人様はどうかは知らないが私は辛いときは朗らかにしていても心の中は嵐が吹きまくっている。ですから辛いと分かる人の話されることには出来る限り傾聴に努めるし言葉にも気を付けるように心がけるようにしている。
新聞とかラジオもそうだろうが相談員と称する方がクライエントの相談に
いかにも分かったような顔をして自分の持論を蕩々と諭されるのを見聞きすると「あんた何処まで分かって居るというの」と思って「そうではないでしょう」と独り言を言うことがある。
確かに強く言って心を奮い立たすというやり方もあるとは思うが
悶々としてよりどころとして相談されたらもう少しクライエントの
心に寄り添って上げられないものかと思う。
<この私だって痛く辛いなあ>と思って居るときに「春になれば良くなると
か元気出すまっし」とよく言われる。<私の病気の根本を知っているのかいね。お医者さまでさえこりゃ痛いやろう>とは同情してくれても
薬は変わらない。注射1本してくれない。
薬はこれ以上出せないのだと思う。私の体、病気、薬の量、など分かって居る先生が言われるのではなく何にも知らない者が安易に判断して軽率に言ってほしくない。
言わんや公共の電波や紙面を使って軽々に持論を言うのはどうかと
その人の人間性を疑う。又、もっと勉強もしてほしい。
先日原稿用紙3枚を頂き何か書いて欲しいと言われた。何かと言われても掲載する紙面にならそれに沿ったものを書かなければと思って書き始めたが、10年あまりは私にとって心の修行の年月だったと思う。
私の口からは一言も言っていないがある程度関わっておられた方、
それに近い所におられた方は知っておられたようだ。
「よく我慢する」と言われたことや「何ともない?」と言って下さる方もおられたがそれでも私は黙っていた。そんな私にその会の立ち上がりを書くことが今頃廻ってくるとは思わないから出来るだけ忘れようと努力し気にしていては診療内科のお世話にならなければならないからと、忘れることに努力していた者がその頃のことを書こうと思ったら、です。ではなく思います。他人の悪口に近いことは大勢の方が見られる物にありのままはかけるものではない。たかだか1000字ほどのものに大変な気使いをした。
忘れていたことなのにその後1週間あまり眠れなかった。
今の方が体が弱っているせいか、精神的に堪えている。
18年間カウンセリングのボランティアをした。ある先生に真面目に取り組めば組むほど身体を痛めるからと言われたがでも私はあれで心の勉強、や傾聴など随分と学ばせてもらったと思って居る。これは私の財産だと思って居る。
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分かったようなことは言えません。