おはりへくたりし七月ついたちころにて。わりなうあつかりしかは。相坂の関にて。しみつのもとにすゝむとて
越はては都も遠くなりぬへし関のゆふ風しはしすゝまん
(赤染衛門集~群書類従15)
秋のはしめにとこなつにつけて定基僧都母
とこ夏の花をのみゝてけふまてに秋をもしらて過しける哉
かへし
花はさは床夏にのみにほはなん人の心に秋をしらせし
(赤染衛門集~群書類従15)
七月二日、御會(ごくゎい)あり。夕月夜の比なれば、更けゆくまゝの空は、星の光ばかりなるに、靜りたる夜(よ)の氣色、長閑におもしろし。
(中務内侍日記~有朋堂文庫「平安朝日記集」)
夕月夜まだほのかなる影にだにあはれをそへて秋は来にけり
(菊葉和歌集)
みかつきのやとかるつゆのむらすすきほのめきわたるあきはきにけり
(洞院摂政家百首~日文研HPより)
みかつきののはらのつゆにやとるこそあきのひかりのはしめなりけれ
(正治初度百首~日文研HPより)
あきのいろをしらせそむとやみかつきのひかりをみかくはきのしたつゆ
(拾遺愚草~日文研HPより)
初秋露を 権大納言公蔭
秋きてはけふそ雲間に三か月の光まちとる荻のうは露
(風雅和歌集~国文学研究資料館HPより)
あきのきてつゆまたなれぬをきのはにやかてもやとるゆふつくよかな
(仙洞句題五十首~日文研HPより)
初秋月
秋の色もあるかなきかの三か月の影吹きはらふ荻のうは風
(草根集~日文研HPより)
はやくよりわらはともたちに侍ける人の、としころへて行あひたる、ほのかにて、七月十日ころ、月にきほひてかへり侍けれは 紫式部
めくり逢てみしやそれともわかぬまに雲隠にし夜はの月影
(新古今和歌集~国文学研究資料館HPより)
五日、六日の夕月夜は疾く入りて、すこし雲隠るるけしき、荻の音もやうやうあはれなるほどになりにけり。
(源氏物語・篝火~バージニア大学HPより)
いと涼しげなる遣水のほとりに、けしきことに広ごり臥したる檀の木の下に、打松おどろおどろしからぬほどに置きて、さし退きて灯したれば、御前の方は、いと涼しくをかしきほどなる光に、女の御さま見るに甲斐あり。
(源氏物語・篝火~バージニア大学HPより)
かく御物詰したまふほどに、日夕影に、なほいと七月十日ばかりのほどに、なほ暑さ盛りなり。風なども吹かずあるに、人々、「少し涼しう風も吹き出でなむ。さるは今日秋立つ日にこそあれ。しるく見ゆる風吹けや」など、上達部のたまふほどに、夕影になりゆく。めづらしき風吹き出づる時に、上かくぞ出だしたまふ。
めづらしく吹き出づる風の涼しきは今日初秋と告ぐるなるべし
とのたまふ。御息所、御簾の内なから、「げに例よりも今日は」とて、
いつとても秋の気色は見すれども風こそ今日は深く知らすれ
と聞こえたまへば、(略)
(宇津保物語~新編日本古典文学全集)
空晴れわたるままに、暑さのいとどまさりけれ。阿闍梨の、住み給へる磯辺にならべて、小さう庵(いほ)を造らせて帰り給へるに、うち寄する波は、ひまなく岩根をあらひ、日影をそふる松は汀にたちて涼しく、「吹きふる風の音(おと)は、暮れ行く空の雨にや」と、聞き紛(まが)ふにこそ。御庵(いほ)より船の出で入りけるほどなれば、「枕の下に海人(あま)の釣するためし」も思ひ出でらる。夕暮れの月に光をかへて、漁(いさ)り火の影ほのめくに、岩間の螢のあらそひ顔なるは、いとど涼しくて暑き思ひも消(け)たるるにや。
荻の葉のそよぐに驚かるれども、暑さのいと残りけるままに、所をも変へ給はず。弓張りの月に、「今宵は、二つの星のあふ夜なり」と、思し出でて、
「七夕のあはれを知らば我がために都へ渡せ鵲(かささぎ)の橋」
(松陰中納言~「中世王朝物語全集16」笠間書院)
七月十餘日ばかりの日ざかりのいみじう暑きに、起き臥し、いつしか夕涼みにもならなむと思ふほどに、やうやう暮れがたになりて、蜩(ひぐらし)のはなやかに鳴き出でたるこゑ聞きたるこそ、ものよりことにあはれにうれしけれ。
(前田家本枕草子)
七月ついたち京極にわたらせ給て。十日たゝせ給さばかりひろきゐんのうち。つゆのひまなくにようばうのつぼねにしわたし。おものやとり進物所などにさまざまあたりあたりにしゐたり。ゐんのおはしましゝにもをとらず。いたづらなるやなくかけわたし。みづのながれもこゝろゆき。いけのおもてすみわたり。まつのみどりもけさやかにみえ。いみじうおもしろくめでたし。(略)ひのおましに御いしたてゝ御ぐしあけさせ給ておはします。このよのことゝもみえさせ給はず。くれなゐの御ひとへがさねしろきをりものゝ御衣もしろきをたてまつりて。ひたいばかりあけておはします。御ありさまいみじうめでたし。(略)ほのかなるほかけなどめでたきはしるきことにぞはいらいなどいとめでたし。いけのかゞりびひまなきに。しろきとりどものあしたかにてたてるも。あしてのこゝちしておかし。はかせの命婦まいりて人びとみふたにつけ御くしあけかみあけなどする。なをいとことなることなりや。そのよのおものまいる御まかなひは。とのゝうへみやつかうまつり給。蔵人六人かみあけてまいる。にようばうはそのよはくちばのひとへがさね。きちかうのうはぎをみなへしのからきぬ。はきの裳。またの日はくれなゐのひとへがさね。をみなへしのうはぎ。はぎのからきぬ。しをにのも。またの日は。きちかうくちは。をみなへししをになどを六人づゝおりひとへかさね。やがておなじいろのをりものゝうはき。も。からきぬははへぬべきいろどもをかへつゝきたり。さまざまのふせんれうふたへもんなどこゝろごころにいとみたり。いろゆるされぬはかねしてらてんし。ゑかきぬいものなどいみじうものぐるおしきまでしつくしたり。すぢやりくちをきはかまのこはきに。かねしてぬいものにもうちはかまをしたる人もあり。そのこゝろばへあるうたをぬいものにもしたり。をとらじといとみたり。(略)
(栄花物語~国文学研究資料館HPより)
弘仁九年七月己丑(七日)
七月七日節を停止した。日照りのためである。
丙申(十四日)
使を山城国の貴布禰神社・大和国の室生の山上の竜穴等に遣わして、祈雨(あまごい)を行った。
(日本後紀~講談社学術文庫)
(永観元年七月)五日戊午。小除目。今日。於式部省有擬文章生試。題云。蟋蟀待秋吟。
(日本紀略~「新訂増補 国史大系11」)
(仁安元年七月)五日。日来天下愁旱魃。祈仏神無其験。而禎喜於神泉苑修孔雀経御読経。今日雲雷頻起。大雨忽下。仍禎喜召院御前叙法印。補東寺一長者。(超一長者任覚。)
(百錬抄~「新訂増補 国史大系11」)
(承元元年七月)五日。天陰る。少雨間々灑ぐ。大風猛烈。木を折り、屋を発す。夜大雨。昨今、心神悩む。蓬廬に臥す。
(『訓読明月記』今川文雄訳、河出書房新社)
(寛喜二年七月)七日。暁より甚雨。巳後漸く晴る。ずいぶんの文書を払はしむ。秉燭に及びて沐浴。暁、早凉あり。朔の比より萩の花已に綻ぶ。昨今漸く盛んなり。七月上旬未だ見ざる事なり。蘭又開く。河崎想社、毎年今日之を祭る。今年夢の告げと称し、偏へに近辺の下人を催し、結構し供奉すと云々。蓬屋西地に在る下部等猶駆け出さる。後に聞く、十村許りの面々、狂風流を施す。悉く前内府泉亭に入り、庭を渡る(路次と云々)。歌舞の音、耳に満つ。武家悲歎の最前、頗る思ふ所有るべきか。
(『訓読明月記』今川文雄訳、河出書房新社)
東三条院、皇太后宮と申けるとき、七月七日なでしこあはせせさせ給けり。少輔内侍、少将のおもと左右の頭にて、あまたの女房、方をわかたれたり。うすおののふたあゐ、かさねのかざみきたるわらは四人、なでしこのすはまかきて御前にまゐれり。其風流さまざまになん侍ける。左、なでしこに付たりける、
なでしこのけふはこころをかよはしていかにかすらんひこぼしの空
時のまにかすと思へど七夕にかつをしまるゝなでしこの花
すはまにたちたる鶴につけゝる、
数しらぬまさごをふめるあしたづはよはひを君にゆづるとぞみる
瑠璃のつぼに花さしたる台に、あしでにてぬい侍ける、
七夕やわきてそむらんなでしこの花のこなたは色のまされる
むしをはなちて、
松虫のしきりに声のきこゆるは千世をかさぬる心なりけり
右のなでしこのませにはひかゝりたる、いもづるの葉にかきてつけ侍る、
万代に見るともあかぬ色なれやわが籬(まがき)なるなでしこの花
すはまのこゝろばに、みづてにて、
とこなつの花もみぎはにさきぬれば秋まで色は深くみえけり
久しくもにほふべきかな秋なれど猶とこなつの花といひつゝ
たなばたまつりしたりけるかたあり。すはまのさきにみづてにて、
ちぎりけむ心ぞながき七夕のきてはうちふすとこなつの花
ぢんのいはほをたてゝ、くろはうを土にてなでしこうゑたるところに、
代々をへて色もかはらぬなでしこもけふのためにぞ匂ひましける
この歌どもは兼盛・能宣ぞつかうまつり侍ける。これをみる人びと、おのがひきひき心ごころにいひつくるとて、左の人、
かちわたりけふぞしつべき天川つねよりことにみぎはおとれば
右の人、
天川みぎはことなくまさる哉いかにしつらんかさゝぎの橋
このあそび、いと興ありてこそ侍れ。
(古今著聞集~岩波・日本古典文学大系)
七月七日、むぎはなの房中にたるまじきよし申けるをききてよめる。法眼長真、
いかなれば世にはおほかるむぎなはの一房にだにたらぬなるらん
(古今著聞集~岩波・日本古典文学大系)