さよならを言うこと

2007-10-04 01:10:55 | 日記・エッセイ・コラム

昨日、遅くに帰ってきたら、アパートの前に例の蛙が1匹、いた。

今年の夏はだいぶ会えた。
以前ブログに書いてからも、何度も遭遇しては「こんばんは、調子はどう?」なんて声かけてた。
そうそう、あの後、2匹の区別がつくようになってきたと喜んでいたんだけど、ある晩、バイクのヘッドライトに照らされた路地の先を見てびっくり。4匹も居た。。。orz 2匹だと思い込んで、見分けられるようになったなんて思ってた自分がばかばかしくておかしかった。

そんな彼らとも、気温が低くなるにつれて顔をあわせる頻度が減ってきた。
このごろは、しばらく見かけなかった。
だから、昨日会ったときはうれしかった。

よぅ。
冬眠はまだ少し先かい?
仲間は元気かい?
そろそろ会えなくなるのかい?
また来年、ぜひ会おうよ。

彼は、しゃがみこんだ牛の目の前で、何度か何かを飲み込むようなしぐさを繰り返した。
ぱくぱくと口を開ける。まばたきをする。
そのうちくるりと背中をむけて、ふくふくとわき腹を動かして、その場にたたずんだ。

確かに彼は生きている。
時に石の陰にひそみ、葉の陰に隠れ、牛の部屋のエアコンの室外機の下にもぐりこみ、バイクのすぐわきにいて牛を困らせたりする。
そしてその手足を器用に動かして、のしのしと歩み去っていく。

秋が深まって、冬になったら、彼らは土の下で眠りにつくのだろう。
春になったら、きっとまた目を覚ましてくれるにちがいない。
そうだよね?また会えるよね?きっとだよね?
なんだか妙に心配になった。

不安になるのは、時にもう2度と会えない事があるからだ。
ろくに別れも告げられずに、逝ってしまう事があるからだ。
牛父の時そうだったように、わだかまりを残してしまう事があるからだ。

今日は、牛とは面識もない人の告別式だった。
この1ヶ月、ずっとずっと祈り続けていたけれど、彼は逝ってしまった。
どんな係わりがあったわけでもなく、牛は知られるでもなく、ただただ一方通行の関係。

それでも。だから。
牛には言葉が無かった。
ただそれだけの関係で悲しむのは、何か死を美化するようで気が引けた。
牛にできるのは、彼の死を悼む人々の言葉と思いを感じることだけだった。

今年はなんだか、そんな想いをする事が多すぎる。
伝えられない別れの言葉。

だから、なぁ、蛙よ。
おまえらは来年も、ちゃんと出てきてくれよ。
地味だけど力強いその姿で、牛を迎えてくれよ。

きっとまた会うための「さよなら」なら、ちゃんと、言える。