みやちゃん日記

気侭に書き込みます。

近所の息子さんの不幸

2006年08月31日 | Weblog
用事があって夫の車で10時ごろに出かける。
平和堂へ行き帰りに市場の夫の友人のところに寄って12時半過ぎに帰宅する。
近所の家に黒幕が掛かっていてだあれも亡くなるような人がいないおうちなので
戸惑ったが夫に車を止めてもらって聞きによる。
「ねえ、どうして黒幕が掛かっているの?」って聞いたら「息子が今朝亡くなった」
とのこと、どうしてかと聞いたら心臓麻痺だったようで言葉の掛けようもなかった。
商売やさんだが息子の協力をするためとご両親が丈夫でもない体で頑張っていらしたのにどれだけお辛いことかとひと泣きして帰ってきた。
親としたら息子に送って貰ってと思うのは誰でも同じだと思う。
わが身に振り当ててご両親の思いはどれだけ辛いことかと思いを馳せながら帰ってきた。
それにしても38歳は若すぎる。親孝行なとてもいい息子さんだったのに・・・
何であれ、親より先に逝って欲しくないとわがことのようにただ悲しい!

指輪のサイズ直し

2006年08月27日 | Weblog
昨日宝飾品の修理についてチラシが入っていた。

2月から見たら8キロ余り痩せたら指輪は全部いつの間にか外れていてびっくりしたのではずしていたが、この際直してもらおうと思って指輪6本とネックレスを3本ブレスレットと黒真珠のネックレスの糸かえして貰おうと持って行った。
今は金が高いそうでプラチナと24金の物1本と、プラチナと18金の物1本と、18金の物を1本とブレスレットで計算したら75,000-だとかそれを下取りにして何か造られてはとの事だったが、買った時は500,000円余りの物が何となくお金を足してまでいらないわと思ってネックレスは持って帰った。
今更造らなくても今あるものだけでも使わないのにもう何にもいらない。
指輪は6本だけサイズを直してもらうのに預けてきた。
これは1万円ぐらいでいいようなので持ち腐れにしておくのも勿体ないから
これは良かったとほくそえんでいる。

和装にしても洋装にしてもおでかけということになると100万円は身につける事になるが、今は楽なもんで洗いざらしのシャツを来て先日友人に頂いたキュロットスカートをはいて夫に「そんな格好していくがね」と言われて「どうでもいいがいね」と言って凄い格好をして行って来た。
宝石と服装を見比べて内心おかしかったことだろうと思う。

なにはともあれ火曜日に取りに行くので念願が叶って幸せ気分になれた1日だった。

それぞれの夏

2006年08月24日 | Weblog
きょうはこの暑いのに猿丸神社の近くからひろが欲しがっていた
木綿のキュロットと呉羽の梨を貰ったのが甘かったからと持って遊びに下さった。
今は体調がいいからと言って居られたが心があればこそだと感謝している。
いっぱい話した。何かひろばかりしゃべっていたように思う。
まだ暑い時間なので夫に送ってもらい、その帰りにお買い物をしてきた。

コントクさんはきょうから中国旅行だと昨夜遅くメールが入っていた。
公用だとばかり思っていたら、お姉さまのご主人が大連の大学をもう退職が
近いので10日ぐらい行ってこられるとのこと。
今はひろが1番大変なようである。外国は行きたくない人なので香港と沖縄
しかいっていないが国内は結構行っているので旅行は無理に行きたいとは
思わない。ことしはそれぞれの夏でひろ以外はお元気だそうで
良かったと思っている。

かあちゃんさんももう大分元気になられていることだろうと思うので
取り残されているのはひろだけかー

きょうは病院ヘ行く日

2006年08月23日 | Weblog
毎月1回月曜日に浅ノ川病院にいくことになっているが、21日は夫が
グラウンドゴルフ場の草刈でいけないのできょう水曜日になった。
朝から心臓がひどくようやく行ってきた。家の近所はそんなにも
降らなかったが水がついたり水難事故があったりできょうは暑いといっても
何となく秋を感じさせる。
行ったついでに左手首を見てもらった。2本の骨の外側の骨が接触して
痛いのだそうだ。手術をしたら良くなるが今の体では出来そうにない。
1週間に1度しか出来ない注射をしてもらってきた。
これだって治療のためではなく一時押さえだ。
お勤めしていたころ、14年間決算頃になると厚さ5センチほどの帳簿が14冊並び
忙しいから片手で移動していた。
その時も腱鞘炎になって辛い思いをしたが、今頃骨まで変形して骨と骨が擦れ合っていたいのだと言われれば丈夫でもない体で心身ともに酷使したことをしみじみと
振り返っている。
先生は甘やかしては下さらないが、哀れみの目で見ていてくださる。
生きるってそんなに甘いものではないとつくづく思う今日この頃である。






暑い戦いの夏は早稲田に軍配

2006年08月21日 | Weblog
此処まできたら両方とも勝って欲しいと思うくらいだった。
京都に住む弟の息子はわざわざ岐阜の高校に進み早稲田の法学部をことし卒業した。高校は甲子園へキャップテンとして出場できたが、大学は軟式で硬式には入らなかったがそんな関係でどちらかと言ったら早稲田が勝てたことは良かったと思う。いずれにしろ選手たちの一生懸命さ、特に斉藤君のクールで最後まで落ち着いて投げた姿には感服した。決しておおき体ではないのにあれだけの力は何処から出るのか多分精神力なのだろうと思うが、素晴らしい1戦を見せてもらった。


高校野球・決勝戦

2006年08月21日 | Weblog
毎日何にもしなくても暑くクーラーと扇風機が1日20時間余りはうなりを立てて稼動している。そのせいか腰がキヤットして伸びなくなりここ3日何にもしていない。手も足も大変で買い物もいけない。
昨日は駒沢苫小牧と早稲田実の決勝戦を最後まで寝たり寝たり、おきたりで見た。
炎天下に選手はもとよりだが、ピッチャの体と心の緊張を思ったときさすが若者と感服した。きょう又投げると言うピッチャの頑張りにお母さまが心底はもういいといいたいがと!でも勝って欲しいといわれた言葉に母親としたら本音だと感じた。昨日170球余り投げた斉藤君がきょうも頑張ると涼しげな顔で言った言葉に涙が出た。そして若さとは何物にも変えがたい宝物だと思った。
きょうはどちらが勝つのかは神のみぞ知るだが、どちらが勝っても拍手を送り感謝もしたい。手足はもとより体全体不自由になっている婆は心だけ青春して観戦したい。 

お墓詣り

2006年08月15日 | Weblog
昨日は9時過ぎに出て富来の田舎までお墓詣り!海浜は混んでいたが渋滞はなかった。お花を持ってお土産の桃を持ってきょうだいが沢山だと何にも出来ないひろはお花を8把束ねるだけのお仕事をした。本堂の花はことしは妹と母で立てたといっていたがきれいに活けてあった。昨年までは檀家にお花を立てる人がいてその人にお礼をして立ててもらっていたのだが、
別のことで何かがあってそうなったようだ。
母は「お姉ちゃん見るだけでいいから立てて」と言ったがひろが行って立てたとなると事が大きくなるので関らないことにした。そのことについて行く度にに母は話す聞き飽きているのに!きのうもそのはなしを聞いて諭していた後みんな揃うまで待てないと夫が言うので3人でおまいりすることになったが話を聞いていただけでひろは心臓が辛くなりお墓の前まで登れず下でお詣りして帰ってきた。
来年は登ってみたいがどうだろう?

今の状態

2006年08月13日 | Weblog
此処一年余り右手が使いにくくなって左手でマウスを扱っていた。ところが腱鞘炎を起こして痛くていろいろ大変なので又右手に直した。だが指が思うように力が入らないのでパソコンは最小限にとどめざるを得なくなった。腱鞘炎もお医者様へ暫く通えば良くなると思うが自分でいけないのでイタイイタイと言いながらシップを貼っているが一向に良くならない。
お尻は肉が薄くなったせいなのか座っていると痛く背中も痛いので遂横になる。
だから寝たり・寝たり・起きたりになっている。腫瘍はほとんど大きくなっていないのにあるき難い、手は使い難いで座る時もこの前友人に頂いたクッションを背中ではなくお尻に敷いてかがんでいる。
真ん中に穴のあいた座布団を買いたいのだが自分でいけないのでどうしようもないと思っている。きょうは実家の母にお墓のお花を頼まれているので買に行くのでついでに見てきたいと思う。この中には65年以上無縁墓なっているお墓の分も入っている。子孫がどこかにいるのだろうが、我が家も息子の後はこの憂き目だろうと思うので今から考えていなければと思っている。因みに7基分と仏壇の分である。

新鮮なキス

2006年08月11日 | Weblog
昨日、夫の友人が海釣りに誘ってくださったが夫は船酔いをするのでお断りした。
最近出来た蔵の道のところのトイレ掃除の当番だったのでそちらに行ってきたようだ。夕方一緒につりに行かれた友人から電話があって細かいキスが沢山釣れて食べるかとのこと頂くことにした。キスのてんぷらにし、半分は炊いておいて今夜頂いた。てんぷらもお煮しめもとっても美味しかった。
なんといっても新しいから生臭くなく幸せを感じた。

昨日、従兄弟から

2006年08月10日 | Weblog
ひろには従兄弟・従姉妹が20人ほどいる。この従兄弟は東京に住んでいてその上の従兄弟と二人で此処10年ほどの間四国始め日本中へお遍路に行って旅行をしているのだそうだ。まだ60さお過ぎたばかりなのだが、5年ほど前から仕事をしていないので気楽な身分だからかもしれないが、何人かの従姉妹が亡くなりその供養も兼ねているのかもしれない。伯母が生きているときは五木ひろしを好きだった伯母を連れて大阪までも観劇に行くのだがお付が4人と5人連れで行っていたことを思えば今は一人なのだからでもひろには資金がそこまで続かない。
この従姉妹が9月8日にお見舞いかたがた母の課をおみに行くといってきたのだ。
伯母の死後会っていないのだからお互い老いたことだろうと思うが従姉妹はそうでもないかもしれない。考えたら18年も会っていないのだから月日のたつのの速さを感じている。
この従兄弟には息子が大学受験や高校受験の時、在学中とてもお世話になったのだが今は動けない身では何にもして上げられないなあと情けない。