二年前の今朝、8時にスッポンポンでベットに載せられ手術室に運ばれ
帰ってきたのが夕方の6時を廻っていた。頭の両脇に5K の錘を当て首を
固定されていた。
妹に1週間看病に来てもらったのだが、導尿がうまくいっていなくて
辛かったこと横になれなくて辛かったことなどそんなに辛い思いを
してした手術は何だったのかなと思うが、人間何時の場合も
今が1番辛いと思うのだと思う。特にひろのこと手術をしてもしなくても
口説いているのかもしれないと思っている。
いずれにしてもこの体と死を迎えるまでお付き合いして行かなければ
ならない。
3月に心不全をして9月にペースメーカを入れなければ、
社会生活どころか次に痙攣を起こして倒れたら(線が切れてらたら)
西の方へとお旅立ちとのことで今となっては頸髄の方はMRIは撮れないので
あとは何が起きてもなるようにしかならな、終末を苦しまないようにとだけ
願っている。
2倍半あった心臓が1倍ちょっとに小さくなったので無理をしなければ
もう暫く生きられるのかなあと思っている。
帰ってきたのが夕方の6時を廻っていた。頭の両脇に5K の錘を当て首を
固定されていた。
妹に1週間看病に来てもらったのだが、導尿がうまくいっていなくて
辛かったこと横になれなくて辛かったことなどそんなに辛い思いを
してした手術は何だったのかなと思うが、人間何時の場合も
今が1番辛いと思うのだと思う。特にひろのこと手術をしてもしなくても
口説いているのかもしれないと思っている。
いずれにしてもこの体と死を迎えるまでお付き合いして行かなければ
ならない。
3月に心不全をして9月にペースメーカを入れなければ、
社会生活どころか次に痙攣を起こして倒れたら(線が切れてらたら)
西の方へとお旅立ちとのことで今となっては頸髄の方はMRIは撮れないので
あとは何が起きてもなるようにしかならな、終末を苦しまないようにとだけ
願っている。
2倍半あった心臓が1倍ちょっとに小さくなったので無理をしなければ
もう暫く生きられるのかなあと思っている。