数理論理教(科学教)の研究

数理論理(科学)はどこから来て、どのような影響を与え、どこに行こうとしているのか、少しでも考えてみたいと思います。人文系

資本主義とは宗教的な「行為義認」なのか(2) 神の民とカルヴァン派

2023-11-07 10:59:09 | 資本主義
※あくまで個人的な考えを記事にしました。

1.カルヴァン派(ピューリタン)と神の民の宗教は本質的に同じなのか? 
 資本主義の宗教的な側面は、カルヴァン派と「神の民の宗教」の考え方に強く影響を受けていたのではないかと考えていましたが、ヴェルナー・ゾンバルトの『ユダヤ人と経済生活』を読んだところ、どうもその二つの宗教は本質的には同じものなのではないかということが主張されていました。
 なおカルヴァン派は、フランスではユグノー、オランダではゴイセン、スコットランドではプレスビテリアン(長老派)、イングランドではピューリタン(新教徒)と呼ばれていました。 




 「…マックス・ヴェーバーが行った資本主義にとってのピューリタニズムの意義に関する研究は、わたしのユダヤ研究を大いに刺激した。それというのも、とりわけ資本主義の発展にとって意義あるピューリタニズムの主な理念が、実は、ユダヤ教のなかで、一層きびしく、そして当然のことながら、はるか早期に形成されていたという印象を受けたからである。
…ユダヤ教の考え方と、ピューリタニズムの考え方の事実上ほとんど完全な一致が明らかにされるに違いない。すなわち、宗教的関心の優位、試練の考え、(とくに!)生活態度の合理化、世俗内的禁欲、宗教的観念と利益獲得への関心と結合、罪の問題の数量的なあつかい、…
…ピューリタニズムはユダヤ教である。
 ヴェーバーとわたしの記述に基づけば、両者の精神的関連、いやそればかり両者の精神的一致を確定させることは、それほど困難ではないと思われる。」
「…宗教改革時代に、ユダヤ教と多くのキリスト教の宗派との間に形づくられた密接な関係はよく知られているし、当時ヘブライ語やユダヤ教の研究が、流行の学問として愛好されたことも周知の事実だ。しかし、とりわけ十七世紀にユダヤ人がイギリス人、とくにピューリタンに熱狂的に尊敬されたことも、よくわかっている。それはたんに、オリヴァー・クロムウェルのような指導者の宗教的な考え方が、全く旧約聖書を足がかりにしていたということばかりではない。クロムウェルは、旧約聖書と新約聖書との和解、ユダヤの神の民と、イギリスのピューリタンの神の会衆の内面的結合を夢見ていたのだ。
…公的生活と教会の説教は、まさにイスラエル的色彩を帯びていた。
…クロムウェルの将校たちは、彼にユダヤの模範組織シンヘドリストの構成員の数にならって七十人のメンバーからなる国家評議会をつくるように提案した。
 その頃は旧約聖書のみならず、ラビ文献がキリスト教の聖職者とキリスト教の平信徒のサークルで、熱心に読まれていたという事実がある。したがってピューリタンの教義が、ユダヤ教の教義から直接導かれたということも十分にありうる。」

2.カルヴァン派とルター派とは考え方が違う?
 長く続くローマカトリック教会の体制下では、免罪符売買や教会の私物化(教会税を集金する権利を宗教関係者でなく支配層が専有する)ということがが横行したりすることにより、それに対して不満を持つ人たちが立ち上がるようになり、ドイツではマルティン・ルターらにより宗教改革が始りました。
 この宗教改革から生まれた宗派をプロテスタントと言いますが、プロテスタントの中でも、ドイツのルター派とカルヴァン派とでは相当考え方が違っていたようです。
 ルター派の考えは、カトリック教会のものから信条や儀式などを多少変更したとはいえ、教えそのものについてはカトリックのものとそれほど変わっていなかったようです。それぞれの教会をローマ教会の支配から切り離して、自主的な自治組織にしようとしたようです。これにローマ教会の支配を排除したいと思っていた地元支配層(貴族層)の利害も絡んで、その改革運動は広がっていったようです。そのため、ルター派の考え方はすごく保守的で、聖書などをその言葉通りに忠実に守っていこうということが重要視されていると思います。
 それに対して、カルヴァン派の「全的堕落の極端な見方」や「予定説」といった考え方は、ルター派の考え方と相当違っていたようです。

 
「ルター主義の神学者たちが同じ改革者であっても、カルヴァンをはじめスイスの宗教改革者たちとの違いを感じ、彼らが批判したのは聖餐の理解をめぐる問題であった。ルターたちの改革では、教会が伝統的に制度化していた七つの秘跡のうち、聖書的な根拠にとぼしい五つのサクラメントは排除され、最終的に洗礼と聖餐が残された。この点についてはスイスの改革者たちも基本的には同じ考えであった。洗礼は、罪の赦しのためだけに一回だけ行われるサクラメントであるのに対して、聖餐は、キリストの犠牲によって人類が救済されたことを想起するために、繰り返し行われる儀式で、「キリストの身体」と呼ばれるパンと「キリストの血」と呼ばれるぶどう酒を授かる。
 …スイスの改革者たちは、より厳密な解釈を要求し、ルターやその支持者たちと論争になった。彼らは聖餐に残る魔術的な要素、たとえば聖餐においてパンとぶどう酒に変化を生じさせるような呪文、このパンとぶどう酒の中に復活したキリストが何らかの神秘的な仕方で宿っているという解釈を拒否し、この儀式を徹底的に象徴的に解釈しようとした。
 …スイスの改革者たちは、カトリック教会の伝統の中にあった魔術的要素、反聖書的要素などと彼らが考えたものを徹底的に排除しようとした。そのために礼拝の順序も変えられ、礼拝堂からもそれらのものはすべて排除された。十字架像さえも偶像に属するとして排除された。それに対してルターとその支持者たちは基本的にはカトリックの伝統的な教会の礼拝様式や会堂建築を継承した。今日でもルター派の教会はカトリックとそれほど変わらない様式を保持している。」

3.カルバン派の全的堕落と予定説は神の民の考えと親和性がある?
(1)全的堕落と神の絶対的支配 
 全的堕落の考え方は、プロテスタントの各派では一般的に受け入れられていたようですが、カルヴァン派は特に極端な考え方をしていたようです。
 カルヴァン派の全的堕落の見方は、全知全能の神の絶対的な支配ということに重点が置かれていたと思います。そしてそれは、絶対的な神の「規則(神が作った法則)」に忠実に生きるということが使命になり、いついかなる時でも「神の支配」は満ちているので、規則(法則)に従って律儀に行動し続けないといけないということなります。また神の作った「法則」を忠実に守るということは、その「神の法則」を知ろうとすることにもつながり、人間や自然(神の造物)を様々な抽象的な思考実験を行って分析するということに向かい、科学的な思考と親和性が高くなったのではないかと思います。近代数学の創始者のベルヌーイ一族やオイラーらはカルヴァン派でした。


 一方、「神の民の宗教」でも神は絶対的で唯一な存在であり、新約聖書で語られているようなキリスト(神の子)の贖いにより誰でも(人間ごときが)救済されるということはありえず、すべては神の支配するところであり、選ばれた神の民だけがその神の規則を忠実に従うことにより救われるという考え方になっていると思います。人間も自然も神の造った「造物」なので、その規則(法則)によりどのように造られているのかを探求することは、この民にとっても理にかなっていたと思います。この民にとっては、人間や自然の見方はすごく唯物的(抽象的な論理物)になると思います。
(2)予定説
 そして予定説、神の救済にあずかる者はあらかじめ決まっているという考え方は、一種の選民思想(神の民だけが救われる)にもつながることになると思います。そして神に救われる者の証は、禁欲的で具現的な勤労の結果である労働価値の多寡にあると考えるようになると、「産めよ増やせよ」の考え方にも近いような気がします。

「すべての人間の堕落
人は、アダムの創造主である神への反逆、すなわち堕罪ゆえに、その結果として「全的に堕落」したとするもので、ここに「全的」とは、二重の意味を持つ。第一に、その「堕落」が全人類に広がりアダムの末裔である限り、その「堕落」から逃れた者はいない、という「堕落」普遍性を示すことばであり、第二に、人格のすべての領域にその「堕落」が及んでいると言う意味において「全的」なのである。つまりすべての人間は堕落しており、また人間の人格もすべて堕落しているという意味である。「神学の第一原理は、人間の堕落、人間の罪である。」と言われている。」

「予定説(預定説、よていせつ、英語: Predestination)は、聖書からジャン・カルヴァンによって提唱されたキリスト教の神学思想。カルヴァンによれば、神の救済にあずかる者と滅びに至る者が予め決められているとする(二重予定説)。神学的にはより広い聖定論に含まれ、その中の個人の救済に関わる事柄を指す。全的堕落と共にカルヴァン主義の根幹を成す。
予定説を支持する立場からは、予定説は聖書の教えであり正統教理とされるが、全キリスト教諸教派が予定説を認めている訳ではなく、予定説を認める教派の方がむしろ少数派である。
 内容
 予定説に従えば、その人が神の救済にあずかれるかどうかはあらかじめ決定されており、この世で善行を積んだかどうかといったことではそれを変えることはできないとされる。例えば、教会にいくら寄進をしても救済されるかどうかには全く関係がない。神の意思を個人の意思や行動で左右することはできない、ということである。これは、条件的救いに対し、無条件救いと呼ばれる。神は条件ではなく、無条件に人を選ばれる。神の一方的な恩寵である。
救済されるのは特定の選ばれた人に限定され、一度救済にあずかれた者は、罪を犯しても必ず神に立ち返るとされる[1]。これは、聖徒の堅忍と信仰後退者の教理である。」
 
(創世記 9:1-17)
『聖書 聖書協会共同訳』より
「神はノアとその息子たちを祝福して言われた。「産めよ、増えよ、地に満ちよ。
あらゆる地の獣、あらゆる空の鳥、あらゆる地を這うもの、あらゆる海の魚はあなたがたを恐れ、おののき、あなたがたの手に委ねられる。
命のある動き回るものはすべて、あなたがたの食物となる。あなたがたに与えた青草と同じように、私はこれらすべてをあなたがたに与えた。
ただ、肉はその命である血と一緒に食べてはならない。
また、私はあなたがたの命である血が流された場合、その血の償いを求める。あらゆる獣に償いを求める。人に、その兄弟に、命の償いを求める。
人の血を流す者は
人によってその血を流される。
神は人を神のかたちに造られたからである。
あなたがたは、産めよ、増えよ。
地に群がり、地に増えよ。」

4.マックスヴェーバーの『プロテスタンティズムと資本主義の精神』は、神の民の考え方を基にするとよく理解できる?
 ヴェーバーのこの考え方は、カルヴァン派と「神の民の宗教」を融合して見直してみると、何かすっきり理解できるようになりました。結局、資本主義とは「宗教的な行為義認」であり、私たちもその中に放り込まれ、日々「利益」追及に駆り立てられているということになるのでしょうか?
 後ウマイヤ朝で栄えたスペインの地に移住した神の民は「スファラディ」と呼ばれますが、カトリック全盛期には迫害されて、ポルトガル→オランダ→イギリス・アメリカに移住していったようです。この移住先ではどこも商業的に繁栄しました。そしてイギリス・アメリカでは本格的な資本主義は勃興することになりました。

 
「予定説と資本主義
マックス・ヴェーバーは論文「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」の中で、カルヴァン派の予定説が資本主義を発達させた、という論理を提出した。
救済にあずかれるかどうか全く不明であり、現世での善行も意味を持たないとすると、人々は虚無的な思想に陥るほかないように思われる。現世でどう生きようとも救済される者は予め決まっているというのであるなら、快楽にふけるというドラスティックな対応をする者もありうるはずだ。しかし人々は実際には、「全能の神に救われるように予め定められた人間は、禁欲的に天命(ドイツ語で「Beruf」だが、この単語には「職業」という意味もある)を務めて成功する人間のはずである」という思想を持った。そして、自分こそ救済されるべき選ばれた人間であるという証しを得るために、禁欲的に職業に励もうとした。すなわち、暇を惜しんで少しでも多くの仕事をしようとし、その結果増えた収入も享楽目的には使わず更なる仕事のために使おうとした。そしてそのことが結果的に資本主義を発達させた、という論理である。」



 
「…ポルトガルへ脱出し、さらにはオランダへ逃れていった人々もいた。ポルトガルに逃れた人びとのなかには、生き残り、世を渡るためにキリスト教へ改宗した者も多かったといわれる。彼らは「コンヴェルソ」と呼ばれた(「マラーノ」はその蔑称である)。コンヴェルソの家庭では、母親を通じて子供へのユダヤ教の信仰が密かに引き継がれていった。いわば潜伏ユダヤ教徒である彼らは、異端審問と虐殺から身を守ると同時に、長い間をかけて国外の安全な場所を探求し、周到な計画のもとに移住を企てた。その行き先が新興国オランダであった。
 十七世紀、ウエストファリア条約で独立を果たしたオランダは、信仰の自由を掲げて大航海時代をリードしはじめていた。オランダに無事にたどり着いてたコンヴェルソの人びとは、ユダヤ教へ再改宗すると、アムステルダムを中心にユダヤ社会を形成していった。…高い言語能力を活かして交易の担い手となることで、受け入れ先の国の繁栄に貢献していった。
 オランダでは、ユダヤ人の交易支配がスペインからの不当な扱いを受けたことに対抗し、1658年、ユダヤ人にオランダ市民権を付与して国際貿易上の便宜を図ることにまでした。この決定はやがて、ユダヤ人が西欧諸国で市民権を獲得する新たな道を開くことになる。…西欧諸国が重商主義の時代を迎えるなか、それまではもっぱら迫害と追放の対象だったユダヤ人が、西欧のキリスト社会でも生きられるようになったのである。
 北米大陸へのユダヤ人移民がコンヴェルソから始まっていることも注目すべき点であろう。またユダヤ人の移住によって国力を増強したオランダは、ピューリタン革命を指導したクロムウェルにも影響を与え、1290年の追放以来、長らくユダヤ人を拒んできたイギリスで門戸開放が実現する。そして、ロンドンを拠点とするユダヤ人商人のなかから北米へ入植する者が現れ、1730年にはニューヨークのマンハッタンに、アメリカで初めてのシナゴーグが建設されるのである。」






 

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