みやちゃん日記

気侭に書き込みます。

寝とぼけて

2012年02月29日 | Weblog

昨夜は12時に寝ているのに夫が夢を見ているのか私がうとうととし出す頃に「うおう、、うおう」と意味不明の声を出し1時過ぎまで眠れなかった。
其れでも今朝は息子が6時前にトイレに起きるまで眠っていたが私は朝は何時までも寝床にいることが嫌いで寝坊したが6時には起き出して新聞を見えない目で大きい字の拾い読みをした。まだ風邪は完治していない声は直ぐ話をしていたら変な声になる。
友人から電話をいただく。遅ればせの新年会が今日だったと思う。私は行けなかったが,せめて1年に一回ぐらいの会合に出て皆様と楽しい一時を過ごせたらいいのにそれも今はならない。情け無い限りである。

でもゆうじんは「いまかえってきた。今度,エムザのバーゲンに行ける」と言われたので「私は即座に連れて行って」と言った。
下着が大分少なくなって居るので気になっていたのでありがたいと思った。

彼女のお宅は今年はちょっていろいろあってでも私用ではなく会の用事をこなされておられる偉いと思う。そのことを話して電話を切る。
今更安くても買わないが見るだけでも楽しいと思う。私は下着だけこれはバーゲンにはならないが、兎に角其れが買いたいので目的が果たせその上目の正月が出来たらと楽しみにしている。

夕べいいのに眠れなかったので昼間銀行え行って帰り飴を買って帰ろうと思って居たがそれだけの行動が出来なくてケアーセンターに預けて有るごろごろをもらいによって其れで楽に欲しい物を買って帰った。
かごを漸く掛けて何とかそこへ入れ手買い物をしてきた。

夕方頃に炬燵でうたた寝をしていたら、息子がばたばたしている。私は夫が夕食の支度をしているのを見て朝だと寝とぼけていて息子は昨夜飲み会で今朝も早く行くのかとまだ寝とぼけている。

気がついたらまだ今日のうちだったのである。何時にでると聞いていれば知らせたのに息子も寝坊したと言ってがたがたしていたのである。
6:半までに行かなければならないのにタクシーを頼んだら5分ほどで来ると行ってくれたので少しはおくれただろうと思うがやれやれである。
まあおかしな1日だった。


今日1日の仕事

2012年02月28日 | Weblog

体調は決していいわけではないがそれでも取り込んで貰った洗濯物を畳んでかたずけた。バスタオル6枚と自分の下着と息子の下着だけのことだが今の私は一気に出来ない何とか畳んで一休みして片付けしたが,暖かくなったらもっとしゃきっとするのだろうかと思う。玄関へクリーニング屋さんが,7枚ほど持ってきてあるがまだかたずけられない。夫のセーターと息子の分は取り込んだが、私の分はあちこちとかたずかる場所が違うので其れが出来ない。
こんだ。
情け無い者でも生きていていいのだろうかと思う。

夫の口代わりにと思うのは私だけのことで夫は其れでいいのだろうかと思う最近の状態である。夫に申し訳ない気持でいっぱいだが迷惑を掛けながら生きて行くのだろうと思う。サプリメントも今日3カ所5月までお休みの電話をした。
その後も5月になったら断るかも知れない。
次から次へと送ってもらっていて私が入院しただけでも今度は色々と分からなくなっていたので効くのかどうかも分からないものを少し減らそうと考えたからである。
何だかそんな物に助けられて生きていると思うと情け無くなる。
今日は少しナーバスになっている。
体がしゃきっとしないせいだと思う。3月の5日にお医者さまなのでその時までこんな状態だったら先生に相談して少しはしゃきっとなれるようにしたい。

夫は年相応に弱っているところはあるが其れでも元気なので有り難いと思って居る。
若い頃はパチンコ屋へ行くことが嫌だったが今は言わないことにしているが、毎日飽きずに日参している。
私にはあんなやかましいところがと思うがそれで2~3時間が楽しみなのなら自分の小遣いで楽しんでいるのに構わないことにしている。いい趣味とは思わないが今更と思って居る。そんなことまで私の気持ちで縛るのは止そうと思って居る。
しんどいが1日が過ぎた。

 

 

 

 

 

 

 


何時までも確りしなくて

2012年02月26日 | Weblog

新年会も行けないし、その日の浅ノ川病院も明日次の水曜日に延ばして貰うつもり。
今は1人で出掛ける自信がない。
もう少し暖かくなればどうだろうかと思って居るがそろそろそんな時節が来たのかも知れないと思ったりしている。
今度は前のときつかったパジャマを1枚も使えなかったので妹が2枚買ってくれたのと私が買ったのとでパジャマだけが衣装持ちになった。
家の中に息子がいても保証人にはなれないので何時も妹になって貰っている今度もそうで妹は手を骨折していてなんにも出来ないが息子は姉のように気軽に頼んでいる。
例え妹でも私はお礼をしないでおくのは嫌いなので今日来てくれたので済ませて気持が楽になった。妹はお姉ちゃんにはどれだけ世話になっているか知れないから気遣いはいらないと言うがそんなわけにはいかない。
又入院かと思ったが落ち着いたのでやれやれである。
何分医科大までは遠いので出来ることなら救急車は使いたくないと思うが何時お世話にならないとも限らない。年は取りたくないとつくづく思う。
今日はトマトとイチゴをお腹いっぱいいただいた。今のトマトはとても美味しいので口の味ないのが直るかも知れい。
新しいゴロゴロも来たが今はケアセンターに預けてある。まえのとは違い軽くなった分物がそんなに入らないし腰掛けることも出来ない。
これからあれにつかまって歩いたら本当にバーさんだなあと思うが仕方無い。


いつまでもはっきりしない体

2012年02月25日 | Weblog

もうそろそろしゃきっとしてもいいはずなのに腫瘍のある当たりが重苦しく長く座って居れず横になると直ぐ眠りその揚げ句がろくでもないうつつのような夢を見る。

今日は夫が息子に連れていて貰って色々買ってくれた。
もうないだろうと思って居たら3日日ミカンがあった。オレンジが病院でお善に付いていておいかったので高かったが頼んであったのでそれとトマトも欲しいと言ったら高いぞと言っておられたがそれでも夫は買って来てくれた。それといちごも買って来てくれた。
未だにご飯はお湯だったり水だったりを掛けて流し込んでいる。
夫が食べると言ったらお粥を作って食べようと思って居る。
死ぬ人のように色々な物が食べたい。そんな生活だが痩せない。ここ20日ぐらいの間に
5~6日欲しくなくて食べなかったのにである。
昨日まで話し始めると声がおかしくなっていたが今日はそれはなくなった。
そろそろ回復する兆候かも知れない。良くなったところで何にも出来ないのではどうでもいいのかも知れないが・・・
息子は今晩はお泊まりだと言って出掛けた。当たり前と言えば当たり前なのだが、
よほど入院前は私のことを心配するような状態だようで仕事一途の人が早退までして来て
私が行きたくないと行っているのにパジャマのままなのにクリニックへ連れて行ってくれた。即、医科大に行くように言われた。夫が何にも出来ないから仕方無いが、今度は妹と息子で色々やってくれた。持つべき者は・・・と感謝している。
寒いとは言っても随分暖かくなってきた。病気は回復はしないが温度が上がれば
痛みなど少しは緩和すると思うので早く来い。春よこいとみいちゃんみたいに待っている。

 


退院はしたものの

2012年02月24日 | Weblog

昨夜動かない指で長々と書いたのに何処かへ飛んでいった。
今度の入院は内側に熱が付いたのか家でも3日ほどきっと何にも食べず薬も飲まずにいたようだ。火曜日の夕方息子に行きたくないというのを無理矢理クリニックへパジャマのまま連れて行かれた。先生は心不全のようだからうちで見ているよりすう土屋先生の所へ行った方がいいと言われて医科大へ行った。
私は自分を失っていたのかその時は何でもなかったがその後、色々なことになりそれが退院してからもおかしくなっていた。
病院でも丸2日何にも食べられず3日めの朝何かお腹に入れないといけないと思い
でているご飯半分をふたにとりわけお水を掛けて流し込むようにして食べた。
ご飯は退院する朝までそんな状態で帰ってからも日曜日までそんなことをしていた。
未だに内側の熱が取れないようで何をいただいても美味しくない。
何時もは帰って直ぐにパソコンを開くのだがそんな気力はなく1日中寝ていた。
入院する前に3月20日又厚労大臣賞をいただいたそうで私にも首席するようにという案内状が来ていて不安だが式典だけはでてパーテイだけでもでなければいけないかなあと思い
出席のはがきを出したがそれまでに着物が着れるか不安である。
病院でも12日の新聞が怖いような夢かうつつか知らないがそんなことがあったが帰宅してから3番続けて私がおかしくなっていたのだと思うが、おっtににた男の方は何か心配して言葉を掛けてくれるのに私は「ありがとうございます「大丈夫です」と言っていた次の日も
おなじい事があったが3日目もおなじい事があって「大丈夫ですといいながら夫も来て声を掛けているようでやはりそんな返事をしながらお父さんこんな時間にどうしているのだろうかと私はまだ病院にいると勘違いして居たようだ。
夫が寝室へもどるのを見てうちなのだと思ったがそれでもやはりおかしくなっていて
トイレの位置がわからなくてようやく位置確認ができてトイレに行ってきたが、
もう1週間退院を先にしていただけば良かったと思っているが、私はマッサージをしてもらいたいのとお風呂に入りたかったので勝手に退院を決めたのだが、本当に
呆け状態った。これからだんだんこんなことになるのかなあと思ったらぞっとした。
それでも心臓は小さくなったとか白血球が下がったと言われこの後1週間ここにいても治療はないと思ったのでそれなら帰って足のリハビリをしないと歩くなくなると思ったからだったが
、しんどさはとれない。

昨日友人が電話を下さって少し元気があるのなら遊びにおいでとのことだったが、暫くお会いしていないので行きたかったがもう少し元気になってからとお断りした。
第一外を歩けないので仕方ない。

い科大のベットに寝ていたらあんなに痛くて大変だった腰がいつの間にか痛くなくなっていた。私のベットは安物なので本当は布団の下にベニヤ板を入れたらいいのだが夫が車に乗れないのでまだ買いに行っていなくて私は炬燵で寝ている。
座布団が赤ちゃん用の敷布団ほどの大きさなのでこちらの方が腰にいいためである。
それで夫が声をかけたのをねとぼけて居たのかもしれない。


急の入院

2012年02月24日 | Weblog

今度ほどおかしな状態の日が続いたのは久しいことで記憶にあるのは小学1~2年生の頃だったと思う。弱い子だったのですぐ熱を出しうわごとを言いいつも母が4キロの道を往復おぶって学校は一日も休まさなかった。
私の母は説く体制で女学校までを卒業したような人だったのであの時代にそれは教育ママの典型だった。
3年生の冬在所のこ全部で雪があるからと云ってみんなでお休みして夕方帰ったら父にひどく叱られた。下男が川へ水を汲みに行ったら子供がクラブの2階で遊んでいたと言ったようで母はもうその頃病気で伏せっていたのだが、居間へ出てきて「私がしんどい中を勉強が遅れるからと思いおぶってまで登校させたのにと泣かれた。
その後虫垂炎で1カ月お休みしたが、全然遅れて居なかった。
今度もベットの上から夫の顔を見て居ると弟のように思えて名が寝て居たらやはり夫だった。そんなことが何回もありそのころ3~4日食事はと夫が聞いてもいらないと言ってきっと薬もその通りに飲んでいなかったのだろうと思う。
息子が異常を感じたのか相対してきた日もあり火曜日の夕がたは無理にパジャマのまま連れて行った。それでも私は面倒くさくて行かないと言っていただ息子は無理に連れて行ってら先生は心不全だと思うから土谷先生のところへ行った方がいいと言われてパジャマのままで医科大へ行きテイシュさえ持たずにそのまま入院となった。
息子は次の日の午後にしか来ないので看護師さんにお願いしてテイシュを借りて過ごした。その後も食事が取れず夢かうつつみたいな日を送った。
いろいろなことが真しやかに夢なのかはっきりと夢とは思えない目の覚めて居る状態で
いろいろなことが浮かび上がって来て気持ちが悪かった。
食事は見ただけでもう胸がいっぱいでただフルーツだけがおいしかった。
薬も入院して2日館飲まなかったので手足は大変いは痛む出今度ほど現のような状態で5日間ほど過ごしたのは幼いころと今だけだった。
そんな思いをしながらもう1週間退院を伸ばしていただけばいいのにさっさと退院してまだ食事が取れない状態で退院してがパソコンの電源を入れる体力もなく過ごした。
昨日ケアセンターへ行って来た。ケアマネさんやケアセンターの皆さんにお心を煩わせてしまった。これからはもっと気を付けなければいけないと思った。


ケアーマネさんが来られて

2012年02月02日 | Weblog

介護保険の手帳も更新され今日はケアマネさんと施設の方私とで今後の
ケアーの仕方の話し合いをした。
私は自分では相当に進んでいる感覚があるが、だからといって腹痛に頓服を飲んだようなことになるとは考えていない。
そんな話をするとき皆さん何時かは回復に近いことになると思っておられるから
暖かくなればとか時間が経てばとか落ちわれる。私の病気は1日経てばそれだけ
司日かずいていると言えば誰でもそう柔いねと言われる。
確かに1日年を重ねれば死に知かずくのはこの年になれば皆さん同じではあるが
そういうこととは次元の違う問題だが分かってもらえない死私もそこまで分かって
貰おうとも思って居ない。
だからつい元気かと聞かれれば元気元気という返事になってしまう。
最近は見栄を張って歩いて居ても足の裏までも麻痺に近いものがあるからついふらっとすることがある。そんなことは福祉用具の方を担当しておられる方はちゃんと見ておられて今日も私がお借りしている手押しの車を持ってこられてはどうかと言って下さった。
私もそうしてもいいかと思ったするがそれをするときは何台も載せるとき車の手配が違ってくるので私は自分が気をつけていればいいことだからと遠慮している杖をとなると手が思うようにならない状態ではそれもそんなに快適だとは思えない。
いっそ車椅子を借りた方がいいことは分かるが、それも大げさかなあと思う。
車椅子にしても私は自分で操作できるので私自身いいのだが何でも大げさなのが嫌で
出来るだけ元気そうな顔をしていたいのが本音である。
それで今は外へごろごろを持って外出が出来ないのでケアセンターにおいていただいて暖かくなるまでそうしたらどうかと言うことになった。
私はその日によって何とか伝い歩きできる日は一々そんなにつかまって歩いて時間を
費やしたくないのでつい又フル活用はないように思う。
脳梗塞とかでの後遺症とは違うからがんばってリハビリをすれば少しでも回復すると思っておられるからしょくいんのかたでもそのていどにしか見ていただけない。
だからお世話になった時から随分経つからそんなに辛くないと思ってみられている。
今日は看護師さんがでられたのでその後病気の説明を確り聞いていただいたので
少しは違うと思う。医学が進歩しても治せる病気と直せる場所があることを素人に理解していただこうと思うことがどだい無理な話なのだから自分だけが苦しむしか仕方無いことなのだが・・・
先生は今日と明日で目に見えて回復るような物でもないことは分かっておられるから辛いと言えば痛み止めの新薬がでれば試して異常がなければ又薬が増えるだけのことである。1年経てばそれだけ悪くなると言うことも理解してもらえないのだからどうしようもない。癌t0緒は違うので腫瘍でも良性で先生は3年はいきられると言われたのだが思って程早く進行しないだけ私は辛い人生を送らなければならない。
夫が今の状態である以上私は泣き泣きでも生きていて上げたいと思う。耳が遠くても
口がきけたら私がお先にと言いたいがそんなわけにはいかない。
呆けて自分が分からなくなっていれば本人も辛くないと思うがどれだけ辛いことだろうと思う。プライドだって有るのだから私の痛さより辛いだろうと思う。
ただ寒さが緩和されれば少しは耐えやすくなるかなあと思うが今は堪え忍んで春を待ってみる。