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中国代表的美女の王昭君匈奴に嫁ぐ

2006-01-07 19:19:22 | 十八史略を読む Ⅱ
十八史略を読むⅡ-144 王昭君匈奴に嫁ぐ

「十八史略Ⅱ 権力の構図:徳間書店、市川宏、竹内良雄訳、1986年12月七刷」から

元帝の時代は、儒教官僚が進出する一方、王顕(おうけん)が中書令として実権を握り、漢の衰亡を一歩進めた時代といえよう。だが、北方の匈奴にも、往年の力がなかった。

元帝即位後13年の健昭三年、西域取締り副官の陳陽が、勅命と詐って出兵し、都護の甘延寿とともに、康呂の“しつ支単于(ぜんう)”を攻撃し斬殺した。

四年春、単于の首が都に送られてきた。この首は10日間、外国人居留地にさらされた。

竟寧(きょうねい)元年呼韓邪単于(こかんやぜんう)が来朝した。漢の皇女を妻にしたいという。元帝は後宮の中から王しょう、字は昭君という女性を選んで、皇女という名目で単于に与えた。

* 後宮には多くの女性がいる。皇帝は一人一人の女性を覚えてはいられない。そこで夜ごとの美女を選ぶために、後宮の女性の肖像画を画工に描かせていた。女性たちは少しでも美しく描いて貰うために画工に賄賂を送るのが常であったが王昭君は賄賂を送らなかった。ために王昭君はひどい醜女に描かれてしまった。帝は図鑑をめくってどれを選ぶか探したが美女を送るのは惜しいので、なるべく醜い女性を選んだ。それが王昭君だったわけであるが、元帝はあとで実物を見て悔しがったという。無理もない中国の4大美女と言われる王昭君だったわけだから。彼女は匈奴に嫁ぎ、幸せな人生を送ったという。彼女はいつ帝のお側によばれるかわからぬままに、一生を後宮で朽ち果てるよりも、匈奴に嫁ぎ愛され、子供を設けた方が良かったと言えるだろう。



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