みやちゃん日記

気侭に書き込みます。

颱風の模様

2012年09月30日 | Weblog

 

  お菓子を買いたくて息子に頼んだら3時までに帰るようにしてならいいと

言ってくれた。「何で?」と言ったら台風が来ているから其れまでに帰ってこないと

結構大きいからと言う。確かに出掛ける頃雨が降り出した。

先にバローへ行ったが夫が一緒に行こうと言っているのに先に出掛けて別のところで

買うのだと言ってそこで買っていたので主菜は重複しても仕方無いので買わずに

白雪とパブリカとキャベツの刻んだのとお菓子を買ってきた。

その頃になったら少し大きくなっていたがまだそんなでもなかった。

帰って見たら買ってきた物が違っていたので又連れて行って貰って交換してきたが

その頃は結構ひどくなっていた。

帰って横になって居たら玄関のチャイムが鳴って出たら

カボチャを上げると言っておられた方がなすやお菓子やカボチャなど沢山持って来て

下さった。有り難いことである。こんな颱風だという足下の悪い中を申し訳ないと

思った。その頃から風は吹かないが雨の音が庭の木にたたき付けるような振り方で

降っている。最近にない振り方で怖い。

今までの颱風は山にさいぎられて何事も無く通り過ぎていったが今度のだけは

西日本側からなので風は吹いていないが雨になったようだ。でもこれ以上

大きくならないのであれば良しとしなければならないのだろう。

気が小さくなったというか雨の音が大きくてもおどおどしている。

まさか雨の後から風が吹くこともないだろうと思うが、いい加減にこの雨も止んで

貰いたいと思う。

 

 

 

 


アイロン掛け

2012年09月29日 | Weblog

 

 昔?はワイシャツ始め色々とアイロン掛けは家で遣っていた。

昨年あたりからはそれまで夫がかけてくれていたのがスーパーの別棟でクリーニング

屋さんが入っていってワイシャツが100円でやってもらえるのをみ見つけてきて

今は其処へ息子が出して又取ってきてくれている。

後の物は今までの所へ出しているが、まさかハンカチまで出すわけに行かないので、

先日から貯めていたのを私が今日かけた。たかがハンカチだが不自由になった手では

結構大変だが、夫は紙をくしゃくしゃに丸めたようになったまま干してあるので

何もかもがそんな状態でたたむのに苦労する。

その時々には私がしわを伸ばしておくこともあるが何時もではないのでハンカチ

だけはアイロンを掛けなければならないので 貯めておいてそうするとなおしんどいのだが

今日は2回に分けてかけた10枚ほどなのにどうしても1度には出来ない。

 

土日に息子に何処かへ連れて行って貰おうと思って居るがその日が来たら息子の都合もあるので

いいかあと思っていかない。

タクシーで行くか息子を頼むかでなければ出掛けられない。せめてバスで出掛けられたら

いいのだが、そんな長い時間の外出は出来ない。

東京へも1度行って来たいと思っていたのにこれだけ手足が不自由になったら

もう諦めるしか仕方無い。若いときから色々な所へ行ってきておいて良かったと思う。

その悔いだけはないのででも人の欲望はきりがないのでもう1度と思うが

私のは欲張りだと思う。姑が舅が早くなくなって母の姑が長生きしたので可哀想に

子供が多いのとで母は自分の世のない人だったので「友達が旅行に行ったが私は

何処へも行けなかった」と一度だけ口説いたことがあった。その時愛しいと思ったが

あのとき連れて行って上げられない年になって居た。阻止手渡しに行けるとき何処へでも

行ってお出でと言ってくれた。本当に苦労人だったから私はこのお母さん嫌いと思ったことが

1度もなかった。

そんなことを思ったら私は幸せだった。今行けなくても仕方無いと思って居る。

東京だって遊びにいてはいないが息子の学校や大学のことでよく行ったのでそんなに

行けないことに悔しがることもない。

京都だって二条城なと4~5回行って居る。奈良だって何回か行っている。

今はそんな遠い所ではなくても市内へ行きたいのだが、言っても辛くて長い時間

おれないのだからもう身体の思うようにならないものが愚痴るのはよそうと思う。

 


どの部屋もこの部屋も

2012年09月28日 | Weblog

 

 もう我が家は客間はなくなった。2階は言うに及ばず一応洋間を客間にと思って

居たのだが、パソコンがやってきてからはお客様をお通しできる状態ではなくなって

きていたが。今はその部屋でマッサージをしていただくようになってからは布団を

置くのででもそんなに気の張るお客様は来られない。夫が話せなくなっているので後は私の

友達はこの部屋でなかったら都合が悪いのでいいわけのできる友だちだしいいのだが、

それでその部屋へ畳の上敷きを入れて重い布団を動かしやすくしたのである。

8畳の部屋に6畳のカーペットを敷いたのだが、ソフアーの足や机が出っ張っていて

仕方無いから4畳にして敷いた。こうなると本当に知った方しか通せない

情け無い状態になった。物を動かす力もなく本当に豚小屋である。

 

昔私がお勤めしていたころにその会社が立ち上がり、一緒な事務所の中で仕事を

していたことがあった方が火災保険の集金に来られ色々話して行かれた。

弟姉でも付いた方がおられるとそんな物なのかと聞いていた。

1時間ほどいらしたのだがたったそれだけのことでも私は疲れ果てるのである。

何でもないこともあるのだが今日は疲れた。

我が家は息子一人でよかったと思った。有ってもなくてもそれだけで終わりなので

罪がない。実家の不動産が祖父と父名義のままになって居たのをもう3年ほど前に

私の生きている間に早く弟名義に登記しないといけないと言って整理が出来た。

この後母にもしものことがあっても私や妹は関係ないのでその点楽である。

色々と息子にも言っておくことがあるのだが中々整理が付かなくて早くやって

おかなければと思った。

 

 

 


出掛けるまでは何方も

2012年09月27日 | Weblog

 

 私ばかりではなく出掛けるまでは嫌だなあと思われるようだ。

私もそんな思いで出掛けるが着いてしまうとそんなことがあったかというように

お知り合いの方に挨拶をして遣って貰うことに掛かる。

私は最近ウオーターベットとボデイーのマッサージとレッドコードに足や腕を吊って

腰の方のことをしていただく。

それが終わったらバイタルの入力をして今日はお昼になったがその後長靴と

ホットパックをしていただいてUNOをして「あゆみ」という共通のノートをいただ

いて何でも好きな事をしてうめている。私は絵などは駄目な人なので新聞の切り抜きを

はったりしているが、その人によって綺麗にしておられる方もある。

私は大分字がかけなくなってきて居るので下手でも書けるうちに書いておこうと

後で自分で書いた字が読めないこともあるがでも頑張って書いている。

子供の頃から70年間頑張ってきた揚げ句がこれかと思うこともあるがこれが私の運命なのだと

思って居る。人には頑張ったことが報われる方とそうでもない方もある。そこで運命なら

諦めるしかないのだと思って居る。私はささやかではあるが幸せな人生だったと思って居る。

ただこの痛さというか身体が思うように動かないのだけはもう少し何とかなら無いものかと

思うがこれもあたわりなら甘んじるしか仕方無いのだと諦めるしかない。

 


日ごとに秋らしく

2012年09月26日 | Weblog

 

 暑い暑いと言って居たのに直ぐのまに秋めいてきた。

朝など5時になれば明るくなっていたのに日ごとに夜明けが遅くなってきた。

私は今日は水曜日なのに土曜日と勘違いして居た。別にそれで私の日常生活に

異常を来すわけではないのでどうでもいいことなのだが、今は日にちと火曜日を

正確に覚えていることに神経をとがらせている。

最近パソコンを習い直したいと思うが、思うだけで考えたら何処であろうと

行けなかったのだと思うと情け無くなる。今日の夕刊に杜の里で教えることが

載っていた。近くでさえ行けないのに杜の里など行けるわけもないのに夢を見る

ことだけは見て心を豊かに?している。

今日は通販でお買い物をした。瑪瑙のブレスレット2本ともう1本買った。

くだらないとは思うがほんの気晴らしである。着る物も買った。

私は酉年でお金使いが荒いからついそんなくだらない買い方をする。

着る物だって有る物を着て居ればいいのに本当に気晴らしであってもなくても

いいのにである。後で又やったあと後悔するのに・・・

髪を染めたいと思う。でも今は自分では染められない。美容院へ行きたいが

行けそうにない。染料を買いに行かないとこれだけは自分でないと男達に頼んでも

分からない。美容院まで行けたら美容院の物ででもいいのだが行けないのでは

仕方無い。本当に夕方でも早く暮れるので淋しさを感じる。

最近泣きたいほどに淋しく感じていたが日が早く暮れるせいだったのかも知れない。

秋晴れの空を眺めていたら気持ちいいがでも物悲しさを感じる。

ついこの間までTシャツを着ていたのだがもうそんな時期ではないのだと最近

思って居る。明日はせめて7分袖の物にしよう。もう秋だもの・・・

 


朝から辛い

2012年09月25日 | Weblog

 

 どうしてかふくらはぎは痛くて立ち上がるのに難儀している。

両手をついて立ち上がろうとすると腕に力がないから顔から落ちる。何時もこんなでは

ないと思うが今日はこんな状態なのでいらいらする。

何時も夫に感謝しているがこんな調子の時に何回も同じことを言っても分かって

くれないとなおのこと腹が立って大きい声を出すが聞こえないのって私がいらいらして

いるだけで馬鹿みたいなものである。

夏のパンツをはいていたら冷えたのか何回もトイレへ行くので厚手のをはいてみたが

そんなに変わらない。夫はマッサージが済んだら一目散にパチンコへ行った。

一人で居る方がいいかもしれない。今日はどうしようもないから今から横になって

居ることにする。昼前はそれでも身の回りがむたむただと気になって仕方無いので

少し片付けた本当は息子のハンカチのアイロン掛けをしたいのだが今日は無理だと諦

めた。毎日がこんなだとは限らないので少し楽なときにすることにする。

 


もう秋

2012年09月24日 | Weblog

 

 昨夜は布団を掛けないと寒かった。秋である。何時までも暑くてどうなることかと

思ったが、時節が来たら少し遅れてもやはり来る物は来るのだと思った。

土曜日の新聞に綺麗なコスモスの写真が載っていた。

そのうち綺麗な紅葉の写真が載ることであろう。春のように様々な華やかな花は

咲かないが山一面が紅葉したり黄金色に田んぼが色づいたりするがコスモスは淋しい

感じを受けるがわたしは昔から好きである。

きょうはケアーセンターの日だった。最近は利用する日にバイタルの入力を手伝って

居る。週2回では私だけが働いたような気になって居るがありがとう助かると言われる

と素直に嬉しくなる。昔は今頃からこけを取りに山へ行った。今は想像するだけで

山どころか大通りをまたいだ近所のスーパーへさえ行けない。情け無いことこの上なし

である。母も山が好きで2人でよく行ったものだが母も今は話しもしない。

「二人ともおばあさんになったもんなあ」と今日は雨の秋の日を感じて何となく

淋しく思った。私は年を取って山へ行けなくなったのではなく心不全でいき切れが

して山どころか外にも出られないのである。秋を楽しむことも出来なくなった。

生きているだけだがこれでも生きていると廻りのこと友人との語らいなどで

それだけでささやかな幸せを感じていられるようで今日もそんな話をして来た。


小さなお掃除

2012年09月23日 | Weblog

 

 キッチンのフロアーがピチャピチャと汚れていて夫の足の裏が汚れていることが

気になって仕方無かったので腰が少しだけ調子いいのでそのあたりを雑巾で

拭いてみた。資源ごみと燃やす塵の袋の状態も気になっていたのでそれも片付けた。

資源ゴミは息子に瀬戸へ持っていって貰った。

きっとおながしをするとき足下へ水をこぼすのだろうと思う。スリッパを

履かないので足の裏が汚れるのだろうと思うが分かって居ても言ってもはかないのを無理に

言えない。

足をすって歩いて居るので何時どうなるか分からないのに何でも一々言わないことに

している。きょうも昨日もいつもだがご飯もおかずも何かしらあるのに買いに行って

来てくれる。食事は自分がするものと決めているのだと思う。感謝しなければと思う。

 私は今からもう半分の拭き掃除をしようと思っている。雑巾を洗って絞るのが

大変で一度に出来ないのである。まあ急いだ旅ではないので其処だけしかできないが

しないよりはましかと思っている。

玄関フロアーも一度水拭きしたいが一度にはできない。綺麗にならなくてもダスキン

掛けてこの次調子のいいときにする。不燃物塵の中に入っている物で指をきった。

痛いが血が出ていないので終わってからきずバンをはっておくことにする。

 

 

 


今日の朝刊の時鐘に

2012年09月22日 | Weblog

  

 彼岸になってさすがに朝夕というか夜中は涼しくなってきた。

今朝の時鐘にいわば言葉遊びが載っていた居酒屋で「春夏冬」=商い「二升五合」の字続「秋無

い」(商い)升升(ますます)半升(繁盛)と読ませる言葉遊びだそうだ。

その後に政治というか今度の選挙のことにも「黒犬の尻」=つまり尾も白くない(面白くない)で

「植木屋の庭」と続いていたこれはやたら木(気)が多い。でいろいろ揶揄して「うどん屋の釜」

これは店の奥の釜の中は「湯だけ」=言うだけ」最後が「便所の火事」=やけくそと来た。

私はこんな言葉遊びの出来る性格ではないので面白くなあるほどとほくそ笑んで見た。

私は前から時鐘とか兎に角1面から呼んでいく。今は目が悪くなったのかめがねの

せいか仮名を振ってあったり画数の多い字は読みにくくて新聞を縦にしたり、横にしたりで

読んでいるからはかが行かない。

だから社会面当たりに行くともう疲れて読みたくなくなる。

お悔やみだけはと見ているのだが確り見たつもりが見落として恥をかいている。

目が又荒れてきたのか痛くて開けていることが辛い。そんなことだからいつまで経っ

てもめがねは作れない。息子も老眼になったのかめがねを外してみている。

0、0なにがしの度近眼でも年を取るとそんなことになるのだと知った。

今日は大分涼しくなってきた。私たち夫婦は敬老会に出なかったので民生委員さんが

何か持って来て下さった。

私の頃は婦人会の方が配って下さったので私たちは何にもと言うか催しものの

お手伝いだけで良かった。今思ったらよくもまあ頑張ってきた物だと自分を

ほめて遣っている。いろいろあったが過ぎてしまえばなんてことはない。

 

 

 


ゴミ屋敷

2012年09月21日 | Weblog

 

 夕刊にゴミ屋敷の記事が載っていた。人ごとではない気持で見た私は最近新聞の

記事がうまく読めない。乱視がひどくなったのかも知れないが一度眼科へ行って

来なければ駄目かも知れない。まだ眼底など見られないほどに荒れた状態が治って

いないかも知れない。涙が出てきて目が痛くて開けていられないときもある。

新聞もいいのに見られないが、ただゴミ屋敷の大きい見出しを見て息子の部屋を

思い出してあれも病気ではないかと思った。

あれだけ整理してあって「何々は何処にある?」と聞いたら何処の何番目ぐらいに

あると言うように整理が出来るのに部屋の中は足の踏み場もない。

「この部屋を見たらお母さん病いが出る何とか少し片付けられないかいね」と言うと

「見んこっちゃ。用事ないのなら行って」という。

私の身体が思うようになれば何とかしたいが自分が片付けなければならない所でさえ

出来ないのだから人のことは言えないが、でも少なくとも例え動けなくなっても

業者さんにお願いしてでも片付ける。

物置にも捨てたい物があるが夫が捨てさせない。気になり出したら病が出るほど

に身体の思うようにならないことが情け無い。

カタカナに書いてあった病気かと思うくらいである。

私は家のこと子供のことをきちっと出来ることを条件に働きに出たので

その頃は板の間は鏡のようになって居たし、庭など草一本なかった。

それが今は庭は草ボウボウ家の中は見ないことにしようと思って居るがいつまで

こんな事を言って居られるだろうかと思っている。夫にそのことを言う下から

「自分が出来ないのにお父さんに何でも押しつけられないか」と呟やいてそのままに

なって居る。そのうち塵屋敷の指定を受けることになるかも分からない。

何時か息子にそんな話をしたとき、においがしたら消臭剤を撒けばいい。

と一周された。塵ではないが今に一階まで占領されると思う。

今でさえその傾向があるのだから・・・

早く親が生きていてもいいから家を建てて変わって行ってもらはなければ

と思う今日この頃である。それにしてもあの沢山の本はどうするのだろうか?

捨てられない人だから書庫はどうしても必要だと思う。

確かに子供の時から本を読みなさいと言ったのが私だから今になって文句は

言えないがあれだけになろうとは思わなかった。

考えたら将来が怖くなる。