十八史略を読むⅡ-54 楚漢の戦い-項羽と劉邦-26 紀信が身代わりとなり劉邦脱出
「十八史略Ⅱ 権力の構図:徳間書店、市川宏、竹内良雄訳、1986年12月七刷」から
すでに、「けい陽」への糧道は絶たれ、ついに食糧の蓄えは全く尽きた。楚の包囲網がじりじりと迫ってきた。
将軍の紀信(きしん)が、漢王の劉邦に進言した。
「とても支えきれぬかと存じます。「詭計により楚軍をあざむいて脱出を計るほか、道はございますまい」
手はずを整えるや、紀信は漢王専用の車に乗り、東門から外へ出た。まわりのものが叫ぶ。
「城中の食糧も尽きた。漢王は降伏するぞ」
楚の兵士たちは、漢王の降伏場面を見物しようと、われもわれもと東門に急いだ。
この隙に、漢王は西門から逃げ出した。しばらくして、項羽はだまされたと気づき、怒り狂って紀信を殺した。
漢王は成皐(せいこう)でようやく陣を立て直した。
項羽は西進してこれを包囲した。漢王は再び脱出、北へ向かって黄河を渡り、早朝、趙城に逃げ込んで、韓信の軍の指揮権を手中におさめた。さっそく、韓信に趙の兵を集めさせ、斉攻撃の命令を下した。
「わが軍は“けい陽城”を攻略し、倉の食糧を手に入れ、成皐の守りを固めるべきだと思います」
漢王は同意した。
*韓信は漢王陣営の一員であり、「けい陽」の漢王に物資を補給していた。手下の所に逃げ込んだのだから、大歓迎されようなものだが、乱世の君臣関係など、あってなきがごときもの。韓信にしても、実は趙を独立王国として自らの勢力を温存しつつ、楚漢決戦の成り行きの様子をうかがっていた。従って、命からがら漢王が逃げてきても、これに忠誠を尽くすとも限らない。漢王はそれを見越して、偽って趙城に入り、兵符(軍隊を動かすときに用いる割符でこれがなければ、自分の配下の軍隊といえども動かすことはできない)を奪って指揮権を握るという非常手段に出たのである。これが韓信側にあったのでは勿怪の幸いとばかりクーデターさえ起こされかねなかったのである。
「十八史略Ⅱ 権力の構図:徳間書店、市川宏、竹内良雄訳、1986年12月七刷」から
すでに、「けい陽」への糧道は絶たれ、ついに食糧の蓄えは全く尽きた。楚の包囲網がじりじりと迫ってきた。
将軍の紀信(きしん)が、漢王の劉邦に進言した。
「とても支えきれぬかと存じます。「詭計により楚軍をあざむいて脱出を計るほか、道はございますまい」
手はずを整えるや、紀信は漢王専用の車に乗り、東門から外へ出た。まわりのものが叫ぶ。
「城中の食糧も尽きた。漢王は降伏するぞ」
楚の兵士たちは、漢王の降伏場面を見物しようと、われもわれもと東門に急いだ。
この隙に、漢王は西門から逃げ出した。しばらくして、項羽はだまされたと気づき、怒り狂って紀信を殺した。
漢王は成皐(せいこう)でようやく陣を立て直した。
項羽は西進してこれを包囲した。漢王は再び脱出、北へ向かって黄河を渡り、早朝、趙城に逃げ込んで、韓信の軍の指揮権を手中におさめた。さっそく、韓信に趙の兵を集めさせ、斉攻撃の命令を下した。
「わが軍は“けい陽城”を攻略し、倉の食糧を手に入れ、成皐の守りを固めるべきだと思います」
漢王は同意した。
*韓信は漢王陣営の一員であり、「けい陽」の漢王に物資を補給していた。手下の所に逃げ込んだのだから、大歓迎されようなものだが、乱世の君臣関係など、あってなきがごときもの。韓信にしても、実は趙を独立王国として自らの勢力を温存しつつ、楚漢決戦の成り行きの様子をうかがっていた。従って、命からがら漢王が逃げてきても、これに忠誠を尽くすとも限らない。漢王はそれを見越して、偽って趙城に入り、兵符(軍隊を動かすときに用いる割符でこれがなければ、自分の配下の軍隊といえども動かすことはできない)を奪って指揮権を握るという非常手段に出たのである。これが韓信側にあったのでは勿怪の幸いとばかりクーデターさえ起こされかねなかったのである。