球形ダイスの目

90%の空想と10%の事実

上質を知る人の

2005-11-15 | 趣味(旅行・娯楽・読書・食)
ネスカフェ・ゴールドブレンド。

さて、あれが本当に上質を知る人にとって
その欲求を余すところなく満たすのかという問題はありますが、今はそれを無視して
上質というものについて考える機会があったのでそれを書いてみようと思います。
もっと広く表現すると、本日のテーマは"金とモノと心"について。


研究室の友達が、とあることをきっかけにオメガやロレックスの時計について
調べていたのがことの始まりです。
ご存知の方も多いかと思われますが、僕の普段考えている相場より
0が1つあるいは2つ多いようなものばかり。とてもじゃないが手が出ません。

ですが彼はその中の一つが非常に気に入ったようで、
社会人になって一年働いたらこれ買えるかなぁ、なんて話をしていました。
なるほどスマートで上品なフォルムであり、若者でもおっさんになっても使える。
うまくすりゃ死ぬまで使える。ならば、50万する腕時計でも買うのかもしれない。

実際、自分が所持しているもので「死ぬまで使いたい」と自負しているものってあまりないような気がします。
昔から所持しているので個人的に価値が付加されたタイプのもの(先日なくして見つかったサイフとか)はありますが、
楽器にしても服にしても靴にしても、死ぬまで使おうという意図があって買ったものはないというのが現状です。

あえて言うなら、とある作家の全集は1冊5700円するものをわざわざ買っているので、一生モノと認めているくらいです。
それにしたって、上記したような身に付けるものに比べたら相当な安物であるといえます。
所持しているCDの愛聴盤も、そういう意味ではコストパフォーマンスに優れた「モノ」ですね。



一般的なところに話を落とし込んでいきますと、
「モノに対して心を込めるにはそれ相応の対価が必要」だということです。
それは一つには金額(先天的)。一つには、一緒に過ごした時間(後天的)。

手に入れるために必死で働くこととか、
苦労と呼べるものの中からしかそういうものが獲得できないらしい。

まぁ、それは、なんとなく、わかることでしょう。



僕は今のところあまり金銭に対して執着がありませんが(社会人になったらどうなるかわかりません)、
金銭に対して執着が強い人、あるいは物欲が強い人は、
あるいは後天的に心を込める余裕や時間がないことを感じているのかもしれません。
あるいは、ね…

最近「心をこめて」なんて言葉をめったに使わないので、なんか懐かしい気持ちです。
コメント (2)
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