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宣帝の治政

2006-01-06 18:24:13 | 十八史略を読む Ⅱ
十八史略を読むⅡ-139 宣帝の治政

「十八史略Ⅱ 権力の構図:徳間書店、市川宏、竹内良雄訳、1986年12月七刷」から

宣帝は紀元前49年に在位期間25年で世を去った。武帝時代の華やかさはないものの、漢の最盛期であったと見ることもできる。

宣帝の生い立ち:青年期まで民間で育ったため、民間の苦しみに通じていた。

即位後の内政:「人民が安心して働き、ため息や恨み声を漏らさないならば、政治に不平等がなく、裁判に不公平がない証拠だ。こういう政治を実現するために、わしが頼みとするのは、賢明なる地方長官をおいて他にない」と言って、地方長官を重視し、功績ありと認めれば、そのたびに詔書をもって激励し、一層の努力を促した上に黄金を賜るなどした。中央政府の高官に欠員が生じたときには、かつて表彰した地方長官から抜擢した。さらには信賞必罰主義でのぞみ、公正的確に成績を評価した。そのため、役人はその職責を忠実に果たし、人民もその本業にいそしんだ。

外交:ちょうど匈奴に混乱が起きて分裂した時期であったが、宣帝は分立した諸族のうち、再建の見込みのないものは討伐し、存立の見込みのあるものを保護した。単于は宣帝の恩恵を受け漢の臣下になった。

宣帝の功績:上は遠く祖宗にまで、末は後世の子孫にまで光り輝くものであった。中興の祖として、殷の高宗、周の宣王に比肩しうる徳を備えていたと言えよう。

太子が帝位を継いだ。これが孝元皇帝(略して元帝)である。

*宣帝が現代に生まれたならきっと名政治家、名経営者になっているであろう。



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