みやちゃん日記

気侭に書き込みます。

みすぼらしい庭の花

2005年10月28日 | Weblog
昨日病院に出かける前にたった一つ咲いていた花(名前は忘却)

病院は一応いろいろ検査したがあれって私は脳梗塞だったわけではないので何とか動くのです。 

痺れがひどいため物がつまめないとか神経の圧迫で指が見ていないと下着を上げようとした時、指がひっかかって上がらないとか、膝から下が痺れていて立っているのが辛いとかふらつくとかの問題なのに・・・・

まあいいかーなるようにしかならないのだから・・・・

夫とグラウンドゴルフ

2005年10月26日 | Weblog
70歳で会社を次の方に交代してもらって家にいるようになった時、町会の仲間の方が「みーさん、これから暇になるのだからグラウンドゴルフの会を立ち上げてお世話をして欲しいと言われて、「畝田西町会グラウンド愛好会」なるものを立ち上げ4年間お世話をさせてもらっています。3~4月頃から毎月試合をしているが昨日から1泊で志賀町のいこいの村で今年の納会がありました。夫は優勝したとかで大きな優勝カップを持ち帰ってきました。
大きな箱が来春まで家にいるようです。
副賞が蜜柑1箱、ホールインワン賞や何かでいろいろ いただいてきました。
きょうまでは元気なので商品はどうでもいいが、皆さんと行動できることはとても幸せなことだと思います。
私のように一人歩きの出来ないものにとってはうらやましい限りです。
明日は浅ノ川病院、どうなることやら・・・・

きょうはがんばりました。

2005年10月25日 | Weblog
健常者なら当たり前のことですが、私としてはいっぱいやったなと思うのです。
先ず掃除機を半分かけ、昼用に卵巻きを作りおみおつゆを作っておいて
それから内科クリニックへ薬を貰いにその後銀行、郵便局、信用金庫、スーパーで
キャベツ、お酒(料理用)コロッケ、ほうれん草、きゅうり、カレー(魚)味付け海苔、豆腐、を買って引きずるようにして自転車に積んで帰りました。
トイレットペーパーも欲しかったのですがこれは明日です。
昨夜夫の鼾で1時半から眠れなくて掛け布団を抱えて洋間で寝ました。
ソファーでは眠れなくてお昼寝をしました。
今夜は夫がお泊りなので今から夕食の用意にかかります。ハイ

         

一人でバスで病院へ

2005年10月24日 | Weblog
水曜日か通院の日だがその日も夫は前の日からいないのでそれならきょうにしょうと思って(きょうも夫は不都合)9:20分の県庁廻り駅西口というバスに乗った
そのまま浅ノ川まで乗換えて行けたらよかったのに、それがバスに乗ってお金を出そうとポシェットを見たらないのである。乗るときに方から滑り落ちたのかと見に行ったが無い!丁度信号が赤で止まったのでどうもバス停で落として来たみたいなので降ろしてくださいと言って降ろしてもらってようやく歩いているものが150メーターぐらいを戻って、いたらベンチの上に待っていてくれた。
きょうにかきって4万円ほど入っていた。それは亡くなっても仕方ないが、保険証やエム座のゴーデンカードが入っていたので無くなったらどうしょうと思っていたが、何と運の良かったことに感謝しながらきょうはたすきがけにして薬の袋はその紐に結び付けて恥じも外聞も無く担いで帰ってきた。
やれ やれ・・・        

今年初めて参加

2005年10月23日 | Weblog
3ヶ月に1回の会合なので昨年入院の前に出席したきり1年間欠席で会費も納めていなくて気になっていたのできょうは行こうと思っていた。朝のうちは晴れていたので良かったと思っていたのに帰りは大雨になった。  
でも出席できてよかったと思っている。
どうしているかと噂しておられる所へ入っていったので、良かったよかったと私ぐらいを歓迎してくださった。   
何の手助けも出来ない私だが、今度も待っているからねと言っていただいて、それより皆さんのお顔を見ることが出来てよかったと思っている。
バスは文化ホールに民舞の発表会とかで日曜日なのに凄く込んでいたが、お知り合いの方が席を取ってくださって座って帰ることが出来たが、ようやく ようやく帰ってこられたと周りの人々に感謝している。  

ドウダンの紅葉

2005年10月22日 | Weblog
昨日、美容院へ行く途中にドウダンが少し色づき始めていた。
本当は外環状線の橋を渡ったところにコスモスが、きれいに咲いていたと夫から聞いていたので帰りにそれを写して来ようと思って、デジカメを持って出かけたのでもう少し早いとは思ったが写してきた。
この頃日の暮れるのが早いのでコスモスは写せなかったが・・・

ホトトギス

2005年10月21日 | Weblog
昨日撮ったホトトギスです。
今年は咲かないと思っていたのにきれいに咲いてくれました。
私は枝物はさつきでも椿でもうまく付くのですが、
何回植えてもいつの間にか消えていくのに
今度は植え付いて、しかも花まで咲いてくれました。
うれしいです。    

ホトトギス

2005年10月20日 | Weblog
私はこのホトトギスの花の名前を覚えるのにどれだけかかったことか?
覚えても又スーッと言葉にならないのである。
「エーと紫式部・?えーとなんだっけ?」向かいの奥さんと「何だっけね」
その方も花が好きで勿論ホトトギスを持っておられるのに出てこない。
私は百人一首の読みで覚えているので何かの拍子に「そうそう、ほととぎす」
「ああそーや そーや」でいつも大笑い!
最後は「花の名前も出なくなったね もうお終いや」と大笑いで終る。
他の花は何とか覚えるのにどうしてか自分でも不思議である。
そのホトトギスがきれいに咲いてくれたきょうは友人が
午前、午後と見えて写真の処理が出来なくて明日明日と明日回しになる。
                      

妹(小姑)の死

2005年10月18日 | Weblog
金曜日に見舞った妹がとうとうお浄土へのたびに付いたと今朝電話が入った。
辛かったことだと思う。「もうわからんのやけど」
というけどそうではないと思う。聞こえていても話せないだけだと思う。
時間差はあるにしても友人が遊びに来られることになっていたので電話する1人の方には朝のうちに来ていただく。午後の方は友人を誘ってきてくださることになっていたのに申し訳なかったが、この次にしていただいた。
脳梗塞で入院したのがもう20年ぐらいたつかと思う。長女が結婚する前だった。
その時は良くなってリハビリに編み物をしているといっていたが、その後又倒れて
それからでももう10年近くになると思うが、言語障害もあり辛い人生だったことだろうと気持ちを思うと涙が出る。夫の兄弟 しまいは6人いるが、この47年の間に姑、小姑にいやな感情を抱いたことは1度も無い。それだけいい人たちなのだ。
姑は93歳まで生きたが、私は本人に向って「おばあちゃん」といったことは1度も無い。学があるわけではないが、人としていやなことを1度もいわれたことが無い。私は姑のような立派な人では生きられないと思うが、尊敬はしている。そんな母親の子だから生きている小姑もだが、亡くなった妹に対しても実の妹が亡くなったほどに悲しい。何にも世間知らずでお嫁入りした人だったが親戚付き合いなど子どもには常識を教えて育てるような人だった。仲の良かった妻思いの連れ合いのところでこれから安らかにと思っている。

父のオト忌

2005年10月16日 | Weblog
本当の法事は祖父の50回忌が伸びているので多分来年あたり行われるのだろうと思うが、取り敢えず子どもだけ寄って外に出ていた弟の13回忌のお経も母が上げて欲しいとのことで、大経と観無量寿経と長いお経の後、法事なのに楽しいも無いもんだと思うが、でも姉妹が一緒に集まることが中々出来ないので
わいわいがやがやで済ませてきた。

私をかしらに体調の悪い子もいてそんな話なのだが
それでも会えたことを喜んで帰ってきた。
住職の法事は寺族が務めるのではないので家族だけでオト忌を勤めたのである。
88歳になった母に対しても親孝行の真似事が出来たことが良かったと思っている。