みやちゃん日記

気侭に書き込みます。

西瓜をいただく

2007年07月31日 | Weblog
 今朝は5時から眠れず横になっていた。
6時きっかりに電話がなり慌てて出たら
妹からで西瓜を取りに来ないかとのこと
7時半に出かける。
もう蔓をまくって大根を植える用意のため
出荷しない西瓜をいただいたので朝の
涼しいうちに取りに来いというのだ。
車に乗るだけ貰ってきた。 
近所中に配り友人にも取りに着てと電話する。
中身の保証はないが今年は3個買ったのが
余り甘くなかったのでそれよりは良いかなあと
思っている。
帰り妹の所によって5~6個置きもう1人の
妹には取りに来てもらった。
大分かたずいたが冷蔵庫は満杯なので
消化するのに少し頑張らなければならない。
自分で配って歩けたら良いのだがそれが
出来ないので情けない。
今年もお陰さまでお腹いっぱいいただける。
感謝感謝    

友人のHPを拝見。

2007年07月29日 | Weblog

今日は予定していたのでゆっくり
友人のHPを拝見しました。

引き籠りのひろは外国旅行をきょう
1日で
いってきました。
まだ続きが有るのでそのうちに又・・・・

やっておくべきことはまだ有りますが、
近いうちに片付けて
置く心算です。

ひろが出かけていけたならヌエックに
行ってワークショップをするため
連れて行ってくださいましたが
あそこは歩く所が多くとてもじゃないが
無理だと思うので残念!
でもいろいろなことに参加したので思い出
だけは懐かしく思い出しています。

民生委員の全国大会には県民児協から
青森県まで、日本女性会議には北九州まで、
民生委員の研修には石川県から山中町の
民生委員の方と2人、で静岡の
富士やホテルでこれは朝の9時から
夜10時ごろまで、(2日間)
何を勉強したのか頭がぐちゃぐちゃになり
後日、レポートを纏めるのに苦労しまた。

ボランティアの全国大会は長野でしたが
その時の晩餐会は中華であの時の桃の形を
したお饅頭が今も鮮明に覚えています。
(勉強に行ったのか点心をだべにいたのか???
今となってはその都度良いこと身心ともに
おかしくなるほどに辛かったこともありました。
その結果が今なのだと思いますが・・・・
良いことも、そうでないこともひっくるめてが、
一生だったのだと静かに振り返っています。

きょうは選挙こくみんとしての権利、責任とし
連れて行ってもらおうと思っています。
棄権して文句を言ってはいけないと
心得ていますので、違いは違いと文句を
言います(だ~れも相手にしてくれませんが)
又何となく時間が過ぎていきます。


書類作成

2007年07月27日 | Weblog

きょうは割りと元気だったのでこんな時で
ないと作成できないと思い、ワードで
延命治療拒否願いを作成した。
20年余り前に作ったものがあるが、
これだけでは不備なように思い作成
しなおしたのである。
だんだん字がかけなくなっているので1日でも
早くと思いたってのこと。
署名と年月日などは自筆で書いた。
字がかけない状態も書き添えた。
気が早いと言われるかもしれないが、
体が悪くなったら誰だって死にたくないから
冷静な時に書きたかったのだが。最近の
医学は生かそうと思えばどれだけでも生かせる
怖い時代だと思う。
植物状態で何年も行きたくない。
家族が可哀想だもの・・・


伊豆の道路陥没

2007年07月26日 | Weblog

 昨日道路のひび割れが見つかり
1時間に10センチずづ下がって
今朝はもう2メーター60余り沈みまだ
沈みつつあるとの事、ことしは
どうなっているのだろうか?
思っても見ない能登沖地震があり
前に在ってまだ3年というのに中越地震。
今度は大雨のせいか地すべりだという。
土肥とか西伊豆には別に道路はある
ようだが、必要があって付けた道路が
沈下したのでは土地の人たちも国も
大変なことだと思う。
1日で2メーター60余りとは聞いたことが
ない。
どうも地盛してつけた道路の由。
もう少ししっかりした基礎の上に出来
なかったものかと思う。
車や人が事故に遭わなかっただけは
本当によかったが開通のめどが立たないと
今朝は言っていた。

台風の被害があったりでこれから何が
来るのかと不安いっぱい。

こんな時に情けない体でボランティアも
出来ない頭を下げているからどうか
難なく通り過ぎていってもらいたい。


きょうのお仕事

2007年07月25日 | Weblog

 きょうは午後から市の方が来られるとの
ことだったので少し早めに家をでた。
割と空いている良かったと思っていたら
別の課へ行っておられたようでいつもより
こんでいて満杯になってきた。何時まで
たっても呼ばれる気配がない。
夫は3回も見に来た。2:30分経って
いたから当たり前。
きょうからは電子カルテ(ひろは)それに
主治医は午前中だけ。
先日、評判がいいと聞いたがそのせい
なのか待合室は常に満杯。これからは
早めに送ってもらって1度帰って
もらおうと思った。

午後2:30分の約束だったが2時過ぎに
来てくださった。
あれは出来ますか?これは出来ますか?
といろいろ聞かれたが、どうなるのかは
1ヶ月後のようだ。
マッサージをしてもらいたいのだが、それを
したからと言って楽になることはないと
思う。
その場だけでも心が安らぐかと思っている。
何と言っても脳から来ているものではなく
物忘れはどうか?とか聞かれたがその手の
ことではないので年相応のものはあるとは
思うが、頭の中は詰まっている所など
ほとんどない状態だからなおのこと
都合が悪い。ただケアセンターにいけたら
いいとだけ願っている。


助けられて生きる人生

2007年07月24日 | Weblog

 昨日例会だったのを頭では23日と思いながら
22日に勘違いしていた。自分では年相応
などと言っているが人様は大分来ているなあと
思って居られるかも知れない。 

HPを半年ほどUPしていなかったら度忘れも
あってKさんに教えに来ていただいた。
きょうは書けない手でめもった。

1昨日UP できたので昨日又練習練習と独り言を
言いながらどこか触らなくてもいいと所を触った
ようでサブページが重なってしまった。 

そのことをメールして直せるかも分からないけど
いつか見てねとお願いしておいたら水曜日の
午前中に行くとメールが入っていて又勘違いしたと
思いそのことを早速メールした。
すぐ見てくださって「午後からいくね」といって来て
くださった。端から端なのに申し訳ないと感謝
している。   

4時過ぎにケアセンターの責任者の方が如何
ですかと寄ってくださった。
心に止めていてくださる方があるって幸せものだと
感謝感謝!!
家族や友人廻りの方たちに助けられて生きて
いる人生辛くても感謝しないと罰が当たると
思っている。  


早朝出勤(息子)

2007年07月23日 | Weblog

 昨夜あした5時過ぎに出勤するから
「タクシー頼んでおかないといけないね」と
いうことで明るくなっているので夫が送って
行くことになった。
何があっても勤務先のことは言わない
子なのだがそれでも聞いてみた。
どうも少年の翼?か何かのようでいわば
お見送りらしかった。
さっき帰宅して夫に「けさはありがとう」と
言って着替えに行った。
今の課は土日など時々出かけることが
あるとは最初に言っていたが、あさは5:20
に出勤して9:過ぎ帰宅。甘くないなあと思う。
今は2人とも元気なので何よりだと
感謝している。




意のままにならぬ日々

2007年07月22日 | Weblog
 今日は1時からパソコンの講習に使う
マニュアルの見直しをする集まりがある。
出かけていこうかと思っていたが
1人で行ける訳でもないし、講師はする
体力もないのでやはり欠席にした。
こうしてだんだん社会と隔絶していくのだなあと
分かってはいるが・・・ 

もう人様に教える体力は無いし自分用なら
ワードはそこそこ出来るしエケセルは自分が
必要とあれば我が家の皇太子にちょっと
叱られることを覚悟すれば教えてもらえるので
そう決めた。
今まで這いずり回るような毎日だったのだから
ゆっくり生きることに決めている。

貴金属を取ってくれる所へ行きたくて息子と夫に
お願いするが首を縦に振らない。
夫は「遺品に残しておけばいい」という。
息子は「たいしたことない」という。

残すものは真珠系のネックレス。細工の混んだ
金のもの、珊瑚けい、宝石のものは残して
あるのに遺物はあるのだからと思うのに
動けないということは情けない。
「お金がないわけでもないでしょう」とのたまわく。
誰がお金が欲しくて売るといっているわけでも
ないのに自分の物ぐらい好きにさせて欲しいと
心の中でぶつぶつ・・・


お葬式に参列

2007年07月20日 | Weblog
 ひろが民生委員になった年の最初の研修が
加賀温泉に1泊であった時行政側の方として
いろいろお話した方のお連れ合い様が亡くなられ
きょうがお葬式だった。

その前に石川県婦人問題アドバイザーの会の
役をさせてもらっていた関係もあってその後
年賀状のやり通りになったぐらいになったが
出会えば何かとお話のできる方だった。

友人からメールが入っていてお詣りに生き
午後はあいているから行くとのこと。気になって
いたのでじゃあ私もと、と急きょ用意をして出かける。
何分遠いのでぎりぎりだったが友人がお席を
取っていてくださったので助かった。
まだ少し間があったのでお焼香してゆっくり
ご挨拶ができたが、お詣りできたことに感謝している。
いくら生きていても出歩けなくなれば心があっても
出かけられないからである。

亡くなられたと喪主の長男さんが話された。
8人家族でと言っておられたが、温かいご家庭だっ
のだろうと想像しながらなおのこと淋しくなられるなあと
心からお悔やみを述べお見送りして帰宅した。
友人に送っていただくお約束だったのに耳の遠い
連れ合いは聞こえていなかったと待っていてくれたので
夫と一緒に帰ってきた。  合掌



余命1ヶ月

2007年07月19日 | Weblog
昨夜余命1ヶ月のまだ24歳の方のドキュメントを
みました。
最初のほうを見ていなかったのですが、何でも
乳がんを患い再発で病院へ行った時は後1ヶ月
それより早まるかもと言われたそうでお父さんは
本人に言わないことにしたとのことで恋人もそう
決断して1ヶ月余りをそれは幸せに送られ
結婚式もされてなくなりました。
友人も沢山の方が見守り、恋人は毎晩泊まって
看病され、お父さんも仕事が終ってから夜遅くまで
なぜてあげたりであれだけの看病は出来ないと
感心するくらいでした。
もう肺脊髄と転移しているので痛みも酷く4時間
おきの痛み止めだったのが効かなくなって腕に
貼るもう少し強い痛み止めになった時「楽に
なったどうしてかな?よくなるかも」と喜んで
いたが、モルヒネにしたら脊髄と脳に薬が
作用するので痛みはなくなるが話も出来なくなる。
お母さんは卵巣がんで亡くなっているが
その時の激痛でモルヒネを使ったので
千恵さんは最後まで拒んで脊髄にまでは注射したが
頑張って死んでいかれました。
彼もとても優しい方で雨の中を走り回って
千恵ちゃんの気に入っていた指輪を買い求めて
教会で式を挙げ満足していましたが、1年ぐらいと
先生は言われたそうですが、1ヶ月とはどうしても
いえない気持ち分かりますしひろも後1ヶ月とは
いって欲しくないと思いました。
苦しくなってくれば自分で分かるのに最近
告知される先生がおおいと聞きますが
告知は言いですが1ヶ月ぐらいだったらむごいと
思います。
若いのに涙が止まりませんでした。
沢山の優しさを貰っていけたからそれだけが
何よりだったと思いました。