近鉄デ45、デ46の2両の電気機関車は、員弁川砂利採取線からの貨物輸送を主目的とした北勢鉄道20形
電気機関車として、1931年2月に名古屋の日本車輌製造本店で製造された。
その後三重交通への合併時に、71型71,72、1965年近鉄合併時にデ45、46に改番されている。
以下の写真は、近鉄時代のもの。なお、当初は2両とも北勢線所属だったが、1959年に72(デ46)が
三重線(現在の内部・八王子線の他に湯ノ山線も特殊狭軌線区だった)に転属となり、晩年は内部で見かける
ことが多かった。
北大社検車区の側線で休む、デ45 手前の車両は、三岐鉄道北勢線の今も健在な、270形電車。
内部の庫で休む、デ46 過去何度か訪問しているが、動いた痕跡はなく、単に留置してあるのみ。
湯ノ山線がナローだったころは、このように付随車を引いて走る姿も見られたはず。
(35mmネガフイルムをスキャナにて取り込み、撮影日時は残念ながら不詳)
電気機関車として、1931年2月に名古屋の日本車輌製造本店で製造された。
その後三重交通への合併時に、71型71,72、1965年近鉄合併時にデ45、46に改番されている。
以下の写真は、近鉄時代のもの。なお、当初は2両とも北勢線所属だったが、1959年に72(デ46)が
三重線(現在の内部・八王子線の他に湯ノ山線も特殊狭軌線区だった)に転属となり、晩年は内部で見かける
ことが多かった。
北大社検車区の側線で休む、デ45 手前の車両は、三岐鉄道北勢線の今も健在な、270形電車。
内部の庫で休む、デ46 過去何度か訪問しているが、動いた痕跡はなく、単に留置してあるのみ。
湯ノ山線がナローだったころは、このように付随車を引いて走る姿も見られたはず。
(35mmネガフイルムをスキャナにて取り込み、撮影日時は残念ながら不詳)