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風に吹かれて アンマン

日々の想いを記録に残せたらと願っている
内容は「ヨルダン事情・風物詩・気質」「中欧旅行記」「シリア旅行記」などからなる

医療事情(3) 女性療法士

2008-08-08 | ヨルダン事情・暮らし・気質
主任の検査を終え個室で待っている。

ほどなく妙齢の瞳がブルーの女性が入ってくる。
妻の担当らしい、名をナターシャという。
名前からわかるように、祖先は黒海とカスピ海に挟まれたコーカサス地域にある
ロシア連邦チェチェン共和国の出身で本人はヨルダンで生まれたそうだ。

早速ジェルを患部に塗り超音波による治療に入る。


(治療するナターシャ)

彼女は大学で理学療法を学び資格を取ったとのこと。
妻に聞くと、ゆっくりとやさしくポイントを抑えた丁寧な治療をしてくれ非常に上手らしい。

話をしていると日本文化や漢字に興味があるらしい。
後日、妻が漢字でナターシャと書いてプレゼントすると大喜びで
なんでも額に入れて飾るそうな。


(プレゼントした書 菜多紗=ナタ-シャ)

ヨルダンにはチェチェン民族が1万人くらいいるそうで、彼らのコミュニティがあり民族の結束は固いらしい。
彼女自身もアラビア語はもちろん、チェチェン語も話す、英語も上手だ。
彼女の容貌はあきらかにアラブ系のそれとは異なり白人系である。

こちらで人の顔を見ていると、アラブ系はもちろんアジア系、アフリカ系、ヨーロッパ系と
さまざまな顔に出会う。まさに人種・民族のるつぼである。

先史古代文明時代【紀元前3000-紀元前4世紀)、ギリシャ・ヘレニズム時代(紀元前4世紀ー紀元前1世紀)、ローマ時代(紀元前1世紀ー紀元後4世紀)、ビザンチン時代(紀元後4-7世紀)、イスラム初期時代(7世紀ー9世紀)、十字軍時代【11-13世紀)、アイユーブ朝・マムルーク時代(12-16世紀)、オスマン・トルコ時代(16-20世紀)を経て現在に至るまで歴史の激動の中、戦争、征服、被征服を繰り返すなか,
それらをくぐり抜けながら生きてきた人たちの結果が今ここにしっかりと存在している。

話が横道にそれたがナターシャの治療は続く。


(熱心に治療するナターシャ)

彼女はムスリム(イスラム教徒)だが、いまだかって髪を覆うムスリム独特のスカーフは
嫌いだからといってしたことがないそうだ。
写真も気にしないと言う。
アンマンの中心部ではスカーフをしてない女性を多く見かける。
女性ムスリムの意識も特に若い人や都会あたりでは変化しているのかも知れない。

妻はこれから暫く週2,3回のペースでナターシャの治療を受けながら様子をみることとなる。
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医療事情(2) 理学療法

2008-08-03 | ヨルダン事情・暮らし・気質
今回はヨルダンの理学療法の様子について記したい。

妻が臀部に痛みを感じMRI検査をしたことは前に書いた。
3週間が経ちドクターより理学療法を勧められる。

リハビリ・センターはArab Medical Centre前のビルの1階にある。
受付はシックに整えられておりレセプションの女性は気さくで写真撮影もOKと
気にしない風である。
中の設備も日本同様に新しく揃っている。
治療費は1回あたり20JD(3,000円)と聞く。


(リハビリセンター受付)


(リハビリ・センター内の設備)

こちらでは最初に主任療法士がドクターからのカルテを基にあらためて療法士の
立場で診察し療法のメニューを決めるようだ。
妻を歩かせたり、腰を曲げさせたり、足首を曲げたりといろんなポーズをさせる。


(検査する主任療法士)

妻のメニューは温パッドを15分、次に冷パッドを15分、最後に30分の
超音波を含むマッサージと決められた。

そのまま個室で治療を待つ(この項つづく)

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遊牧の民 べドウィン

2008-07-29 | ヨルダン事情・暮らし・気質
われわれのアパートの裏側に空き地があり山羊が時々散歩にくることは前述した。

その空き地に6月の半ばから遊牧の民べドウィンがやってきて生活している。
その風景が書斎からおよそ300メートル先に小さく見える。
毎年この季節になると避暑のためかやってきてテントを建てるらしい。


(書斎からズームで望むベドウィンのテント その右手は山羊用の柵)

妻と夕暮れ時に食後の散歩でその前の道路を歩いていると、ベドウィンの子供達に話しかけられた。
我々がが珍しいのであろう無邪気に盛んに話しかけてくるがアラビア語と片言の英語、
おまけに辞書を持っていなかった、
なにを言ってるのかわからない。
しかし喜んでいて興奮しているのはわかる、空手の真似をして見せたり盛んに愛嬌を振りまく。
ほうほうの体で振り切って立ち去る。

数日後、妻にベドウィンのテントに入ってお茶でもよばれようと提案。
こちらでは見知らぬ人にでもお茶をふるまう習慣があるようだ。
いやがる妻を連れて、今度は英語ーアラビア語の辞書を片手に同じ道路を歩く。

案の定子供たちが目ざとく見つけ寄ってくる。
運よく山羊とともに親父が散歩からもどってきた。
期待したとおりテントに入ってシャイ(お茶)を飲んでいけと言ってくれる。
作戦成功!

子供達は大はしゃぎ、電気のない生活、珍客は最高の娯楽かもしれない。
カメラを取り出すと大喜びでポーズをとる。


(はしゃぎまくるベドウィンの子供たち)

半畳ほどのカーペットと長い枕のようなクッションを2つ持ってきて、そこに座ることを促される。
しかし子供たちにまとわりつかれおちおち座ってる時間はなかった。
母親は買い物で留守らしい。
親父が何回も声高に子供たちに仕事をするよう怒鳴っているようだが、
子供たちは我々に興奮して一向に仕事を手伝う様子がない。
そのうち親父が「Money」と言ってくるので「No Money」と答えると後が続かなかった。
お菓子でも持ってくればよかったかなとちょっと反省。

そんな親父をおいて子供たちと遊ぶ。
山羊を連れ出して写真を撮れとせがんだり、挙句の果ては赤ん坊やロバまでひっぱり出してくる始末だ。


(子供たちと山羊 背景の真ん中が我々の住むアパート)


(赤ん坊 年齢は1歳とか)


(ロバに乗る子供たち)

かなり日も暮れてきた、長居をして仕事の邪魔をしてもいけないと思い去ることとした。
結局シャイは飲めなかった。

後日、知人にこのことを話すとベドウィンはぎりぎりの生活をしてる者も多いため、
金銭を狙われるケースもあり不用意に近づかぬようにとの忠告を受ける。

以来、近づかぬようにしているがなかなか得られない楽しい貴重な経験であった。


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インターネット

2008-07-24 | ヨルダン事情・暮らし・気質
先日従兄からうれしいメールをもらった。

私のブログ開設のメールに対しての返信であったが、
うれしかったのは私のブログのコピーをとり病床の従兄の姉に
届けてもらったことである。

従姉は昨年来入院したままでいる。
非常にお世話になり当地でも気にかけていたが、ブログのコピーという形で
こちらの近況を伝えることができるのはうれしい。
病床での多少の気分転換になればと願っている。
従姉の少しでも早い快復を祈念し、また従兄の機転、配慮に感謝している。

こちらでもインターネットの普及は広がっているようだ。
回線と携帯サービス販売を目的とした営業店が急増している。
店内は日本と同様、自動で順番をとるようになっているがお客が座る椅子はない、
客を立たせたままでの応対である。


(店内の様子)

回線のスピードは日本ほどではなく最高で2,048KBで、512KBあたりが主流のようだ。
我家も512KBのADSLを導入しており、利用料は電話基本料、プロバイダ料込みの契約で
ー月あたり38JD(5,700円)である。


(ADSL利用料 1JD=150円)

海外に住むとネットの普及により、生活の便利さが向上してるのをより実感する。
私が約20年前に米国に駐在してたころはインターネットがなく、今は亡き母との
連絡は電話かFax,それと郵便ぐらいであったが今は違う。

ネットの利用により銀行の残高照会はもちろん、振込み処理もでき
日本にいる子供達などを煩わすであろう回数はかなり減った。
株式や投信の売買もその気になればできるようだ。
Skypeに代表されるインターネット電話も子供達との会話のためよく利用させてもらっている。
画像が見れるのも親近感があり距離を感じさせない。
しかもこのサービスが無料である、国際電話の高価なことを体験している私にとっては
夢のようである。

もし米国駐在時が今のようなネット時代であれば母を煩わすことも少なく、
Skypeなどで子供たちの元気な姿を見せたり、またブログなどをとおして近況も伝えることができ、
単身で生活していた母親を少しでも慰められたのではと思うと残念である。

また最近、日本のTV、ラジオ番組を有志のご好意によりネットを通して
リアルタイムで配信しているシステムの存在を知った。
以来、サッカー、野球中継、ラジオ番組を楽しませてもらっている。
当システムはこれから始まる高校野球や北京オリンピックにおいて
絶大な威力を発揮してくれるものと期待している。

このような利用でわかるように、我家においてインターネットは従兄の好意による
従姉との間接的会話や金融取引などの実用面のみならず
我々の海外での情報格差およびストレス解消になくてはならない存在となっている。
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我が家のショッピング

2008-07-19 | ヨルダン事情・暮らし・気質
ここで我が家の買い物状況について触れたい。

アンマンには映画館を含む大型モールやショッピング・センター、スーパーなど沢山ある。
我々が日々よく利用するのは歩いて10分ほどの現地資本の外人向けスーパー「Cozmo」と
米国資本の「Safeway」である。


(夕暮れ時のCozmo 3階電化製品、2階食器など日用品 
1階衣類、化粧品、本屋、地下は食料品、薬局、酒屋など)

Cozmoでは外人向けの各種の食材が手に入り、モスラムにとって禁忌である
豚肉よりなるハムも手に入る。
また、外国人目当てであろうか月替わりで車の展示も行っている。


(Cozmoの地下 右手はベーカリー、車展示の奥は
総菜屋でアラビア料理、中華料理、お寿司などを売っている)

週一回ほどは車で10分の2つの大型モール「Mecca Mall」か「City Mall」に出かける。


(City Mallの内観)

「Mecca Mall」のほうが規模は大きい、しかし「City Mall」には仏系スーパーの「カルフール」が
出店しており品数も豊富なことから、我々は後者に行くことのほうが多い。


(カルフールの店内)

「City Mall」にはシネコン(複合の映画施設)もある。
施設内には10の劇場があり、同時に放映している。
先日、妻が久しぶりに新作の「インディアナ・ジョーンズ」を観たいというので
出かけたが、座席も広く日本の劇場より快適であった。


(シネコンのブローシャー)

封切りも5月21日と日本よりも1ヶ月早かった計算だ(日本は6月21日)
ちょっと得した気分。

ヨルダンに来て3ヶ月あまり、こんな感じで私たちはこちらの生活を楽しみ始めている。
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