6時起床、朝食もそこそこに身支度をしバスセンターへ
今回の夫の誤算は荊州から赤壁行の直通バスがあると思っていたが・・廃止されており
一旦、咸宁xianningと言う所まで行って、そこから赤壁行のバスにならなければならないのだ
中国通の夫にも咸宁は初めて聞く名前だったらしい
7:45咸宁行の小型バスに乗る
中国では大型バス以外はこの様にフロントガラスに行き先が書いてある
しかも、乗り場がはっきりしてなく、係員に尋ねても・・大概が「あっち!」と言うだけなので、戸惑うことが多い
8:00出発→10:20武漢まで50K地点→10:55軍山長江大橋を渡る→11:50咸宁バスセンタ到着
幸か不幸か発車までに10分しかなくトイレに行ってすぐに乗車
12:00出発→13:20赤壁バスセンター→13:30乗換バス発車→14:20赤壁古鎮到着
車中、私たちの後ろの席で二人の男性が赤壁の話をしている
暫くして夫も加わり話が弾む
親しくなった男性と一緒に観光することに
折よく白タクを掴まえ(一人2元とのことで合計6元) 男性が私たちを気遣って「我请客!私のおごり!」
案内図を見ると・・・とても広~い(全部歩いて回れるだろうか!?)
私たちは老人割引で半額で入場(75元)
中に入ると・・自然が一杯、観光客もまばらでここは空気が違って感じる
観光順路は一方通行になっているようで・・鐘鼓楼を上って行く
孫子の兵法〝36計”を表示してある階段を上る
「36計逃げるに如かず」 「鉄は熱いうちに打て」 「苦肉の策」等・・・知っている言葉があって、面白い
歩き回って少々お疲れの夫・・・劉備、関羽、張飛の像の前で一休み・・・とっても嬉しそう!
この周瑜の像まで来ると赤壁は近いらしい
やっと辿りつきました! 夫の少年時代からの夢が叶いました!
赤壁までは急な石段を降りなければならないので、私は此処で待っていようかと思ったけれど
ここまで来て赤壁を見ないで帰ると後で後悔するだろうと、思い切って下まで降りて行った
赤壁の戦いとは
中国、後漢末期の208年、曹操と、孫権・劉備の連合軍とが湖北省嘉魚県の西にあたる赤壁で行った戦い。袁紹を討って華北の平定に成功した曹操は、208年丞相となり、南下して劉表の領土になっていた荊州を攻めた。劉表の子は曹操に降り、表の客分であった劉備は、いったん南に逃れたが、諸葛亮(孔明)の活躍で孫権との同盟に成功した。孫権の部下のなかには曹操に降伏しようと説く者もあったが、周瑜、魯肅が孫権に、劉備と同盟して荊州を占領することを勧めたのである。孫権の武将黄蓋(こうがい)は火攻めの計を案出し、鎖でつないだ曹操の軍艦に火をかけ焼き払った。そして陸に逃げた曹操の軍は関羽の軍に破られ、さらに疫病も流行していたので曹操は北に帰り、天下三分のもとがつくられた。
昔書かれたものだろうか
赤壁を見てしまうと後はどうでもよいようなもので・・時間も迫ってきたので駆け足で出口へと向かう
最後は疲れた私を気遣って私のリュックを持ってくれる夫
しかし、いつも時間との戦いで・・・最後までゆっくり観光できないのが残念!
夜8時から始まる表演を観てから帰ると言う男性と馬場で別れたが・・とても誠実な気持ちの良い青年だった
広州周辺でホテルマンをしていると言っていたが・・・これからの生活が幸せで有りますように
万事如意!
予定ではこの日武漢に戻って市内観光をする事になっていたが・・到底観光は出来ないだろう
とにかく今日の内に武漢まで戻りたいのでバスセンターまで行くことにする
重い足を引きずりながら歩いていると・・・運よくタクシーが来たので止める
運転手さんの話だと・・赤壁から古鎮まで客を乗せて来たけれど、空では帰れないので、古戦場まで行けば
客が居るかもしれないとこちらに向かって来たそうだ
夫が赤壁バスセンターまで行きたいと交渉すると80元でよいと言う
バスセンターまで行くバスがあるかどうかも分からない(中国にはバスの時刻表が無い)ので即OK
彼はとても陽気な話好きな人で大声でいろんな事を教えてくれる
「赤壁からのバスはもうないだろうから汽車で帰りなさい!」と勧めてくれ、
丁度、交代時間にかかっていたにも関わらず赤壁駅まで行ってくれると言う
彼は退役軍人で25年間西蔵(チベット)で働いていたらしい
中国で旅行は何処がお勧めかと聞くと・・・新疆xinjiangだと言う
よく話を聞いてみると新疆は彼の故郷なのだ
景色も良くて、素晴らしい所だと力説する彼に・・・「では、機会があれば必ず行ってみる!」と約束をする
時間が来ても戻ってこない彼に、相棒から電話があって・・・途中でその相棒さんを拾って駅に急ぐ
普通だとこういうことも有り得ない事なのだが、彼の人柄だろう
旅行中には時々面白いタクシーの運転手に会う事がある
この彼は特別面白かった・・・いろいろありがとう! 祝你工作顺利!(お仕事が上手く行きますように)
駅まで走る間にこの様なトラックが列を連ねて走っている(何台いただろう)
車の大きさの割に積み荷が凄い・・・藁か葦のようなもので重量は軽いのだろうが
運転手さんにこれはどうするのかと尋ねると・・・工場に運んで紙を作るのだそうだ
18:15 赤壁駅に到着
心配していた切符も手に入るが、指定席は1枚しかない
仕方なく夫が立ち(別車輌)、私が座らせてもらった
私の周りの席には若い男性たちが座っていて・・・話しかけてくる
彼等は出張帰りや旅行帰りの人たちで友人ではなさそうだったがいろんな話をしていた
私にも何処に行ったのか? 中国ではどこがよかったか? など色んな質問をしてくるが
一切を夫任せで、ついて行くだけなので・・地名などは直ぐに忘れてしまう
急遽、電話で夫を呼び、彼らに話してもらうが
もっと、中国の地理や歴史を勉強しておかないと内容のある会話は出来ないと反省した
18:32発赤壁の列車は20:00に武昌wuchangに到着、辺りはもう暗くなっている
取り敢えずは、駅周辺のホテルを探しチェックインする
今日はたくさんの出会いがあって楽しい一日だった
一緒に赤壁古戦場を観光した青年、親切な運転手さん、赤壁からの列車内でであった青年たち・・・
ありがとう! きっと何時か、何処かで・・・
三国志、お好きなのですね。
我が夫は少年時代からのファンで素晴らしい知識を持っています
それで、少しでもゆかりの地を見つけると
行きたくなってしまうのです
中国も経済発展で観光地が次々に綺麗になっていますよ
綺麗なトイレができて嬉しいです
素晴らしい経験を分かち合って下さり感謝してます!
若い時は夫は仕事人間で、家の事は一切私任せでした。
お蔭で私も好きなようにやらせてもらいましたが・・
夫婦は夫が退職してからが勝負だと思っていました。
退職後、二人で中国で生活できて好かったと思います
歳を取ると、お互いに助け合い、支え合っていかなければ
上手くことが運ばなくなってくるのですよ。
夫が細かなことにこだわらない性格なので助かっています。
今はお互いに「お前百までわしゃ九九まで・・」と言い合っています(笑)
それでこそこのように仲の良い夫婦になるんでしょうね。私たちも見習いたいと思います。私が我が強くていけませんが。