数理論理教(科学教)の研究

数理論理(科学)はどこから来て、どのような影響を与え、どこに行こうとしているのか、少しでも考えてみたいと思います。人文系

リスク研究の始まり?スイス・オランダでのプロテスタンティズム・資本主義・近代科学

2014-01-14 20:41:55 | 資本主義
放射線防護学でも、リスクモデルが取り入れられているようです。

 そもそも「リスク」の研究はどのように始まったのでしょうか?

 今から15年ほど前、『リスク』ピーターバースタイン著 日経ビジネス文庫を読んだことがあります。
 
 その中では確か「大数の法則」が始まりだったようなことが書いてあったと思います。そしてそれはヤコブ・ベルヌーイという数学者が確立しました。
 
 このヤコブ・ベルヌーイの子孫や弟子たちは天才が揃っており、「近代数学」を確立したと言っても良いのではないでしょうか。

 ヤコブの弟、ヨハン・ベルヌーイ
 ヨハンの子、ダニエル・ベルヌーイ 

 あのレオンハルト・オイラーもベルヌーイ家に弟子入りして一緒に暮らしていたとのことです。

 この一族はスイスとオランダを拠点にしていたそうです。スイスはスパイス貿易の地中海から内陸部に流通するための一大集積所(陸の貿易港)だったようです。そしてその大きな流通経路はアルプスを下りオランダに至るものでした。

 なぜスイスに大手金融会社と製薬会社があるのかと不思議に思っていましたが、どうもこのスパイス貿易にルーツがあるようです。スパイスといえば中世では、金にも匹敵すると言われてましたから、それを集積・流通させるということは「金融」に当り、スパイス(植物)研究は「製薬」に繋がったものとかと思います。

 またオランダとスイスでは、プロテスタント運動が盛んで、カルヴァン主義が興隆しました。

「予定説」と「全的堕落」の教理で有名ですが、私の個人的考えでは以下のようなものだと思います(私の妄想です、私はいずれの宗教にも属しておりません)。

〔中世は、カトリックの教会中心主義・形式主義・秩序だった教え、つまり「神父という人間の教え」や「教会という権威での教化」が主流をなしていたと思います。世俗社会(王権)との確執もありましたが、それも調整され、保守的な秩序体系を構築していたと思います。その当時は金儲け(金融業など)は蔑む職業だったようです。

 しかし、商業が発達し、自由な思考が行なわれ始めると、宗教的な考えも変わっていったようです。

 ただ単に教会や神父の形式的な教えに従っていても、真の救済はありえないのではないか?なぜなら神とは絶対的な存在なのであり、神父(人間)や教会などが介在していては、真の神の教えを知ることはできないのではないか?
 ただ神の言葉である「聖書」のみを基にして、その言葉に絶対的に従うことこそが正しいのではないか?「免罪符」や人為的な脚色などに縋っても何の意味もないのではないか?

 人間はまったく堕落していて自ら努力しても救済などは有得ない。「救済」は神のみが決めることである。

 このような考え方は「聖書至上主義」に結びついていきます。聖書のみを忠実に実行するグループが現われました。
 
 さらに、神(聖書)と直接的に向き合うということによって、自らが進んで神との「交信(神性を感受)」をするために様々な努力をしていくことになったのだと思います。これは欧米での「大覚醒」運動に見られるような熱狂的な行動にも結びついていったようです。
 
「聖書」にある言葉は形式的な「記号」ですが、その言葉の奥深い意味を積極的に探ろうという方向に進んでいくと、その論理性を突き詰めるようになると、科学的(数理論理的)な思考と非常に親和性が高くなっていったのだと思います。科学研究は神性感受の一つの方法となったのではないでしょうか。

 また一方では、神への絶対的忠誠として、「禁欲的な労働」を重視する考えに結びついていったようです。そして「禁欲的な労働の成果=利潤の量」は世俗的な儲けではなく、神の絶対的忠誠の証として見られるようになったようです。そして、いつしか神が救済する人の「印」ではないかと考えるようになったのではないでしょうか。つまり「予定説」です。

 マックス・ヴェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』で詳述された禁欲的勤勉主義=予定説のことです。
 私はこの本を約20年ほど前に読みましたが、単なる社会学的な「学説」だと思いました。あの強欲な金儲け主義と純真で敬虔的な信仰が結びつくはずはないと思いました。
 
 しかし、上場会社の社史・創業の理念・社訓などを見てみますと、単なる金儲けで会社を興した創業者はほとんどいないように思われます。何らかの敬虔的な職業思考や旺盛な研究意欲が基になり、まるで新興宗教を立ち上げるように同志(社員)を集め、勤行のような会社経営をおこなっているように思います。

 私は「会社」とはある意味「宗教と似た精神主義的な団体」なのではないかと思うようになりました。単なる「金儲け」ではなく、何らかの精神主義的な理念を基に団体運営が行なわれるような気がします。

 そして、ロン・チャーナウ著の『タイタン』〔ロックフェラーの伝記〕を読んだことにより、その考え方は決定的になりました。
 
 
 ロックフェラーは巷では「金儲けの権化」のごとく言われていますが、上記の本で描かれたロックフェラーの生き方は「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」そのものでした。

 貧しい家庭の厳格なプロテスタント一家に生まれ、会計学校を出て、商社で修行し、石油精製の会社を若くして創業します。的確な会計処理、絶え間ない技術向上への思い、すべては神への信仰とともに、禁欲的な勤勉主義により会社は伸びていきました。ロックフェラーは山師などではありません。その後の寡占・独占体制も勤勉主義(競争)がもたらした弊害とも言えるかもしれません。
 なおロックフェラーの後半生は、神がもたらした莫大な利潤を、神のために還流させるための寄付行為に全精力を傾けました。

 このような宗教的な勤勉主義ほど資本が拡大する要因はないと思いました。ただ単なる拝金教のような考え方では、異常な資本の拡大増殖というものは不可能だと思います。

 ただ会社が成長して、官僚的な組織になっていくと、創業時の精神主義的な理念が薄まり、単なる金儲け集団に変貌してしまい、やがて倫理的に崩壊して会社が傾くことになるのではないかと思います。〕

  「リスク」=「確率」「統計」の研究がが行なわれ始めたのは、主にスイス・オランダでの宗教的な考え方が変化して、科学的な考えとの親和性が高まり、また一方では資本主義の精神が確立された時期だったようです。

 また「リスク」を研究することによって、初めて人間は未来を予測できるようになったのだと思います。
(ある仮定のリスクモデルを構築することにより、ある程度の未来の予測を行なえるようになりました。未来を予測できるのは、「宗教的な神」ではなく、数理論理という抽象的な思考そのものになりました。)
 特に賭博や投機行為という世俗に塗れた世界で、この研究は物凄く役立つようになりました。科学的思考(数理論理教)が世俗の金儲けにも役立つことが分かり、その後一気に市民にも普及していったのではないでしょうか。




コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 気候変動の科学 | トップ | 原発と安全保障(6)小泉・... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

資本主義」カテゴリの最新記事