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福岡県宗像市在住、井上正文のブログです。

地域コミュニティの大切さ

2006年03月22日 | 災害ボランティア
昨日21日、「福岡県防災とボランティアの集い」に参加してきました。災害ボランティアについては、前もこのブログで書いておりますので、説明は省略しますが、昨日のパネルディスカッションで、大変興味深いお話を聞くことができましので紹介させていただきます。

パネルディスカッション「震災から1年、災害に強い地域をめざして」

パネリスト紹介:大崎信昭氏(大名校区自治連合会会長・大名校区防災会会長)

2005年3月20日(福岡西方沖地震発生日)は、大名小学校に避難所を開設し、大名校区対策本部を設置した。同校区では、2004年12月に住民や商店主らが同校区防災会を設立。1月17日、大名小学校で初めての防災訓練を行い、その際、住民らには災害時には同小へ避難するよう呼びかけていた。避難場所として近くに警固公園もあるが、名前が知られているので買い物客らが集まりやすい。校区内の住民の避難場所を区別し、安否の確認などをしやすくするのが狙いだった。福岡県西方沖地震が発生した3月20日。公園には予想通り買い物客らが殺到。一方、校区内で避難した住民らの約3分の2が同小に集まったという。

大崎信昭氏(大名校区自治連合会会長)の体験談より
10:53
3月20日はお彼岸で、墓参りが終わった途端に地震発生。部屋の中はめちゃくちゃ、家は大名小学校の隣にあり、すでに小学校のグラウンドに避難している人がいた。大名小のグラウンドに行ってみると、隣接する西鉄グランドホテルで挙式予定だった花婿花嫁さん3組と披露宴に出席予定の関係者もいた。その中に地域の人々が少しずつ集まっている状況だった。
11:20
防災部長や町内会長さんが集まる。大名校区は2004年12月に自主防災組織を設立し、2005年1月17日(地震発生の2ヶ月前)に総合訓練を行っていた。これは地震を想定した防災訓練ではなかったが、この時に細かい役割分担も決めており、これが非常に役立った。
13:00
ホテルでの披露宴が中止になったため、その料理が次々と運ばれてくる。最後はデザートとコーヒーまで出た。何かあるといけないと、体育館に入らず外で待機していたが、どんどん寒くなり体育館を開放した。名簿が手元に無いので、PTAにお願いして、それぞれ来た方に名前を書いてもらい名簿を作成。緊急時のための名簿はぜひ必要と実感した。個人情報保護の問題もあるが、せめて高齢者の名簿だけでも知らせてほしいと思った。避難所はホテルの利用者も一緒で、鹿児島や大阪、東京の人もあり、一時避難なので大名の人だけでなく警固や赤坂校区の人もいた。
18:00
学校から借りたテレビとストーブを設置。防災部長さんに行政との対応をお願いしたが、毛布は来ない、食事も来ない(ホテルから食事の差し入れがあったとの情報が行政に伝わっていたため、後回しになったらしいです)。
19:00
PTAや女性協議会にお願いして炊き出しをしてもらう(隣の警固校区では毎年夏祭りなどで炊き出しをやっており、それが役立ったそうです)。
23:00
行政からの弁当や毛布がやっと届いた。最終的には250名が避難所に集まっていた。

大名校区では公民館が避難所になっていますが、これに病院を入れていただきたいと思っています。高齢者の方はそれぞれ病院にかかっていますので、その病院に避難できれば病気があっても診ていただけます。それから避難所にペットの持込みがあります。特に高齢者の方はペットが家族の一員で、表に置いてくださいとお願いしてもだめです。これも何らかの対応が必要かと思います。
以上、大崎自治会会長の体験談でした。
地震発生の2ヶ月前に防災訓練を実施していたことが大変役立ったようです。
地域コミュニティの連携を活かすことが大切であるというお話でした。

小学校校区という地域コミュニティを見直し、防災に向けた住民の連携(互助の精神)を、平時より確立しておく必要があると感じました。

この後も、各パネリストから様々な体験談や提言がありましたが、また次の機会に紹介させていただきます。

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