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風に吹かれて アンマン

日々の想いを記録に残せたらと願っている
内容は「ヨルダン事情・風物詩・気質」「中欧旅行記」「シリア旅行記」などからなる

ヨルダン大学

2008-12-29 | ヨルダン事情・暮らし・気質
12月23日、24日の2日間にわたってヨルダン大学、日本大使館、国際協力機構(JICA)
の協力のもとジャパン・フェスティバルがヨルダン大学で行われた。

我々夫婦も2日目の日本文化紹介のお手伝いでヨルダン大学に出かけた。

フェスティバルについては新年早々の次回の稿に譲り、今回はヨルダン大学について紹介したい。

フェスティバル2日目の24日、我々は生憎の雨の中を会場があるヨルダン大学に向かった。

正門前でタクシーを降りると、そこは学園街らしく学生向けのお店があったが
朝早いせいか閉じてる店が多かった


(正門前の学生向けのお店)

ヨルダン大学はヨルダンにある10ばかりの国立大学の1つであり、最も古い歴史を誇っている。
医学部を含む総合大学で学生数は約7万人とかなりのマンモス大学である。

学生の男女比は五分五分だそうだ。
だが登校する学生を見ていると女子学生が圧倒的に多いようだった。
ここヨルダンでも女子の方が真面目に授業に出席するのかもしれない。

ヨルダンにおいては女性の社会進出は特に官公庁では進んでおり、日本以上とも言われている。


(ヨルダン大学正門前)

ヨルダン大学では日本語講座が開かれており、
1993年の文学部への青年海外協力隊員派遣にさかのぼる、
以来現在まで同隊員派遣による講座が継続されている。

日本語講座は外国語学科の選択必修科目および全学部対象の自由選択科目であり
第2外国語として位置づけられている。

学習動機は理系学生においては日本のテクノロジーへの関心が主なものであり、
その他では日本文化(アニメなどのポップカルチャーを含む)に対する関心によるものが多いようだ。

正門を抜けると正面に時計台がある。


(時計台 右手前は銀行のATMである)

キャンパスはかなり広い。
男女交際も自由なようで男女が談笑する姿もいたるところで見られ、
日本の学生のキャンパス・ライフと大差なく青春を謳歌しているようだった。


(キャンパス内の並木道)

各銀行のATMが数ヶ所で見かけられ利用頻度は高いようだ。
地方から出てきてる学生も多いらしい。


(キャンパス内 左奥はATM)

並木道を通り抜けるとモダンな建物があり、そこがジャパン・フェスティバルの会場だった。


(会場)

この稿はヨルダン大学の紹介のためここで終わる。

ジャパン・フェスティバルの模様については次々回の「ジャパン・フェスティバル」
(カテゴリー:ヨルダンでの日本文化紹介)をご覧頂くようお願いします。
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交通事情

2008-09-12 | ヨルダン事情・暮らし・気質
今回はアンマンの交通事情について触れたい。

はっきり言ってこちらは車優先社会である。
日本のように歩行者優先という気持ちでいては、この国では轢かれてしまう。
横断歩道は数少ない、あってもほとんど消えているし、車もまったく横断歩道を
意識している風ではない。
そんな中をさらりさらりと身をかわして横断するのは、来た当初は至難の業だったが
最近ではかなり慣れてきた。


(道路横断中の親子連れ)


(車道を横断する歩行者)

また車の運転マナーも悪い。
スピードは出す、車線は消えてないにひとしく、車線変更も他車を無視し、
ウインカーを使うこともまれである。
皆が競って前へ前へと運転する。


(車線の消えた道路)


(交通整理のPoliceman)

こんな事情は数字にも表れている。
数字はちょっと古いが2003年で見てみる
(ヨルダンCivil Defence局の統計資料、及び日本の交通白書)

                     ヨルダン     日本
10万人あたりの死亡者数       15.2    6.0
10万台当たりの死亡者数       14.6     1.0
登録者数(単位:千台)         571    76,893

総人口比でヨルダンと日本およそ20倍、自動車保有台数で約140倍、運転免許保持者で約70倍の開きがあるなど、比較において考慮すべき点は多いがそれにしてもかなりの差である。

ちなみに各国の統計を見てみると2002年で以下のようであり、

    10万人当たりの死亡者数
日本      7.9
韓国     17.2
アメリカ   14.8
ドイツ     8.5
フランス   13.8
ヨルダン   14.2

日本の死亡者の少ないことがわかる、ヨルダンもそんなに悪くはないような・・・

また曜日別ではイスラム教の安息日の前日である木曜日が事故が多いようだ。
現在、真只中であるラマダン期間中も精神的に不安定になるのか事故は統計的に多い。

こんなヨルダンを離れて我々は明日から中欧の旅に出かける。
中欧の交通事情はヨルダンよりはましであろうが、自動車事故はいつ起こるかもわからない。
十二分に気をつけなきゃと今から身を引き締めている。

旅行にPCは持参しないこととした。
メールを見たりブログを更新する余裕はないと思うのと、盗難、破損などを恐れての判断だ。
メールなどに気をとられず、日常生活と隔絶しゆっくり楽しみたいと思っている。
しかる後、無事に帰国して、中欧旅行の感想、写真などを順次掲載していきたい。

ヨルダンへの帰国は9月21日、19:35空港着の予定である。

では、行ってまいります。
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水事情

2008-09-06 | ヨルダン事情・暮らし・気質
8月の末日、「四国の水がめ」早明浦ダム(高知県)の水が枯渇したとのニュースを
TVのNHKワールドおよびインターネットにより知る。
遠くアンマンより水不足に悩む人たちを想う。

こちらにきて不思議に思っていることがある。
当地に来て5ヶ月あまり、その間雨が降ったのは2日だけである。
それもほんのわずかで、顔に2,3の粉末のような水がかかっただけであった。
そんな状態なのにこちらでは、人々だれも水不足を心配しているふうではない。

アメリカ在住のころ、夏に晴天が続き水不足になったことがあるが、その時は
庭のスプリンクラーで散水することはもちろん、洗車などもはばかられた。
ところがこちらでは市の職員であろうか街路樹に散水している姿や、
道路を水で清掃している姿をよく見かける。
いつか突然に水不足が宣言されるのではとひやひやしている。

どうもヨルダンの人は環境問題とか、エコとかには関心が薄いようである。
これについては、いつか稿をあらためて記したい。


(街路樹に散水する職員)


(道路の清掃をするオレンジ・マン)

水源がヨルダン川,あるいはかすかな地下水しか期待できないこの国、
水があり余ってるとも思えない。
乾燥した中東地域では「水一滴は血の一滴に匹敵する」ともいわれ、
古代から争いの原因となってきた。
なのにである、無駄使いともいえるこの水の使い方はなんだろう。
もちろん緑にあこがれ植木を想う気持ちは理解できるが。

こんなにからから天気が続くのにもかかわらず水不足にならないヨルダンは不思議な国である。
少ない人口、一人当たりの水消費量の少なさなどが考えられるがどうだろう。
あるいはアンマンなどの一部の都市においてのみ水が潤沢なのだろうか。
このなぞは暫らく解けそうにない。

最後にこちらでは、ときおり家のコーナーに水がめが置かれているのを見かける。
これは街行く人のために供されているらしい。
須恵器でできており熱が外に発散されて中の水は冷たいそうだ。


(街角に置かれた水がめ 上にコップがある)

これは昔から伝わる知恵で人々ののどの渇きを癒してることを、
水事情の稿にちなんで蛇足ながらあわせて記しておきたい。
またこの水がめ、ラマダンに入った1日には片付けられていた。
ラマダン中、日中は水を飲むことも許されていない。
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パレスチナ

2008-08-30 | ヨルダン事情・暮らし・気質
仕事でアンマンの南西約30kmのマダバ市に行く機会があった。

マダバの周辺にはキリスト教に関する史跡も多く観光地である。
ビザンチン時代(紀元後4~7世紀)にはマダバ市内にも数多くの教会が建てられ
内部にはモザイクが施されている、イスラム教が興隆する前の話である。
そのマダバの西10kmにモーゼ終焉の地と伝えられるネボ山がある。

マダバには現地の社員とドライバーとで行ったのだが、
この二人朝から日ごろと違ってテンションが高いようだ。
聞いてみると二人とも1960年代後半のパレスチナ難民だ。
もし仕事が早く終われば是非ともネボ山に行き故郷を偲びたいという。

ヨルダンにはパレスチナ人が多い。国民の7割を占めている。
政府の政策が難民受け入れに寛容なのが影響しているのであろう。
多くの地区に難民キャンプと呼ばれる地域が今もある。

パレスチナ人は全世界で1,009万人(2005年末 パレスチナ中央統計局)といわれている。
現在パレスチナ暫定自治区が設定されておりヨルダン川西岸地区とガザ地区に分かれる。


(薄黄色がパレスチナ暫定自治区
 大きなほうが西岸地区 左の小さいほうはガザ地区)

西岸地区(5,655平方km)は三重県ほどの面積で241万人が住み、
種子島ほどの大きさのガザ地区(365平方km)には142万人が住んでいる。
超過密状態であることが窺われる。

旧約聖書の中のモーゼがエジプト王の迫害を逃れて、ヘブライ人を率い出エジプトを敢行したという話は多くの人が耳にしたことがあるだろう。
モーゼとその一行はシナイ山で十戒を授かったあと、現在のヨルダンを北上したと言われているが
ルートについて確かな記録はない。
ネボ山でモーゼは率いてきた民に「あれが約束の地だ」という言葉でパレスチナに向かうよう促し、
自身は山上から見守り亡くなったとされている。

この故事からわかるようにネボ山からは、パレスチナ高原にガスがかかることも多いが、
パレスチナの地やエルサレム、エリコなどを遠望することができる。

手早く仕事を片付けネボ山に行くこととする。
パレスチナ方面を望めるポイントに来ると二人は暫し沈黙である。
何を思うのであろうか。


(望郷にふける二人 手を拡げてるのがドライバー)

こんな風景をかって見たことがあるような気がする。
記憶を辿って過去にさかのぼる。
思い出した!

30年ほど前、返還前の香港に行ったとき国境沿いに中国を望んだことがある。
そのとき同じように郷愁にかられている人たちを目撃した。
我々の中国人ガイドは「ここはいい!風の匂いがちがう」といって懐かしんでいた。

現在も韓国の人が国境沿いに北朝鮮を望む姿がTVで放映されるのを観ることがある。

どんな民族にとっても故郷を想う気持ちは同じなのであろう。
故郷を追われたり失ったり、また引き裂かれたりの人たちを想う一日であった。
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ヨルダン人の暮らしぶり

2008-08-18 | ヨルダン事情・暮らし・気質
ヨルダン人の生活レベルについて考えたい。

アンマンのモールにはヨルダン人も沢山来ている。
カートに山ほどの物を入れてる人も数多く見かける。
彼らの消費意欲はこれが被援助国かと眼を疑うくらい旺盛だ。
事実、一人当たりのGDPでは被援助国の水準を越えてきてるらしい。
中東の比較的政治的に安定した国という地政学的特徴、「ぜひ味方につけたい」との思惑から
日本、米国、ロシアをはじめ各国が競って援助の手を差し伸べてるのではと思うことも多い。

街並みもかなり整備されてきている。
ダウンタウンには多くの古い街並みが残るが、アンマン市西部のほうでは
近代的な街並みが整備されてきている。
歩行者天国もあり、スターバックスなどの店が軒を並べる。


(お昼の歩行者天国  日中は暑いため人はあまり出歩かない)

日中はそれほどでもないが夜になると涼を求める人で賑わう。
着ぐるみや、すべり台などもあり子供達も楽しげだ。


(スターバックスを背景にポーズをとる着ぐるみ
撮影代として0.5JD(75円)取られた)

(空気で膨らませたすべり台)

話はちょっとそれる。
ヨルダン人の生活は、実力以上にかなり膨張してるのではと感じている。
ヨルダンは恒常的に大幅な輸入超過の貿易構造を続けておりその赤字幅は年々拡大している
(2005年にはGDPの約40%)
この赤字を埋めているのが海外(湾岸諸国、欧米)在住のヨルダン人からの送金(GDPの約20%)、
海外からの財政援助(GDPの約10%)、湾岸諸国を中心とした
海外からの直接投資(GDPの約10%)である。
ざっくり言って、ヨルダン人はかなり水増しされた生活を享受してるといえるのではないか。

現在、ヨルダンの経済活動は好景気の湾岸諸国の影響もあり、ビル・ラッシュに
代表されるよう絶好調である。
これらのビルにはショッピング施設も作られ、今以上にファッショナブルとなるであろう。
この経済好調の追い風を受けて、早期に貿易構造の改善などの施策が効を奏し、
水増しじゃなく真水での生活を謳歌できるようになることを願ってやまない。
コメント (7)
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