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宦官の台頭

2006-01-06 18:26:46 | 十八史略を読む Ⅱ
十八史略を読むⅡ-141 宦官の台頭

「十八史略Ⅱ 権力の構図:徳間書店、市川宏、竹内良雄訳、1986年12月七刷」から

独裁君主制の下では、君主が暗愚だと、補佐役に誰がつくかで政治的地図ががらりと変わる。優位に立つのは、常に君主のそばにいる者。まず第一が妃とそれに繋がる外戚。第二が宦官であろう。

元帝の時代には、この宦官が外戚と手を結んだ強力な補佐役が出現したのである。

中書令の弘恭(こうきょう)と僕射(ぼくや:丞相職の一つ)の石顕(せきけん)は、すでに宣帝の時代から、政治の中枢を握っていた。続いて元帝が即位したが、とかく病気がちだったために、石顕に政務を代行させるようになっていた。

宦官は生殖能力を持たず、姻戚関係を生じないことから、政務を任せても、害はあるまいと考えたのである。

それからというもの、ことの大小を問わずすべて石顕を経由して元帝の裁決を仰ぐことになった。元帝の信頼は石顕一人に集中した感があり、官吏という官吏は石顕に頭が上がらなくなった。

石顕は実に頭が良く回る男で、元帝の意中を細かな点まで読みとることができた。しかも性格は陰険と来ており、詭弁を弄して人を中傷する。彼は外戚の史高(しこう)とはツーカーの関係にあった。

蕭望之(しょうぼうし)らは、外戚の許延寿(きょえんじゅ)、史高の放縦ぶり、および弘恭と石顕の権力専横を目に余るとして、元帝に上書した。

「中書令は政治の根本であり、国家の重要なことを取り扱う職です。それ故この職には事理に通じ、公明正大なる人物が必要とされます。確かに武帝は中書令に宦官を登用されましたが、これはあくまで大奥での酒宴の相手をさせるためでありました。宦官を中書令に採用するというのは決して古来の制度ではございません。死刑に継ぐ厳しい宮刑を受けた前科者(宦官のこと)は近づけぬと言うのが、古来、為政者の心得でございます。古来の道に従われますよう」

しかし、元帝にはこの意見を受け入れる力もなかった。



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