数理論理教(科学教)の研究

数理論理(科学)はどこから来て、どのような影響を与え、どこに行こうとしているのか、少しでも考えてみたいと思います。人文系

企業社会(共産)主義、マルクス資本論の共産社会とは超巨大企業連合による統治なのか?、「社会抽象化計画」は続いていた!相対的剰余価値増大と科学技術の光と闇 

2023-06-05 17:38:22 | 資本主義
1.「資本論の道」は続いていた?
 私はずっと「資本論」の中で書かれた共産社会への過程(科学技術の進歩に伴う社会構造の効率化・共有化)は、ソ連や中国ではなく、米国で実践されているのではないかと思っていました。
「ソ連・中国等の共産主義VS米・西欧の資本主義」の対立構造ではなくて、「ソ連・中国等の民族派的独裁体制VS米国等の正統派(トロキスト的)共産主義(新自由主義政策でその特徴が目立つ)」という対立構造です。
 私は「科学技術」の「社会」への影響を理論的に解説しているは「資本論」などのマルクス経済学だと思います(唯物史観とも言われますが)。ただし「公害論(科学技術の負の側面)」や「科学信仰論(科学はどこから来るのか、科学信仰⇒科学技術)」が抜けていると思います。
 「科学技術」の進歩による生産・流通体制の変化による社会(家族・団体・企業、国家)への影響(社会変革)については、「資本論」・「ドイツイデオロギー」・「家族・私有財産・国家の起源」・「帝国主義」・「金融資本論」などの書物に詳述されていると思います(戦後のマグドフらの書物も含め)。
 

 【(本の私的な感想)
 科学技術の進歩(客観的なモノゴト)により社会(人間精神的なコト)が変革するということを大前提にしています。私は科学技術の思想は人間精神的な信仰に基づき進歩するのだと思いますが、その科学技術が社会に決定的な影響(変革)を与えるというのはその通りだと思います。】

 
 【科学技術の進歩による社会制度(家族・私有財産制・国家)の変革を歴史的に解説しています。プラトンの『国家』、ルソーの『人間不平等起源論』などとともに、「私有財産の発生⇒家族を作り、その富を子に残す」ことが諸悪の根源だと言っているようです。「社会抽象化計画」が進むと、子供は国家が管理するようになるかもしれません?さらに人工授精の技術が進むと、家族は必要なくなるかもしれません?

 
 【資本主義が進むと、交換価値である「貨幣=仮想価値記号(交換のためだけの指標)」のみを集積・操作する銀行などの金融資本が出現してきます。金融資本は貨幣(資本)を融資(需給操作)することにより製造業(生産資本)を支配していき、巨大な金融・生産資本グループを形作るようになります。要するにカジノの胴元のような役割になるということです。現在ではビックテックなどは「価値記号=情報記号」を独占して、社会すべてを支配しているかのようにも思えます。】


 【第二次大戦以後(現在)の帝国主義では、軍事占領して植民地などにするというような露骨な形から、様々な条約や金融支配、軍事基地の設置(条約等により設置)、CIAなどの諜報謀略工作、政治家・メディアの買収、エネルギー・食料支配などのソフトな手段を用いて、表向きには独立している国を支配しています。】
 
 どうも「共産主義」の考え方は、一般的にはソ連や中国の共産主義(民族的独裁体制)で利用された「資本論」等の考え方(搾取や貧富の格差(階級問題)、労働者の団結等を叫ぶ)を受けて説明されていて、「科学技術(超抽象化思想)」が及ぼす「社会変革(具体的な世俗社会の変革)」の影響という根源的な考え方についてはあまり説明されてこなかったように思います。
 そしてこのマルクス系の学説は古い(間違った)考え方で、現在では新しい経済学が主流になっているとみなされています。新しい経済学とは、計量学的なマクロミクロ経済学とか、ケインズ経済学とか新自由主義経済学とかです。
 計量(統計)的な経済学は確かに有用性(景気動向、行動心理学的、財政政策、物価統制等)があると思いますが、「静的・技術的な側面」が大きいと思います。またケインズ経済学は国家的な計画経済に親和性があると思います(硬直・腐敗した官僚制にも親和的?)。
 その中で、現在では『選択の自由』から始まった新自由主義的経済思想が世界的に主流になってきていると思います。この考えを実践する経済の行く先は、弱肉強食的な超効率的な組織体への変革であり、要するに「資本論」で考えられた「有機的構成の高度化の究極形」なのだと思います。

 
 【この本を読んだときは(もう30年以上前ですが)、何か宗教的な感動をしたことを覚えています。統制などをまったくせずにに皆が自由に行動すれば、それですべて上手くいく、規制などまったく要らないというような考えでした。
 そこから、皆の自由な行いの仲介の場である「市場」こそが「すべて(神)」なのだという経済的な信仰が始まったような気がします。一見良いことのように思えるのですが、「市場」がいったん不公正な操作により支配されてしまった場合には、その支配勢力は、政府などの監督官庁はすべて「市場」を尊び、それを円滑に進めるように(支配勢力の不正操作がし易いように)規制を撤廃しなければならないと声高に叫ぶようになります。そして様なプロパガンダと政府関係者の買収により、政府を従属化してしまいます。政府と「市場支配者」は(融合して)一体となり超越した利権団体となって、富を独占支配する絶対王朝になってしいます?】

 最近上記の林千勝さんのユウチューブを見て、またグローバル勢力の有無を言わさない社会改革を進める状況を見ていると、「世界的な社会の効率・抽象化(世界同時革命)=資本論の道」は続いていたんだとつくづく思うようになりました。
 これはあるマイノリティー民族(神の民)が、「自分たちへの差別を根源的に解消すること」と「情報(記号)操作(仮想抽象化)を通して富を独占して世界を完全支配すること」を目指したものだとも思えます。この世の価値というものは、「抽象的な貨幣(単なる記号)」のみの基準で計られるものであり、その「貨幣」を独占している者こそに「価値」があるのであり、「貨幣」を持たないものには「価値」などはないということでしょうか。
 カルヴァン派の「貨幣(禁欲的労働価値の化体)の大小」が「救済されるかされないか」の基準であるとの考え方とも似ていますが…。

 

 【旧約聖書のトーンは、「絶対的で強権的な神」と契約して生きている「選ばれし民」です。神に対しては絶対服従で、律法に則した生活をしなければいけません。そうしないと神に罰せられます。
 このような信仰環境では、唯物的な考えに傾くと思います。なぜなら、すべては神の定めた「掟(抽象的な論理構造」により律しられており、人間が感性により自由に考えをめぐらせるというようなことは許されないからです。また「種を栄よ」という神の命令から、商売も信仰と融合的です。
 私はカルヴァン派の全的堕落や労働最優先論がどこから出てきたのかと思いましたが、ゾンバルトはカルヴァン派と「神の民の信仰」は同じようなものだと断言されていました。資本主義の精神とは、「神の民」と「カルヴァン派⇒ピューリタンなど」により育まれたものだと言えそうです。】

 

 馬渕先生の言ってる通りだと思います。

 そして「社会抽象化強制計画」を推し進めるための「プロパガンダ」・「文化的戦術」として、学術的な闘争も行われているようです。「神の民」たちは、その「神の民」を狙い撃ちしにした「計画的で惨い(屠殺のような)大量殺戮」によるトラウマから現実逃避するかのように、「自分たちへの差別を絶対的・永遠的に根絶させる」ために世界的な思想改造の聖戦を始めたかのようです。

  
2.マルクスの資本論(第1巻「生産過程」)

 
(1)労働価値説
 資本論では、「価値」の根源的な源泉は「労働(大きな意味では商業的行動)」であると唱えています。道徳などの倫理精神面とはまったく関係がない、単に「労働」だけに価値の源泉を求めています。結構、独善的な感じがしますが、何かカルヴァン派の考えや「神の民」の行動様式とは凄く親和性があると思います。これらの考えは、すべてのモノを「商品」として「貨幣価値(抽象的記号)」に換算してしまう習性があります。貨幣価値に換算できないものには「価値」はないということです。
 なお資本論には流通過程などの計画経済を扱った巻もありますが、私は「労働価値説」と「科学技術の応用による無限的な価値増大(相対的剰余価値)」が「肝」ではないかと思います。固定観念による計画経済は、科学技術の進歩の前には、絶えず遅れた計画になりがちで、また利権的な談合・リベートの巣になるようにも思われます。そして、相対的剰余価値(自由な思想(環境)による科学の進歩と価値増大)と計画経済(固定観念による権威的な統制経済)は両立しないと思います。
 さて「労働価値」は、標準的な労働時間で計られます。つまりある「商品」を作るのに、(同じ道具や機械を使用して)ある人(Aさん)は10時間、ある人(Bさん)は5時間かかり、平均では7時間かかるとすると、その商品価値は平均的な労働価値の7時間分になります。そうすると、Aさんは10時間働いたのに7時間分の賃金しかもらえず、Bさんは5時間働いたのに7時間分の賃金をもらえることになります。もし高性能の機械が導入されて(その機械の価値(製造にかかった労働価値)は耐用期間内に少しずつ商品に参入されます)、上記の商品の標準労働時間が1時間分になってしまったら、古い機械を使っているAさんBさんは、10時間や5時間働いても1時間分の賃金しかもらえないことになります。
 
(2)相対的剰余価値増大と科学技術
 経営的に価値を増大させるには、「絶対的剰余価値」と「相対的剰余価値」の方法があります。
 「絶対的剰余価値」とは、他人の労働価値を搾取するやり方です。労働者が本当は8時間分の賃金の労働(間接経費や標準利益的なものを除いた正味の労働価値)をしたのに、例えば4時間分しか賃金を払わなければ、4時間/1人分の価値が経営者側に蓄えられます。これは昔から行われている「儲け方」だと思います。
 これは通常「搾取」ということで、昔の「赤い党」はさかんにこの悪弊を叫んでいたように思います。

 
 「相対的剰余価値」とは、新規機械の導入、効率的な生産組織体制などにより、他の生産体制を上回る効率性により価値を増大させます。他の生産体制では1商品あたり労働10時間かかるところを、1商品あたり労働5時間で作れれば、既存のその商品価値が10時間分であれば、5時間分は丸々儲けになる訳です。しかし他の生産体制のところも新しい機械を導入して効率性を上げればその利益はなくなり、また激しい効率性の競争に至ります。
 つまり「相対的剰余価値の永続的な増大」というのは、絶え間ない科学技術応用による革新的な機械製造・システム設計開発や、商品の生産工程の効率化、販売やービスの効率的な提供などによりもたらされるものです。そして、その科学技術をどのように発明・研究していくのかということが根本的に重要になってきます。その前提として科学的知識の向上のための教育が必要になります。そして科学教育を含めその効率性を高めるためには、宗教類似の科学至上主義(効率性至上主義、少し偶像化して利潤(貨幣)増大至上主義)への信仰心が必須な条件になってくると思います。
 よく会社で、この「信仰心」を高めるためのセミナーだとか訓示だとかいろいろ行われていると思います。また経営学とかでいろいろ効率性だとか利潤至上主義の信仰心のことが研究されていると思います。
 なお資本論(生産過程)の続編のような、シュンペンターの「経済発展の理論」では、「創業者利潤」という概念で、ベンチャー企業論(相対的剰余価値増大の新興組織)について解説されています。つまり「革新的な科学技術(論理構造システム)を応用した超効率的なを新興組織」を立ち上げる(創業)することに「大きな価値」があるということです。
 ベンチャー企業とは、企業共産社会実現のための強力な新興(信仰)団体かもしれません。

 
 
インテルの技術創業者のロバート・ノイスがフェチャイルドセミコンダクターから技術者仲間を連れて新たな創業をしようとしたところ、その技術力の有望さから、ほとんど担保となる資産などないにもかかわらず、今でいうベンチャーキャピタリストたちが殺到して投資を行い、経営のプロとしてアンドルー・グローヴも用意してしまったとのことです。
 ベンチャーキャピタリストというのは、何か奇抜で面白い事業発想を持っているが、資産がまったくない者に担保なしに投資するという人たちであり、その投資後にその創業者が事業に失敗して倒産したりしても、その失敗した創業者がまた違う新たな発想をもって事業を行おうとすると、また投資するような人たちのようです。
 ノイスは初め記憶素子の開発に注力していましたが、その技術を日本企業が盗み国家ぐるみで補助して市場を独占してしまったことに憤りずっと恨んでいたようです。後にセマテックで意趣返しをしたのでしょうか?
 グローヴは経営面(技術面を除き)では独裁(超秘密)官僚体制を敷いて、社員を絶えず監視統制していたようです。】

3.「相対的剰余価値増大」の究極的な方法は「数理論理至上主義」?
 現在では、科学技術の源泉の「数理論理的な思考方法」そのものが、すべてのシステム設計の共通の考え「世界共通記号」として、最大の価値を有するようになり(ビックテックなど)、それにともない相対的剰余価値の増大の究極的な手法になりつつあります。

 
 大昔にはエジソンのような職人的な技術者や家族的会社の創業者などが、その勘と度胸と勤勉さにより、初期の生産体制を構築して技術を高めてきました。しかし科学技術の進歩(科学信仰の進化)により、「抽象的な記号論理(数式)」が技術体系に決定的な影響を与えるようにより、もはや熟練した技術者や経験知的な経営方法では太刀打ちできなくなり、かつてのATTの研究所でのように物理化学を学んだ大学(院)卒者や専門的な経営・会計などを学んだ「論理記号のスペシャリスト」たちでないと、この価値増殖を実現することは不可能になりました。
 今では数理論理の天才者たちが、その「論理記号」のみのシステム化により、究極的な価値を生み出し、全ての産業を支配するようになっているようにも思われるます。「貨幣」も「論理記号」になるのは時代の趨勢だと思います。

 
4.「相対的剰余価値増大」のいくつか先が「有機的構造の高度化=共産社会」、そして超巨大企業連合が国家を統制する?
 相対的剰余価値増大のために、社会では物凄い付加価値競争が始まり、各企業では競って効率的な生産・流通・サービス組織を構築しよとしました。そうしないと生き残れないようになりました。そしてこの激しい競争によって、企業は超効率的な一握の巨大企業に集約されるようになり、社会全般が有機的(効率的)に密接に組織化(有機的構造の高度化)されるようになり、社会(この有機体に入っている団体・人)は一体化されるようになります。この一体化がマルクスの唱えた共産社会だと思います。
 この有機的構造の高度化の担い手は、世界的な「超大企業」であり、もはや多国籍企業で「国家」の縛りを受けなくなります。逆に「超大企業」の連合体が「国家」の上に君臨するようになります。そしてこの「超大企業」の連合者にとっては、いかに価値を増大させるかが究極の使命になっており、非効率的な前近代化的なモノ(習俗・伝統・宗教(科学教以外)・固定観念、例えば日本的経営制度(株の持ち合い、終身雇用等))などは破壊しようと画策すると思います。
 残念ながら、この科学技術を基にした競争社会に適応できないものは、その一体化(有機的構造の高度化)から外れてしまいます。マルクスの共産社会は、プラトンの唱えた理想社会に似通っていると思います。プラトンは「間引き」で対応しろとの峻厳な判断でしたが、現在では何らかの福祉政策の問題になっていると思います。そのうちどういうことになるのでしょうか?

 政府・行政は巨大金融グループに買収されているようです。

5.レーニンや毛沢東の共産主義という名の民族的独裁国家?
 レーニンは上記の4のような「共産社会の実現」を曲解したか隠蔽して、マルクスの資本主義的な効率化競争の果てに共産社会になるというストーリーを単純化して、ただ題目(理想社会=ユートピア幻想)に掲げて、「暴力革命」という程度の低い単なる「権力奪取手段」に利用したように思います。この「暴力革命」は、テロやプロパガンダによる謀略という手法を用いた、冷血でカルト的なもので、「自由な思考・信仰=科学の源泉」などを重点においた「相対的剰余価値の増大⇒有機的構成の高度化⇒共産社会」とは異質なものでした。
 まあ当時ロシアはまだ工業生産が十分でなく、封建制の強いロシア帝政の破壊という目的が第一目標だったのだと思いますが、「神の民」のロシアによる迫害を阻止するための「社会抽象化計画」の一つだったのかもしれません。
 その後、スターリンは「トロキスト(「神の民」のメンバーが多い、末裔が米国のネオコンと言われている)」を追い出し、ロシア民族主義による国家社会主義的な独裁国家を作りました。そのためえげつない効率主義(貨幣増殖主義)からは無縁になったようですが、官僚的な計画経済になり、汚職も蔓延して科学技術の裾野は広がりませんでした。
 中共はレーニンとスターリンの暴力革命手法を真似て、また伝統的な中華帝国の権謀術数や毛沢東の強烈な属性などにより、農民革命という地主から土地や財産を奪って富を得て、小作人にも分け与えるという方法で、勢力を伸ばしたようです。これは工業生産がほとんど皆無の中、「共産主義(ユートピア)」という題目だけを掲げて、前近代的な封建国家を打破するということに目標があったようです。しかし中国はアヘン戦争以来の「中華人民の屈辱」を晴らすために、何らかのイデオロギーを必要としていた(何億の民を束ねるには「強力な信仰」が必要)ことは確かだと思いますので、そういう意味では役だったのかもしれません。そして中共も民族主義的な国家社会主義(独裁国家)、というか現代版王朝(共産党王朝)になったかのようです。またソ連の恐怖政治を上回る統制も行いました。
 しかし、ロシアも中共も独裁国家にならざるを得ないのは、一つには「神の民」による「社会抽象化計画による世界支配」から逃れるためなのかもしれません。神の民は、独裁国家が少しでも自由化すると、すかさず強力なプロパガンダ(情報戦)を仕掛け、体制を崩壊させて経済占領してしまおうと狙っていると思います。
これはどうみても情報戦ですよね?

6.相対的乗価値増大の負の側面、「公害」の隠蔽、科学技術の制御不能?
 科学技術の進歩には、人間にとって「光」の部分と「闇」の部分があると思います。通常「相対的剰余価値」による貨幣価値の増大という光の部分のみに脚光が集まり、公害による闇の部分(マイナス面)は意図的に隠蔽されてきたと思います(隠蔽すれば損害はでないのでマイナスの貨幣価値にはならない。そのための「情報操作(メディア・規制当局支配)」の費用など安いものだ)。
 例えば「原子力発電」では、科学技術の粋を集めた効率的な発電であり、表面的には莫大な「相対的剰余価値」があるかのように思えましたが、その隠されたマイナス面も途方もないものでした(貨幣価値に換算すればそのリスクは天文学的なると思います)。その廃炉にかかわる費用、そもそも核廃棄物は処分できなかった(管理費用は底なし)、災害リスクも国家滅亡的なものだった。
 
 また今回のmRNA型ワクチンのリスクも隠されているようで、巨大製薬企業(及びその利権者)が空前の売上・利益(貨幣価値)を上げる中、今その負の影響が徐々に表面に現れ始めています。これはもはや「人類の生存」の脅威になるレベルだと思います。この損害の全部を貨幣価値に換算すればやはり天文学的になると思います。

 そしてmRNA型ワクチンのような医薬品が今後続々と登場するかもしれません。
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