氷室神社・春日大社から東大寺、春日山麓散策路。点在する万葉歌碑を見つけながらの散策だった。
東京駅8時33分発、新幹線
近鉄奈良駅 12時過ぎ着
駅のコインロッカーに荷物をあずけ、近くのコンビニでサンドイッチ等を買う。
奈良公園の鹿
県庁東交差点の北東のかどにある、万葉歌碑
見渡せば春日の野辺に霞立つ咲きにほへるは桜花かも 作者未詳(巻10-1872)
→万葉アルバムへ
氷室神社
平城遷都にともない春日野に氷池や氷室をつくり、稲作に重要な夏の天候を呪う祭紀を行ったのが始まりとされている。
氷室神社のシダレザクラは、奈良一番桜ともいわれ早咲きで有名。
氷室神社の万葉歌碑
うらうらに 照れる春日に ひばり上り 心悲しも ひとりし思へば 大伴家持(巻19-4292)
→万葉アルバムへ
子鹿
万葉歌碑脇の古株に坐って昼食をとっていたら、子鹿が傍にきておねだりをした。少しだけ分けてあげたら、なついて離れない。
春日大社参道
参道沿いにも万葉歌碑が2基建っていた。
→万葉アルバムへ
春日大社万葉植物園入口
昭和7年、萬葉集にゆかりの深い春日野の地に我が国で最も古い萬葉植物園として開園された。現在は神聖な社の一部を一般に公開し、やすらぎをあたえる神様の庭、「春日大社神苑 萬葉植物園」として開苑している。
遥拝石と浮舞台
「神」の文字の浮き出る遥拝石、
浮舞台では春と秋に 舞楽が演奏されるが、 このあたりは 独特で清浄な雰囲気に 保たれている。
紫は灰指すものぞ海石榴(つ ば)市の 八十の 衢(ちまた)に逢へる児や誰 作者未詳(万葉集 巻12-3101)
たらちねの 母が呼ぶ名を 申さめど 道行く人を 誰としりてか
島崎藤村揮毫の歌碑。
→万葉アルバムへ
園路
『臥龍(がりゅう)のイチイガシ』と呼ばれる老巨樹(奈良市指定文化財)が根をはっている。
藤の園
早咲きから遅咲きまでの20品種、約200本。藤原氏の氏神様でもある春日大社。藤の花はとても大切にされている。
園内の湧水路
手向山八幡宮への道
手向山八幡宮参道
手向山(たむけやま)八幡宮は東大寺八幡宮ともいい、奈良時代聖武天皇が大仏の造営をされた時、これに協力のため749年(天平勝宝元年)に宇佐八幡神を東大寺大仏守護神として勧請することになった。 宇佐八幡神が豊前豊後以外の土地に勧請された最初の八幡宮といわれる。
天平勝宝2年2月には一品八幡神を迎え神仏習合の形となり、以来、東大寺の鎮守社とされ、深く崇敬されてきたが、明治初年の神仏分離令で独立し、現在に至っている。
手向山八幡境内の万葉歌碑
秋萩の 散りの乱ひに 呼びたてて 鳴くなる鹿の 声の遥けさ 湯原王(巻8-1550)
→万葉アルバムへ
境内脇の古民家 味わい深い土壁
東大寺への道
鏡池と東大寺
東大寺大仏殿
中国人らしい観光客が目を引く
東大寺大仏殿北西の万葉歌碑
わが背子とふたり見ませばいくばくか この降る雪のうれしからまし 光明皇后(巻8-1658 )
→万葉アルバムへ
転害門(読み方は”てがいもん”)
平重衡の兵火(1180年)、三好・松永の戦い(1567年)の2回の戦火にも焼け残った寺内で数少ない建物のひとつで、天平時代の東大寺の伽藍建築を想像できる唯一の遺構である。鎌倉時代の修理で改変されているが、基本的には奈良時代の建物である。
転害門から佐保路を望む
佐保は大伴娘女(家持の叔母)が居たところ。去年は佐保川に沿って、この先を散策した。
佐保寺の路
転害門から一条通りを西へ進む
聖武天皇佐保山南陵
一条通りの北側に面している
佐保橋
佐保川の流れがみえる
奈良駅への道
近鉄奈良駅 16時過ぎ着
東京駅8時33分発、新幹線
近鉄奈良駅 12時過ぎ着
駅のコインロッカーに荷物をあずけ、近くのコンビニでサンドイッチ等を買う。
奈良公園の鹿
県庁東交差点の北東のかどにある、万葉歌碑
見渡せば春日の野辺に霞立つ咲きにほへるは桜花かも 作者未詳(巻10-1872)
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氷室神社
平城遷都にともない春日野に氷池や氷室をつくり、稲作に重要な夏の天候を呪う祭紀を行ったのが始まりとされている。
氷室神社のシダレザクラは、奈良一番桜ともいわれ早咲きで有名。
氷室神社の万葉歌碑
うらうらに 照れる春日に ひばり上り 心悲しも ひとりし思へば 大伴家持(巻19-4292)
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子鹿
万葉歌碑脇の古株に坐って昼食をとっていたら、子鹿が傍にきておねだりをした。少しだけ分けてあげたら、なついて離れない。
春日大社参道
参道沿いにも万葉歌碑が2基建っていた。
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春日大社万葉植物園入口
昭和7年、萬葉集にゆかりの深い春日野の地に我が国で最も古い萬葉植物園として開園された。現在は神聖な社の一部を一般に公開し、やすらぎをあたえる神様の庭、「春日大社神苑 萬葉植物園」として開苑している。
遥拝石と浮舞台
「神」の文字の浮き出る遥拝石、
浮舞台では春と秋に 舞楽が演奏されるが、 このあたりは 独特で清浄な雰囲気に 保たれている。
紫は灰指すものぞ海石榴(つ ば)市の 八十の 衢(ちまた)に逢へる児や誰 作者未詳(万葉集 巻12-3101)
たらちねの 母が呼ぶ名を 申さめど 道行く人を 誰としりてか
島崎藤村揮毫の歌碑。
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園路
『臥龍(がりゅう)のイチイガシ』と呼ばれる老巨樹(奈良市指定文化財)が根をはっている。
藤の園
早咲きから遅咲きまでの20品種、約200本。藤原氏の氏神様でもある春日大社。藤の花はとても大切にされている。
園内の湧水路
手向山八幡宮への道
手向山八幡宮参道
手向山(たむけやま)八幡宮は東大寺八幡宮ともいい、奈良時代聖武天皇が大仏の造営をされた時、これに協力のため749年(天平勝宝元年)に宇佐八幡神を東大寺大仏守護神として勧請することになった。 宇佐八幡神が豊前豊後以外の土地に勧請された最初の八幡宮といわれる。
天平勝宝2年2月には一品八幡神を迎え神仏習合の形となり、以来、東大寺の鎮守社とされ、深く崇敬されてきたが、明治初年の神仏分離令で独立し、現在に至っている。
手向山八幡境内の万葉歌碑
秋萩の 散りの乱ひに 呼びたてて 鳴くなる鹿の 声の遥けさ 湯原王(巻8-1550)
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境内脇の古民家 味わい深い土壁
東大寺への道
鏡池と東大寺
東大寺大仏殿
中国人らしい観光客が目を引く
東大寺大仏殿北西の万葉歌碑
わが背子とふたり見ませばいくばくか この降る雪のうれしからまし 光明皇后(巻8-1658 )
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転害門(読み方は”てがいもん”)
平重衡の兵火(1180年)、三好・松永の戦い(1567年)の2回の戦火にも焼け残った寺内で数少ない建物のひとつで、天平時代の東大寺の伽藍建築を想像できる唯一の遺構である。鎌倉時代の修理で改変されているが、基本的には奈良時代の建物である。
転害門から佐保路を望む
佐保は大伴娘女(家持の叔母)が居たところ。去年は佐保川に沿って、この先を散策した。
佐保寺の路
転害門から一条通りを西へ進む
聖武天皇佐保山南陵
一条通りの北側に面している
佐保橋
佐保川の流れがみえる
奈良駅への道
近鉄奈良駅 16時過ぎ着
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