの町には、やはり著名な数学者のタレスが住んでいた。

伝記によると、彼は若くして知識を求めて島を旅だち、古代オリエント世界の各地を旅した。エジプトでは幾何学と宗教の密儀を学び、フェニキアで算術と比率、カルディア人から天文学を学んだという。ポルピュリオスなどの伝記によれば、ゾロアスター教の司祭のもとで学んだといわれる[5]。さらにはイギリスやインドにまで旅したという伝説もある。

彼は20年にわたった放浪の末に、当時存在した数学知識のすべてを身につけて、故郷のサモス島に戻ってきた。しかしサモスは僭主ポリュクラテスの抑圧支配下にあり、学問研究に向かなかったため、イタリア半島の植民市に移住し、その弁舌で多くの人々を魅了した[2]。彼はクロトンで、彼の思想に共鳴する多くの弟子とともにピタゴラス教団、またはピタゴラス学派と呼ばれる集団を立ち上げた。この教団はやがて地域の有力者の保護を得て大きな力を持つようになり、数百人の信者を集め、ピタゴラスも弟子だったテアノ英語版という女性と結婚して[7] 、大いに繁栄した。ところがある時、この後援者が政争に巻き込まれて失脚する。このとき、かつて教団への加入を希望したがテストで落とされて門前払いになった人物が、その遺恨から市民を扇動した。教団は暴徒と化した市民に焼き打ちされて壊滅し、ピタゴラスも殺されたという。

ピタゴラスは紀元前6世紀に、あらゆる事象には数が内在していること、そして宇宙のすべては人間の主観ではなく数の法則に従うのであり、数字と計算によって解明できるという思想を確立した[8]。彼は和音の構成から惑星の軌道まで、多くの現象に数の裏付けがあることに気がついた。そしてついには、宇宙の全ては数から成り立つと宣言した。彼がこの思想にもとづいて創始したピタゴラス教団は、数の性質を研究することにより、宇宙の真理を追究しようとした。教団に入門するには数学の試験があったが、この試験は相当難しく、数学に適性のある者だけが選抜されて教団に集まった。そしてピタゴラス教団は、古代世界で最も著名な数学の研究機関となった。この学派は10を完全な数と考え、10個の点を三角形の形に配置したテトラクテュスを紋章とした。(引用終わり)」

 ピタゴラス教団の神秘思想は、残念ながら文書では残されなかったようです。ピタゴラスは数字と計算という具象的なものより、数字やその関係性の奥にある論理記号的・抽象的・象徴的なものを探求していたようです。ピタゴラスの思想は、プラトンに多大な影響を与えたようです。

 

(4)プラトン(紀元前427年から紀元前347年)

プラトン(プラトーン、古代ギリシャ語: ΠλάτωνPlátōn: Plato紀元前427年 - 紀元前347年)は、古代ギリシア哲学者である。ソクラテス弟子にして、アリストテレスの師に当たる。

プラトンの思想は西洋哲学の主要な源流であり、哲学者ホワイトヘッドは「西洋哲学の歴史とはプラトンへの膨大な注釈である」という趣旨のことを述べた[注 1]。(引用終わり)」

 イデア論というのは、構造主義の方法論だと思います。構造主義=数理論理化は、この世をすべてを抽象的概念の階層化により理解しようする思想であり、その構造の頂点に最高神(抽象的な概念)があり、その最高神の概念の認識に至れば人間は具象的・肉体的なもの(様々な醜い欲望等含む)から解放され、最高神と一体になり救済されるという、完全に「宗教的な」考え方だと思います。

  この考え方は、真理のみが善であるということになっています。善悪というのは人間が決めたものですと、屁理屈や詐欺的・恣意的な説明になり易いです。そのため世俗的な倫理的道徳など、まったく不確実で頼れるものではないということです。

 まあ、この考えが暴走すると、真理(数理論理教、科学教)のみが善であるという狂信的な信仰により、アメリカのインディアン皆殺しを正当化したときのスローガン「マニュフェスト・デステニー」による血も涙もない殺戮が行われる危険性も高いです。

 それでも真理に対する執着は宗教的なものになるので、何が本当に真理なのかを執拗に追い求めるようになり、様々な革新的な認識が生まれます。私はアメリカのSF映画が好きですが、あれは数理論理教の宗教映画だと思っています。数理論理教はいろいろと問題がありますが、宗教的には私にとっては一番スッキリします。

 なお現在のキリスト教というのは、元々ユダヤ教徒の固有の救済者であるキリストの教えから、誰でも全ての人間にとっての教えに変ったものです。

 それは、ユダヤ教徒が遵守しなければならない割礼や様々な儀式・規則は必須のものでなく(不要であり)、誰でも「キリストの(全人間に対する)犠牲の贖い」により、信仰義認(信仰のみ)によって救済されるという考えに変わったものです。


  『パウロー十字架の使徒』 青野太潮著 岩波新書などを読みますと、ユダヤ教徒からみると、このユダヤ教徒(ユダヤの伝統式な「行為義認」を遵守する者)以外にも神の救済が与えられるという教え(教派)は、見過ごすことのできない冒涜だった。旧約聖書の契約や預言の対象はあくまでユダヤ教徒だけに該当するものだった。

 そのために、この新しい超普遍主義のキリスト教徒たちは、ユダヤ教徒から随分と迫害されたようです。

 またこの普遍的で狂信的なキリスト教信仰は、ローマ帝国の為政者からも危険視され禁教にされました。キリスト教徒たちはもの凄い迫害を受けました。多くのキリスト教徒が公開の場で見世物として獣に殺されたり、松明がわりに火あぶりにされるなど、残忍な処刑が行われました。『パウロ 愛と赦しの物語』という映画もありました。


 新約聖書とは、ユダヤ教徒だけではなく、旧約聖書で預言された救済者であるキリストが、神の子であるという高貴な身分(根源的な存在)でありながら、すべての人間の罪のために、自らが犠牲となることで、罪ある人間を遍く救済してくださるということを説いているのだと思います。
 なお後ほどの宗教改革の時代には、プロテスタント派教徒は、カトリック教会が儀式化や利権化により様々な行為義認の教えに陥ってしまったとみなし、信仰のみを重要視して、信仰のみにより救済されると唱えるようになりました。この信仰義認の一派にカルヴァン派があり、この派は特に数理論理教と親和性が高いと思われ、科学革命・資本主義・啓蒙主義などに多大な影響を与えたと思います。
  
 そのためキリスト教というのは、普遍主義が根源にあり、その教義を整えるためにプラトンなどのギリシア哲学をも利用しているようです。

『カトリシズムとは何か』イヴ・ブリュレ著 白水社より

「2世紀にキリスト教が護教論を書いて、自分たちの宗教を説明する際には、聖書とギリシア哲学につながりを示すことに努力が傾けられた。護教者ユスティノスは、もとは哲学者であってキリスト教に改宗した者であり、…彼によれば、プラトンはモーセから創造の教義を借用したとされている。

 アレキサンドリアのクレメンテンスは、190年から202年まで、アテネの学校に倣ってつくられたキリスト教哲学の学校である神学校で教えた。クレメンスによれば、神話が退けられたのち、ギリシア人にとっては哲学が、正義の道であり、啓示された真実への準備段階になっていた。神は人間精神に、真実に到達する方法と力を与えている。しかしキリスト教だけが、聖書の預言と哲学者たちの教えを統一して完成する。

 アレキサンドリアのクレメンスの弟子であるオリゲネス(185年から254年)は、古代の修辞学と哲学の遺産をキリスト教のなかに取り入れようとした。…彼はプラトン哲学をキリスト教に取り込むという知的に重要な貢献を達成した。(引用終わり)」

 プラトン主義(数理論理教)とキリスト教とは相反するものではなく、ある意味融合してできあがったものだと思います。ギリシア哲学的な普遍主義を持った、キリスト(神の子、自ら犠牲になり万人の救済をもたらした)の救済論であり、確固とした存在哲学(神とその子の犠牲を通した人間の魂の救済)を形成し、長い間人々の究極の「癒し」に貢献してきたと思います。(今でも存在哲学として極めて強力だと思います。)

アウグスティヌスはギリシア哲学を極めましたが、「存在哲学」についての「渇望」に抗しきれずに、キリスト教の教義にのめり込みます。

 参考:存在哲学とは何か

 しかしフランス革命以後は、この蜜月関係は終わり、プラトン的な原理主義がよみがえってきたのかもしれません。啓蒙思想というのは、限りなくプラトン主義的な考えのリバイバルに思えてなりません。

 参考:人権と数理論理教

フランス革命の後、以下のような祭典も行われたようです。

理性の祭典最高存在の祭典

(5)ユークリッド(紀元前3世紀?)

「アレクサンドリアのエウクレイデス古代ギリシャ語: Εὐκλείδης, Eukleídēsラテン語: Euclīdēs英語: Euclidユークリッド)、紀元前3世紀? - )は、古代エジプトギリシャ系数学者天文学者とされる。数学史上最も重要な著作の1つ『原論』(ユークリッド原論)の著者であり、「幾何学の父」と称される。

プトレマイオス1世治世下(紀元前323年-283年)のアレクサンドリア(現在のエジプト領アレクサンドリア)で活動した。『原論』は19世紀末から20世紀初頭まで数学(特に幾何学)の教科書として使われ続けた[1][2][3]。線の定義について、「線は幅のない長さである」、「線の端は点である」など述べられている。基本的にその中で今日ユークリッド幾何学と呼ばれている体系が少数の公理系から構築されている。エウクレイデスは他に光学透視図法円錐曲線論球面天文学、誤謬推理論、図形分割論、天秤、 などについても著述を残したとされている。(引用終わり)」

 長く幾何学では利用されてきたようです。公理系というのは今の構造主義的な数理論理から見れば、随分大雑把な概念のようにも思えます。アリストテレスはプラトンの神秘主義的な宗教的な部分を迷信的なものだと避けていたような気がします。そのため実用的な言語学的な思考のカテゴリー化に努めていたように思います。中世のスコラ哲学は、主にアリストテレス的な哲学によりキリスト教の教義を精緻にしたようです。

 恐らくその後には、(スコラ)哲学により厳密に物事を分析すると、在野の様々な研究が進み、どうもキリスト教の伝統的な教義から逸脱する現象が多くなり、論理的に辻褄が合わなくなり自己矛盾していったのではないかと思います。そういう意味では、スコラ哲学の限界が、宗教改革や啓蒙主義の導火線になっていったのかもしれません。


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